第14話 安藤さん家の場合

文字数 2,023文字

 たまたま今日テレビで安藤和津さんがご自分の母上の介護経験を話されているのを拝見した。珍しく敬語で書いてしまったのは、「安藤さん偉い!」と思ったからである。

 かいつまんでお話しすると、安藤さんは母上に女手一つで育てられ、若いときの母上は大変聡明で、しっかりした女傑であり、安藤さんにとっては尊敬できる絶対的な存在だったらしい。その母上が六十を過ぎたあたりから、感情のコントロールがきかなくなり、奇行が目立つようになった。しまいには母上を殺してやろうと思ったというところまで追い詰められたらしい。原因がわからぬまま、悪魔のように豹変した母上との葛藤を続けること十年。脳腫瘍が原因だとわかった。脳腫瘍になると、人格まで変わったようになってしまうらしい。それがわかったとき、安藤さんは神様にこれからは親孝行させて下さいと祈ったという。

 それから、大変な介護生活が始まった。仕事と介護と家事にと時間的にも精神的にも追い詰められる日々。あるとき、夜中、母上がお漏らしをしてしまい、床にその跡をつけながら、「おむつを替えてください」と換えのオムツを手に彼女の部屋にやってきたという。あんなにプライドの高かった母親が、こんな情けない格好をして、それでも自分を頼るしかない姿を見て、安藤さんは思わず泣いてしまったという。

 またオムツ換えのとき、間に合わず母上の排泄物が安藤さんの手の上に落ちたことがあった。何故自分ばかりがこんな目に合うのか、泣いていたとき、ふと思ったらしい。赤ちゃんのとき、自分は母上にオムツを替えてもらっていたのだと。今はそのお返しをしているのだと思うと気が楽になった。それからは、母上への接し方も変わったという。介護されていると、自分は家族の足手まといになると思わないように、家族の中心が母上であり、母上が元気にしていないと家族も元気になれないからと励ましたという。他の家族のメンバーも安藤さんをサポートし、母上は天寿をまっとうされた。 私は安藤さんのその仏様のような悟りに本当に敬服した。

 実は私たち家族も似たような経験をしている。母方の祖母のことである。しっかりした女性だったが、八十を過ぎた頃から言動がおかしくなった。母はしっかりした祖母が本来の祖母だと思っているから、どうしても呆けてしまった祖母の姿を受け入れられず、葛藤があった。情けないと思い、感情的になっていたのだろう。祖母と衝突した。そんな母を私は軽蔑した。正直に言う。母を許していなかった。もうあと十年も生きていないだろう祖母に何故優しくできないのだろうとあきれていた。そういう私も祖母の奇行にふりまわされたりしたときは、祖母を重荷に感じていた。

 今日安藤さんの話を聞いていて、母も情けなく辛かったのだろうと思った。そして、何故安藤さんが悟ったことを私達があのとき悟れなかったのかと強く後悔した。しかし、もう祖母はいない。私達が悟れなかったので、祖母は自分で自分の始末をつけた。自殺ではなかった。緩慢な自殺というべきか。祖母は心筋梗塞で一人で死んでいった。苦しんだのは一瞬のことだったと思いたい。

 最後に祖母に会ったとき、祖母にはもうあきらめのようなものが出来ていたように思う。別れ際に、なんとなく祖母にはもう会えないのではないかと予感めいたものがあった。今でも思い出す。バスにとぼとぼと乗り込む祖母の後姿を。何故もっと一緒にいて優しくしてあげなかったのだろう。
 そしてそれが最後になった。

 まだ祖母が生きていた頃、母と外で食事をしたとき、向かいの席に八十くらいの母親らしい人と五十過ぎくらいの娘さんとが同じように食事をしていた。お母さんの方は見るからに表情がなく、動作もぎこちない。かなり進んだ認知症らしい。食べたものをぽろぽろこぼしたり、話し方も幼い子供のようだった。私達親子は同じ思いでそれを眺めていたと思う。祖母のことを思っていたと思う。

 そのお母さんが誤って飲み物を倒してしまい、娘さんは優しくお母さんを励まし、テーブルを拭こうとした。突然私の母が立ち上がり、手伝いに行った。母は娘さんに「偉いですね。優しくしてあげて。私も同じくらいの年の母がおりますが、中々ちゃんとしてやることができません」と言っていた。娘さんは「世話するものが私しかおりませんので」と微笑んでいた。母は泣いていたと思う。泣きそうになっていたというのが正しいのかもしれないが。

 そのことを今日思い出した。母も辛かったのだ。責められないと思った。そして自分が親を介護しなければならないとき、私も安藤さんのように悟らなければいけないと思った。そういうことを思う機会を与えてくれた安藤さんと祖母に感謝したい。自分の黒い感情を最後までむき出しにした、愛情表現が下手で親不孝な母にも感謝したいと思う。
 
 上記の文章は十五年くらい前に書いた。今、まさに母の具合が良くなく介護中なので、時々読み返している。
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