犀座狩り 6月22日(夜)

文字数 2,728文字

 その日の夜、ヨザクラが飛んだ。今宵はずいぶんと天高い飛行だった。五十鈴国からの定期船は黄昏時にやって来た。すでに乗客と貨物を乗せて、いつでも出港できる状態といったところだ。
 アカガラ、イブスキと山で別れた朝来は、港のすぐそばにある小さな町の宿に泊まっていた。刻一刻と時間が過ぎ、陽は完全に落ちて、出港の時が迫っていた。誰もいない海岸から定期船をながめ、ヨザクラと三日月の競演に悲哀に満ちた目で語りかけた。“私を慰めてくれているの?”
 今日定期船には乗らないという選択はきっと正しかった。やはりイブスキのことを放っておけない。回復するまで面倒を見ることが、彼女の犀座訓練士としての最後の仕事のようにも思えた。
 朝来は定期船を背に歩き出した。まっすぐ宿へ戻る気にはなれなかった。これからのことに思いを巡らす。イブスキはしばらく自由に動けない。明日また山へ行って、包帯を替えてやらなければと下を向いて考えながら歩いていると、いつの間にか鬱蒼とした松林の中に入っていた。立ち止まって背の高い松の枝越しに月の位置を確認する。見上げる先と異なる方角、遠く離れた海岸から汽笛が鳴った。
 出港。朝来は気持ちを切り替えようと頬を叩いた。そして再び歩き出したその瞬間、どこからかガサガサと地面を踏む音が聞こえた。
 朝来は反射的に木の影に隠れた。そんなことをしても意味がないことはわかっているが、犀座騎兵団の誰かが自分を追ってやって来たのだと思った。
 暗闇に目を凝らす。何も見えなかった。動物だろうか?
 とりあえず松林から出て海岸へ戻ろうと思った。今日はもう宿へ帰った方がよさそうだ。引き返そうと来た道を確認する。無意識にずいぶんと歩いてきた。歩みを進めると背後からまたガサガサと音が聞こえた。さっきより力強い。朝来の鼓動は早くなった。
 音のした方はやはり何も見えない。しかし別の方角、二、三十メートル先にゆらゆらと移動する明かりが見えた。ぼんやりとした橙色はランタンだ。持ち主は海岸へ向かって走っているが、突然止まって膝に手をついた。
「ああっ、くそ!間に合わなかったか!」
 息を切らしながら言う男の声が聞こえた。きっと定期船に乗りたかったのだ。
 朝来は不穏な空気を感じた。男に自分の存在を気づかれたくなかった。見られないように、男が先に去るのを待つしかない。

 突然、パリンとガラスの割れる音と共にランタンの明かりが消えた。暗闇に慣れていた朝来の目にも、男の姿は見えなくなった。
「誰だ!」
 男の声。朝来は自分に対して叫ばれた気がしてドキリとした。しかしそうではなかった。他に誰かいる。
 頭上の枝の葉が揺れた。今夜は風のない穏やかな夜だった。朝来は自分の佇む位置が男と、木の上にいる何者かの間だと確信した。木から木へと飛び移る黒い姿が一瞬見えたのだ。


 どさりと鈍く短い音がした。そして静寂。暗闇で見えないが、朝来は男が倒れたのだとわかった。
 音のした方へゆっくりと近づいていく。徐々に横たわる人の形がはっきりとしてきた。射抜かれた矢の先端が倒れた時の衝撃で折れている。
「犀座小屋が狙われたんだ、その男に」
 背後から男の声がした。知っている声だ。
「犀座達は無事だがな」
 武伏が立っていた。朝来の身体がこわばった。自分も殺された男と同じ運命になるかもしれないと思った。脱走に対する処罰の規定がどんなものかはわからないが。
「じゃあな」
 数秒間の沈黙のあと、武伏は朝来に背中を向けて言った。
 去っていく武伏。朝来は自分だけ時が止まったかのようにその場に立ちすくんで、彼の後ろ姿を見つめていた。呼吸するのも忘れていたのか、我に返った時大きく息を吸っていた。そしてその勢いで言ってしまった。
「私を始末しに来たんじゃないの!?武伏!」
 二人の距離はすでにかなり開いていたが、声は十分届いていた。武伏は足を止めて振り返った。
「始末?何言ってんだ?」
 暗くて顔は見えないが、面倒くさそうな声が返ってきた。
「私は・・・仕事を放棄して騎兵団を脱走したから」
 朝来は武伏を呼び止めたことを後悔した。このまま言葉を交わさずに逃れられたはずだった。
「そうみたいだな。じきにファイアノイドはあんたを探し始めるだろう。けどまだ今のところ俺にはその指示が出てない。余計な仕事はしない」
「もう騎兵団には戻らないわよ?私のことは探さないで」
 武伏はため息をついた。
「勝手にしろよ。とにかくあんたのことは見なかったことにするって言ってんだ。それで何か不満があるのか?」
 朝来はまだ武伏を信じていいかわからなかった。ただもう聞くのはやめにした。
「ありがとう」
 ほんの少しの静寂のあと、今度は武伏の方から意外な質問が投げかけられた。
「・・・なんで騎兵団を抜けようと思った?」
 朝来は答えるべきか迷った。だが、きっと彼は、ファイアノイドにそれを言うことはないと思った。
「戦闘犀座の時代は終わるわ。私は・・・彼らの底知れない力に負けたの」
 朝来の体は小刻みにふるえていた。
「そうか・・・うまく逃げろよ」
 本音か、単に別れの挨拶か。武伏は暗闇に消えていった。

 死んだ男。彼をそのままにしておくべきか、朝来は迷った。
「犀座狩りか・・・」
 イブスキを襲った者のことを考えた。もし、この男がイブスキを捕らえようとしていた人物と同じであるなら同情の余地はない。騎兵団に忍び込んで夜中に犀座を盗もうとするなんて、大胆で馬鹿な男だと思った。
 風が出てきた。朝晩はまだ冷んやりとした空気が漂う0境国の、短い夏がやってくる。海岸の方で赤いランプが点滅している。離れた松林の中からでも、まばゆい光ははっきりと見えた。朝来は男の顔に視線を戻した。・・・・・ここではきっと寒いだろう。
 ポケットからハンカチを取り出して男の顔にかぶせた。大柄な身体が隠れるぐらいの落ち葉を集め、首から足先までを覆った。そして最後に、必ず誰かに早いうちに発見されるよう祈った。

 朝来は宿へと戻り、暗い部屋に明かりもつけないままベッドに入った。頭まで布団をかぶり、今起こったことを一旦忘れるために意識を眠りの中へ誘おうとしたが、すぐには寝付けなかった。ファイアノイドが自分を探す命令を下したら、武伏か他の誰かがここへやって来るだろうか。そしてあの男のように処刑されるのか・・・・・イブスキが完治する前に0境国を離れるべきかと考えた。あるいは騎兵団の訓練士達が双子の犀座を見つけるまで。自分のなす事が何もかも中途半端な気がした。
 次に定期船が来るのは一ヶ月後だ。
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