第35話 若冲

文字数 1,005文字

 最初に断っておきたいが、私はただの美術好きで絵を描くわけでもない。子供のときは漫画を描いたりしていたがそれだけだ。ただし、今でも自分の小説のキャラ設定の絵は描いたりする。現在書いているファンタジーの表紙はそれを使っている。文章を書く方が好きで、絵は滅多に描かない。そういう人間がいうことだから、一素人の感想として読んでいただきたい。
 私は日本画というものは、余白の美だと思っている。余白を生かしてこその美。描かずして描く。その究極が長谷川等伯の『松林図屏風』だと思っている。この作品ひとつで、小説とかエッセイを書けそうなので、ここでは詳しくは触れない。
 私の言いたいことは、日本画にとって余白の意味が物凄く大きいということだ。だから、伊藤若冲の『牡丹小禽図』なんてちょっと掟破りだと思ってしまうのだ。紙面一杯にここぞというばかりに牡丹の花、その中に一見分からないほどの小さい禽。この絵を見たときに思ったことは "too much" だった。それも観ているうちに気にならなくなる。
 伊藤若冲の動植綵絵を観るとまさに色彩の洪水という感じがする。私が今回観たものはレプリカだという。これでレプリカということはオリジナルはさらに強烈に感じるのではないか。
 さて、若冲が余白に対して独特な感覚の持ち主だったのかというとそうでもない。今回は若冲の襖絵も展示してあった。ここでは若冲は余白を存分に生かしている。サイズも当然大きくなる襖絵の特性上、余白を生かすほうがいいと思う。
 『竹図襖絵』は墨の荒々しい筆致で竹の節を強調して書かれている。自然にそれに目が行く。上部には竹の葉が揺れていて、中央に余白が大きく取られている。スッキリしてスタイリッシュな作品。そして、『松鶴図襖絵』は今回の私のお気に入り。鶴の羽や足の質感は、さすが若冲、正確で精緻に描かれている。上を向いた鶴の視線をたどると反対側に描かれた屈みこむような鶴の視線に回収されるというのも面白い。松の木は相似形で同じリズムを取っている。そして八枚あるうち、真ん中らへんの一枚にはほぼ何も描かれていない。非常に清らかな作品。精緻で色彩の洪水のような画が表若冲とすれば、渋い襖絵は裏若冲というべきか。
 私が日本画が好きなのはこういうところだ。表裏両方楽しめる。ほぼどの絵師でも。
 展覧会自体は若冲と応挙をフィーチャーしたものであった。応挙は次の機会に書きたいと思う。
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