風の草原地帯 ⑤

文字数 2,966文字

 “風守” の少年はやれやれといった様子で風車小屋が見えなくなる場所まで来た。こんな命がけの仕事引き受けるんじゃなかったと後悔した。しかし九九からすでに報酬を受け取っているため、放棄することはできなかった。これから国境警備隊宿舎へ行って戦況を伝えることが彼の任務だった。伝えることは決まっていた。『国境警備隊が優勢です!』
 嘘でも国境警備隊が優勢だと伝えるように再三言われていたものの、結局嘘にはなっていない。現在本当に国境警備隊に分があるのだ。少年はその事実が何だか誇らしかった。嘘を伝えるよりよほどいい。が、にんまりしたあとすぐに口元を引き締めた。九九からは戦いに関して誰に何を言われても何も聞いていないふりをしろと言われていた。風の草原地帯で国境警備隊と犀座騎兵団が戦うと聞かされた時、自分の住まいが脅かされるのはもちろん容認できなかった。とはいえ国王代理の指示ならどうしようもない。九九は可哀想な少年のために、いざという時の引っ越し費用を情報係の仕事の報酬に上乗せして出してくれた。少年は仕方なく大人達のいいように使われてやることにした。一方で、自分の演技力には満足していた。何も知らない巻き添えの子供を演じるにあたり、怒りの感情を高めることに成功した。百点満点だ。
「おれ役者になれるかも」
 再びにやつきながら、少年は宿舎へと走った。足の速さには自信があった。風を味方につければ誰よりも、馬に乗るよりも速く走ることができた。


「それは灰色ですよ」
 元教師兵は即答した。明け方に飛ぶヨザクラについての話だった。しばらく誰も言葉を発しなかった宿舎待機組。その沈黙を破ったのは九九で、さっきから気になり始めたことを聞いたのだった。
「そうか、灰色か。つまりヨザクラの本来の色ってことだろう?やつらは何のために暗闇で光るんだ?いや、ちょっと待てよ。僕の持ってるヨザクラの羽ペンは桜色だ。光ってる間に落ちた羽は桜色のままなのか?」
 人々にとって謎多きヨザクラは捕獲が禁止されている。鳥類研究者はヨザクラの生態についてほとんど調べられず現在に至っている。
「わからない方がロマンがあっていいと思いませんか?」
「僕は自分が生きてる間に解明されてほしい」
 九九は簡素な木の椅子に座って頬杖をついた。
「犀座を巻き込んだ争いは起きても、ヨザクラ関連の争いは起きないんですかね」
 中年兵が言った。
「争いどころか、ヨザクラは五十鈴国と千日国の戦をやめさせたんだ。知らないのか?」
 九九は部下が国の成り立ちを知らないことにいささかショックを受けた。
「それは知っといた方がええですか?」
「国境警備隊員なら知っておくべきだろう」
「九九様、」
 元教師兵は前方の馬車道に視線を据えたまま呼びかけた。遠くの方に見える黒っぽい点はしだいに輪郭を現した。人が走ってくる。
「誰だ?」
 中年兵は警戒して腰の剣に手を添えたが、九九が右手を出して制した。
 少年は速度をゆるめることなく猛スピードで走ってきた。姿が見えてから九九達の元へたどり着くまでものの数秒、ぎりぎりまで速度を落とさなかったためこのまま突っ込まれるのではと一同はハラハラした。
「さすが “風守” 。速いな」
「国境警備隊は優勢だ!本当にそうだ!」
 少年は大声で言って敬礼した。びしっときめたつもりだがどこか滑稽だった。
「ご苦労。よくやった」
 九九は武伏を意識した。これだけ大声を張り上げればどこかにいる武伏にも聞こえているだろう。やつは常人離れした聴力を持っている。
「九九様、この子供は」
「誰ですかい?」
 二人の隊員は戸惑っていた。国境警備隊が優勢というのは事実なのか?
「説明はあとだ。二人共馬に乗れ。風の草原地帯へ行くぞ」


 国境警備隊宿舎から北へ一キロ程の所に流れる六七河川。そこにかかる橋は0境国と千日国をつないでいる。0境国側の橋の袂に立つ警備兵は、体をだらりとさせて大きなあくびをした。風の草原地帯では戦闘が始まっているというのに、自分はそこに加わらず、離れた所で敵の大将の見張りなど退屈極まりない。朝方夜勤明けの警備兵と交代する時も不審がられ、今日は面白いことが何もない。

「あ~あ、つまんね」
 武伏はもう一度あくびをして首の辺りをかいた。
 彼は今日国境警備隊員のふりをして朝からここに立っていた。夜勤明けの警備兵と交代するタイミングの時、本来ここの警備にあたっている者を説得しなければならなかった。
『予定が変更になった。今日橋の警備は俺が担当する』
『え?そんなことは聞いてないぞ』
『今日は普段と事情が違うだろう?君は非番だ』
『非番なんてないだろう、大半が戦場へ行っているというのに』
『あるさ。事情が違うと言ったが俺達戦場へ行かない組はいつもとそう変わらない。ただ仕事の割り当てに手違いがあっただけ。ここの当番は俺で、君は非番』
『・・・そうか』
 かくして武伏は国境警備兵になりすまして橋のポジションを得た。相手が単純で良かったとほっとした。
 ずば抜けて優れた視力と聴力を持つ武伏は、遠く離れた場所にいる九九達の姿が見えていた。しかし見張りをするのにこの場所はうってつけだが、声までは届かなかった。聞こえる所まで近付くとこちらの姿がばれる可能性が高い。それではわざわざなりすましている意味がない。九九達が動かない限り、武伏もここから動かないでおくことにした。
 集団行動が好きではない武伏は、他の団員と共に犀座に乗って隊列を組み、風の草原地帯で戦うことに気が乗らなかった。ファイアノイドは犀座行進もいつもいやいや参加している彼のそういった性格を理解した上で、武伏一人を国境警備隊側へ送り込んだ。ただ、武伏が受けた命令は九九を見張り、妙な動きがあれば報告せよというものだった。九九の首をとりに行こうと思えば不可能ではない。が、彼は命令以外の余計な仕事はしない主義だ。
「あっちの方が良かったかな」
 単独行動できるのは当初こそありがたかったが、今となっては退屈すぎて戦場にいる杏那がうらやましく思えた。
「どうせ騎兵団が勝つけど」
 ファイアノイドは勝利を確信している。それは武伏も同じで、自分がいなくても騎兵団に心配など無用だと思っていた。
「国境警備隊が勝つぜ」
 背後から声がした。武伏は驚いて振り返り、素早い動きで相手と距離をとった。そこに立っていたのは茶色いマントを着た子供だった。
「誰だお前?どういうことだ?」
 訝しげに武伏が聞いた。その顔には不快感がにじみ出ていた。
「犀座騎兵団はいまや防戦一方。勢いが良かったのは最初だけだった」
 武伏は背中に隠していた剣を抜き、横に一振りした。しかし空を切り裂いただけで目の前には誰もいなかった。
「あんた国境警備兵なのになんで攻撃すんだよ危ねー!」
 子供は怒ってそう言うと宿舎方面へ全速力で走っていった。
「瞬き一回する間に移動しやがった。何だあいつ」
 武伏は九九の監視を中断し、風の草原地帯へ向かうことにした。犀座騎兵団が圧されているという信じ難い情報は全くもって退屈しのぎになりはしない。
「つまらん上に面倒だ」
 橋の袂の警備は無人となった。
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