九九の子供時代 ④

文字数 3,853文字

 北風が枯れ葉と踊り、冬の訪れが近い頃には住人達のほとんどが『庭』を去っていた。多くは都で新たな仕事を見つけたり、犀座飼育の経験を生かして0境国内の飼育施設へと就職した。珍しいケースとしては美風が城の兵士として雇われることだ。剣の腕前は全くの素人だったが、持ち前の運動神経を発揮して兵士採用試験に合格したのだ。九九も杏那も合格を喜んだが、同時に彼らがもう一緒にはいられない現実も突きつけられた。
「俺は城にいるんだから、いつでも会いに来てくれよ」
 美風が『庭』を出る最後の夜、三人はささやかな壮行会を開いた。カンキリじいさんの店で買った食材をアレンジして、大皿に盛った魚のムニエルやマッシュポテト、フルーツソースたっぷりのチョコレートケーキが食卓に並んだ。
「それと、名前のことなんだけど・・・」
 美風は言いにくそうに、少し顔を赤らめた。
「名前がどうした?」
 九九はチョコレートケーキにブラックペッパーをふりかけながら聞いた。
「女みたいな字だからさ・・・城に入るのを機会に変えることにした。入隊後は微かな風と書いて “微風” 。・・・変かな?」
 九九と杏那は驚いて、一瞬二人の時が止まったように固まってしまった。
「ああ、気にしてたからな。いいんじゃないか、『微風』。書き間違えないようにしないとな 」
 九九は頭の中で “微” の文字を思い浮かべながらうなずいた。
「私もいいと思う。素敵よ」
 杏那は戸惑いながら笑顔で言った。

「私、騎兵団へ行くことに決めたわ」
 温かい木いちごジュースを楽しんでいる時、杏那が言った。
「え?」
「そんな話聞いてないぞ」
 九九と美風は杏那の突然の告白に狐につままれたような顔をした。
「相談したら反対されると思ったから・・・騎兵団は新しい団員を探してる。今はファイアノイドを含めて十人いるらしいんだけど、犀座騎兵団は0境国の自衛力を高めるために結成される組織って言ってたでしょう?今のままの人員では少なすぎるからって」
「誘われたのか?ファイアノイドに」
 九九が苛立った調子で聞いた。
「私みたいな子供誘うわけないじゃない。こっちから申し出たのよ」
「なんでだよ。団員になってあいつ、ファイアノイドと一緒に国を守る戦士になるのか?騎兵団に何の魅力がある?」
「魅力とかそういうのじゃなくて、生きていくためには何かしなきゃ。私には護馬のような行動力や美風のような身体能力もない。九九のように未来を見据えて皆を先導できるわけでもない」
「護馬や美風はともかく俺はただお前達より年上だから兄貴として・・・そんな風に見えてただけだ」
 九九は自分がとても惨めに思えた。護馬の名を口にするとなおさら。
「九九、私は三人に憧れがあったのよ。犀座騎兵団は前例のない新しい組織。女の人が戦士になることも、この国では珍しく新しいことでしょ?そこに飛び込んで挑戦したい、女でも戦士になれることを証明したいって言ったら、ファイアノイドは受け入れてくれたわ。これから戦闘訓練を受ける犀座と一緒よ。私も一から戦士になるための特訓をする。覚悟はできてる」
「騎兵団以外の道は考えなかったのか?」
 美風が聞いた。
「考えたけど騎兵団がいいと思ったの。私は自分が変われるきっかけをずっと探してた。そのチャンスをファイアノイドが与えてくれた気がする。皆からは反対されることもわかってたけど」
 杏那の決意は固い。九九はそう思った。彼女がここまで自分の意志をはっきりと主張したことはなかった。集会でファイアノイドから何を感じ取ったのか九九にはわからなかったが、杏那はファイアノイドと波長が合うのかもしれない。
「わかった。もう何も言わないよ。杏那が決めたことだ」
 木いちごジュースは冷めてしまった。

 美風が『庭』を出て数日経ってもただ一人これからのことが決まっていない九九は、焦るでもなく不安感を募らせるでもなく日々を過ごした。杏那は九九の様子を気にしていたが、まもなく騎兵団の基地へと移る日がやってきた。基地は都から犀座に乗って小一時間の場所に新しく建てられたもので、敷地内には犀座訓練場と犀座小屋なるものも造られた。九九は杏那が引っ越す日、彼女を都まで送っていった。そこから犀座運送で犀座を借りて、荷物と一緒に荷台に乗った杏那は別れ際九九に言った。
「九九、ずっと『庭』で暮らせるとは思ってなかったでしょう?」
 犀座は基地へと向かった。杏那は九九を見ていたが、しだいに二人の距離が広がると前を向いて荷台に座り直した。杏那の後ろ姿を見て、九九は気づかされた。
 “杏那は俺じゃなくファイアノイドに将来を預けた”
 負けた気がした。何もかも。未来を見据えて皆を先導?誰のことを言っているのだ。それこそファイアノイドではないか。大の大人と比べたところで勝ち目がないことは十分わかっているが、頭の中は必死に探していた。何か一つ、ファイアノイドより優れている部分はないか。・・・・・今の自分にはない。だから友は去っていった。弟や妹だと思っていた彼らは、自分よりずっと成長しているのかもしれない。
 九九は最後まで『庭』から動かなかった。誰もいなくなった『庭』で、かつて自分達が売っていたガラクタが置かれたテントを無気力に見上げていた。
 “もう壊してしまおうか”
 生きる力は仲間達からもらっていた。

