第40話 三十秒のCM

文字数 946文字

 私はお酒を全く飲まない。ひょっとしたら飲めるのかもしれないが、育った家庭に飲酒の習慣がなく今までお酒とは無縁の生活を送ってきた。お酒の種類とか銘柄とかもあんまり分かっていない。唯一の例外は『二階堂』という麦焼酎だ。何故ならCMが素敵だから。まるで一篇の詩や一本の映画に匹敵するくらいの情感たっぷりなのだ。一番好きなのは『父』というCM。気になったら観てほしい。
 あのCMには心をわしづかみにされた。私の拙い文で伝わるだろうか……。


――『私』の記憶にいつも後ろ姿で現れる人がいる。――

 古い日本家屋、着物を着て縁側に座り、新聞を広げて読む威厳のある男性の後ろ姿。

 出かけるのだろう、スーツ姿で遠ざかる父親の背中を見つめるグローブを持った幼い子供の後ろ姿が切ない。

――あの頃あなたが口にしなかった言葉にいつか『私』はたどり着くのだろうか?――

 そのナレーションのあとに坂の階段が映る。そして次のようなテロップ。

『私』の知らない父と
父の知らない『私』が
 坂の途中ですれ違う。

 映像の中の父と子はどの場面も背中を向けており、表情を窺い知ることはできない。でも私にはこう思えて仕方がない。
 
 『父』は自分の子供に多くは語らず、背中で生き方を見せていたのかもしれない。『私』は幼いときはそれが分からず寂しい思いをしたこともあっただろう。大人になり、人生の節目節目の経験を経て、こういうとき『父』はどういう気持ちだったのだろう?何を言いたかったのだろうと思いを巡らすことが増えたのではないだろうか。
 そしてあのテロップの言葉に繋がっていくのなら納得がいく。

 そのときには分からない。時を経て分からなかったことが見えてくるような気がする。それでも本当は相手がどう思っていたかは分からない。そのことを切ないと感じると同時に、思いを巡らすこと自体がとても愛情深く尊いことのように思う。
 親子に限らずともお互いを大事に思っている存在であるならば普遍的なことだ。

 今となっては渦中にいるときには辛かった出来事も自分にとって必要だったと思えるし、いなくなってしまった存在も含め周りの人々全てが愛おしく尊い。
 人生も後半期に入った2024年の私は、2002年のこの懐かしいCMを見なおしながら、そんなことを考えている。
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