第3話 小さなお茶会

文字数 1,218文字

 なんて可愛らしいタイトルなんだ。そうですね。これは猫十字社の少女漫画のタイトルです。猫の夫婦の物語で、旦那さんのもっぷさんが詩猫、奥さんのぷりんさんとの間にぽぷりという娘がいる。物語はすごくメルヘンな感じ。そしてすごく詩的で哲学的。

 これも高校生のときにはまった漫画です。ほとんどのエピソードが好きなのですが、とりわけ好きなものが二つあります。今回はそのうちの一つを紹介しますね。

 ぽぷりの友達の兄弟がある日、かぶとむしの夫婦と出会います。夫婦は大仕事を終えて、これから土に還りにいくのです。その途中に兄弟に一夜の宿を借りるのです。かぶとむしの夫婦は脱皮について痛くないのかと兄弟に尋ねられたとき、こういいます。「痛いが、そういう目に遭いたくないと言ったところで脱皮せずにはいられない。一生いもいも(いも虫)しているわけにはいかない。わしらはこの姿(成虫)がゴール。そして新しいパートナーを見つけ、新しい命を作るという大仕事をやった。それが済んだので森へ還る」

 次からの言葉がすごい。そのまま抜粋しますね。

「森は凄いところだ。きみらが大きくなっていずれ森をうろつきまわる自由を手に入れたらひとりで行ってみるといい。月の夜、森が凄いのは、生きているもの、そうでないもの、善いもの、悪いもの、過ぎ去ろうとするもの、やって来ようとするもの、現在や、過去や、未来、みないっしょくたに息をひそめ、うずくまり、そこに黒々と「ある」からだ。おとなにはただならぬ恐怖を自分で見にゆく自由と権利があるんだよ」

 言うまでもないが脱皮というのはおとなになることの例えで、大人になることは痛みを伴うものだ。それを経て、初めて純粋なものだけでは割り切れないことがあるのに気づく。ありとあらゆるものが混在する、そういう世界で、私達大人はそれらを見極めていく責任がある。そして選択していく自由と権利がある。

 高校生のときの私はかぶとむしの言葉通りなんだと思った。それはどこか大人になることに不安だった私に一種の安心感のようなものを与えてくれた。同時に大人になる気構えのようなことをするきっかけを与えてくれた。

 猫の兄弟はその日眠れなかった。おとなのかぶとむしの夫婦がこれからどうなるのかわかっているのだ。死が今までに味わったことのない苦痛を伴うことも。

「予防注射の列からひとりだけ逃げ出すことができないように、それからは決して逃れられない。だけどぼくはきっとひとりで行くだろう。夜の森へ。いつか時間がぼくの背中を割ったなら」

 なんて素敵なんだろう。そして何て力強い決意なんだろう。脱皮、夜の森、やがて待っている新しいこと、怖いこと、大人になること、死ぬこと、なんて詩的に美しく上手に表現されているのだろうか。

 これから大人になる人の周りにかぶとむしのおじいさんのような素敵な大人がいたら、それはとても恵まれていると思う。

 この一冊も私の血となり、肉となった本です。
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