 何の決意もわかないままその場を離れられずにいると、秋の小雨が降ってきた。冬が近いというのに、不思議と寒くはなかった。優しい雨が頬を打つ。ふとエドワードのことが頭をよぎった。エドワード・・・住人が仕事と居場所を手に入れるためでっち上げた存在。本当に実在しないのだろうか?寅追は事実を知っていたのか?ひよっとしたらエドワード

人物はいたかもしれない。『庭』の歴史が記された書物があれば調べられる。九九はそう思い立つとテントに背を向けて歩き出した。集会所に隣接した場所に古本屋があった。店主はよその土地で同じ古本屋を営むと聞いた。すでに引っ越して本の移動もほぼ済んでいる可能性が高いが、手がかりがあるとすればそこしかない。

 雨はしだいに強くなってきた。風も出てきて、廃虚寸前の『庭』で誰かとすれ違うこともなく、九九はだんだん寂しさが込み上げてきた。本当は真実なんてどうでもよかった。自分がどこへ向かっているのかわからない。歩くのをやめたいと思った。
 それでも雨に打たれながら進んでいると、かすんでいた一本道の前方に変化があった。人が馬に乗ってやって来る。濡れて額にはりついた前髪を払い、九九は足を止めた。
「なんでこんな時に」
 ファイアノイドはゆっくりと近づき、向かい合った九九に手を差しのべた。
「一緒に来てくれないか?若いエネルギーが必要なんだ」
 九九は虚ろな目でファイアノイドのまたがる馬を見た。年老いた馬は目の前にいる子供に興味はなく、早く雨をしのげる場所へと移動したいのだろう。長いまつげの上に落ちる雨粒を気だるそうに頭を振って飛ばした。ファイアノイドを運ぶのは、いずれ馬から犀座に変わる。そう遠くない未来の0境国、犀座がもたらすものは希望だろうか。考えが何一つ冴えない。ただ、今の状況を脱却する方法は、『庭』の歴史を調べることじゃない。
「あんたがエドワードなんじゃないか?」
 九九が言った。
「そんな立派な人間だったらいいのにと思ってはいるが」
 ファイアノイドは笑いながら答えた。目尻の皺が目立って見えた。


 国境警備隊宿舎の自室の窓から外を眺めていると、当時をふと思い出す時があった。九九は二十歳までファイアノイドと生活していた。彼は父親代わりの存在だった。ファイアノイドは自分の後継者を探していて、九九がその候補だったことは間違いないだろう。背が高く、細身だがしっかりとした筋肉がついていて、差し伸べられた大きな手を拒むことがあの時の九九にはできなかった。
 これが最初の間違いだったと、九九は今でも思う。ファイアノイドへの情がいつまでたっても立ち消えないのはこの時の光景をいまだはっきりと覚えているからだった。
 九九にとっては生きるための騎兵団。犀座乗りとしての訓練は受けたものの、子供の頃から抱いていた、戦闘犀座という考えに対する否定的な思いは変わることがなかった。ファイアノイドは九九のリーダーとしての資質を見込んでいたが、彼がその期待に応えることはなかった。
 結局九九が犀座騎兵団から退いたことでファイアノイドの後継者という役割はなくなったわけだが、育てられた七年間の記憶から生まれた深い感謝の思いがある。だからこそ、ファイアノイドを切り捨てられない。常に頭と心に彼の存在がある。それはとても厄介だった。


 ところでなぜファイアノイドはエドワードが実在しないことを知ったか、当時誰も問わなかった。それについてファイアノイドは国王から直接聞いていたわけだが、人々の関心は自分達の将来に向いていた。『庭』を出るなんて皆考えていなかったのに、強制的に出なければならなくなった。しかしどうやら状況は良い方へと変わるようだ。ほとんどの者は王様から直々に仕事を与えられ、まともな家に住み、安定した収入が得られるようになった。『庭』の人々は喜んで新たな生活を受け入れたのだ。そのあとはもう、エドワードのことなど忘れてしまった。
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