ヨザクラ

文字数 2,542文字

 ファイアノイド亡きあと、犀座と人間の共存に関して研究者達の間で議論が交わされた。その結末は若き国王代理にとって面白くないものとなった。犀座を戦闘用として育成することに反発する声が高まり、国としても社会の流れに抵抗してまで犀座騎兵団を存続させることは難しくなった。結果、犀座騎兵団を0境国直属のガーディアンとして迎えるという紫々の当初の目論見は断念せざるを得なくなった。

 今日も杏那はファイアノイドの墓前に立っていた。犀座騎兵団が解散すると決まって数日、考えを整理する時はいつもここに来ていた。
 騎兵団のあった基地は取り払われ、犀座小屋も撤去されることが決定した。生き残った者は故郷に帰ったり、新しい働き口を見つけたりして一人、また一人と去っていった。
 わからないのは武伏だった。戦いのあと、どこへ行ってしまったのかまるで消息がつかめないでいた。彼の中に騎兵団への忠誠心がどれほどあったのかは疑わしいところで、こちらが不利だとわかった時点で組織に留まるつもりはなかったのかもしれない。仲間でありながらつかみどころのない男だった。杏那自身も今後武伏を探すつもりはなく、おそらく会うこともないと思っていた。
 戦いを経た犀座達は保護協会に引き渡された。煙管は戦いのあとしばらく行方がわからなくなったが、ある日の夕暮れ、犀座騎兵団からも都からもはるかに離れた郊外の農村で、農作物をあさっている所を発見された。見つけた村の老人は、巨体の犀座と目が合った時にかけられた言葉があったと話す。
“みすぼらしいだろう?笑ってくれ”
 そう聞こえた老人は何も応えず、ただその場に立ちすくんだ。しかしその後保護協会の職員が来た時、連れられていく煙管に老人は言った。
「おまえさんのような美しい犀座、見たことないよ」
 煙管は老人の方に頭を向けた。黒光りしていた鎧兜は泥で薄汚れ、飼い慣らされた戦闘犀座としての面影はどこかで落としてしまった。かつて犀座行進で常に先頭を歩いていた王者は、望まぬ人生に区切りをつけるため主人を蹴飛ばした。
“こんな老いぼれでも、犀座のプライドは捨てられないのさ”
 最後に煙管はこう言い残して協会の馬車の荷車に乗せられていった。

 煙管が本当にしゃべったかどうかの真偽は杏那にはわからない。だが、老人の思い込みとは思えない。その話を聞いた時杏那は思った。煙管という犀座は人間よりずっと分をわきまえ、覚悟を持って生きていたのだ。その繊細な心を、私達が利用し抑えつけていた。
 杏那は一筋の涙を流した。空を見上げると、どんよりとした雲の間に青空が見えていた。そこにあるのは0境国のいつもの空。これからは自分一人で歩いていかなければ。誰の背中を追うこともない。まっさらな道に最初に足跡をつけるのは私自身だ。
 涙をさらう冷たい風が吹いた。誰かが杏那に前を向けと言っている。

 贅沢なものや生活に興味を示さなかった九九だが、たった一つ、こだわりを持っていたものがあった。それは置き時計で、仕事部屋兼寝室のこの部屋にある木製のアンティーク時計は彼のお気に入りだった。四角い箱形で色褪せた文字盤の下に引き出しが二つ。小さな把手の装飾が複雑に凝った作りで美しい。時計の裏側にねじがついており、九九はしょっちゅう回して時間を合わせていた。だんだん早くなるくせがあるらしい。微風は主人のいなくなった部屋に毎日来ては時計と向き合っていた。静かに時を刻む時計を眺めながら、思考は別のところにあった。
 犀座騎兵団との戦いは勝敗がつかないままに終結した。騎兵団が解散した今、国の安全は国境警備隊に委ねられることとなった。したがって今まで通り国境付近の警備と、有事の際の出動、これらを主とした任務の日々がまた始まったのだ。
 九九がいなくなって宙ぶらりんの状態になった国境警備隊は、まだ傷が癒えぬ隊員も多い中、微風を中心に短期間で組織の構成を立て直した。微風は周りから背中を押される形で九九の後任についた。
 頭となった微風の初めの仕事は、戦いで命を落とした者の葬儀を執り行うことだった。彼らの眠る墓は宿舎の南に位置する陽当たりのよい丘に建てた。九九もそこに眠っている。
 世の中の流れは結果的に九九の望む未来へと向かう。それは国境警備隊が歯切れの悪い勝利を得たことを意味しているようだった。戦闘のためではなく、荷や人々を運ぶ役目を担いながら犀座はこれからも我々と共生していく。
 微風は九九の部屋の窓辺から外の景色を見た。午後三時、雨が降りだしていた。宿舎の敷地から都へと続く馬車道は水捌けが悪い。大雨の日、何とかならないものかと九九は言っていた。優しい雨は好きなんだけどな。と付け足したのが微風には妙に印象深く残っていた。そして千日国との国境、晴れの日は陽の光を受けてきらめく六七河川は、この部屋から見える姿が一番美しいと言っていた。派手さのない素朴な景色を、九九は愛した。
 鳥が一羽、都の空から近づいてきた。雨粒を受けながらも優雅に飛ぶその鳥は、どこかで見たことのある形だった。
「ヨザクラ?いや・・・」
 深い藍色の羽がヨザクラではないことを示していた。鳥は宿舎を囲む鉄柵にとまってキョロキョロと頭を動かした。そして微風のいるこの部屋へ向かって飛んできた。微風は急いで窓を開けた。雨粒が窓の(さん)を打ち始め、藍色の鳥は窓辺にとまった。
「しんぱいでよるじゃなくていまとんできた」
 微風の耳に確かに聞こえた誰かの声。
「ぼくみたいなのはほんとはよくないらしい。るーるいはんだって」
 ここには誰もいない。いるのは・・・
「九九様?」
「いろもなんかおかしいみたいでさ、ほかのやつらにからかわれたんだ。これでもヨザクラなのに」
 微風は呆然として鳥を見つめた。ありえないが、本当なのだ。
「まったく、ぼくのまわりはてきだらけだよ。いつだって」
 それを聞いた微風はつい吹き出した。
「にぎやかでいいじゃないですか、それに怒っているようには聞こえませんよ」
「ぼくのみにもなれよ、びふう」
 雨の0境国、変わった友はそばにいて、彼曰く飽きるまで見守ってくれるそうだ。


(終)
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