犀座行進 9月1日③

文字数 4,375文字

 白髪がかった髪を短く切り揃え、鮮やかなピンク色のニットに白いカーディガン、紺色のロングスカートといった出で立ちが洗練された雰囲気を放つ水戯は、国王補佐官として長年国王の側近を務めてきた。九九のことは彼が子供の頃から知っており、微風に至っては息子のように思っていた。
「葬儀の時は、挨拶もままならなくて」
 水戯は申し訳なさそうに言った。国王の葬儀以後ちゃんとした休みをとっていないのだろう。目の下には隈が見え、元々華奢な体はやせて骨が目立つようになった。
「気にしないでください。僕もあなたと話すのは無理だとわかってましたから。それに僕らには気を遣ってほしくない、なあ微風」
 突然話を振られた微風は動揺して、「ええ」、と返すだけだった。彼は国境警備隊以前、城の兵隊として働いていた。入った時はまだ子供で、誰も頼る大人がいなかった微風を水戯はずっと気にかけていた。始めは賢くわがままひとつ言わない微風に、ものわかりの良い大人びた子供という印象を抱いた。しかしそれは周りを困らせないための、また厄介者扱いされないための彼なりに心得た処世術なのだとしだいにわかってきた。仕事の合間にお菓子を与えに行ったり、大人に混じって兵隊訓練をする彼を心配してそっと様子を伺うこともあった。ある時、微風は非番の日によく行く場所があることに水戯は気がついた。そこはかつて王家の主治医が住んでいたとされる丘の上に建つ屋敷だった。今は廃墟となったその場所に、いったい何があるのか。水戯は親心からそっとついていった。微風は屋敷の敷地内には入らず、丘の麓の空き地で彼と同い年ぐらいの少年と会っていた。その少年と会話を交わすまでにはまだしばらく時間の経過が必要だと感じた水戯だったが、数日後、空き地で見た少年は微風に会いに来たと言って城の門前にやって来た。あとになって水戯は思う。自分を心配させまいとして、微風は友達のことを知ってもらおうと城へ招いたのかもしれない。その友達こそが九九で、後に国境警備隊の礎を築き、微風を迎えに来るまでの時の流れは実に早かった。
「犀座行進を見てきたんでしょう?話を聞かせてほしいわ、お茶でも飲みながら」
 水戯が階段を上がろうとすると微風が慌てて言った。
「本当にお気遣いなく、お忙しいのは理解してますので。お約束もなく突然来てしまって本当に・・・」
「お約束なんて堅いことは必要ないわよ」
「私達は紫々王子にご挨拶をと・・・」
 普段見せない微風の素振りが九九にはおかしかった。しかし紫々の名前が出ると急につまらなくなった。
「そうでした。紫々王子のご様子が心配で。可能であれば謁見したいのですが」
 心配などしていないが水戯に本心を悟られたくはなかった。
「紫々様・・・相変わらずお部屋から出られないままよ。葬儀の時はしばらく藤の園で国王と二人になっていたけれど。早くに王妃様も亡くされて、紫々様の心に寄り添ってあげられる者は・・・」
 紫々のことを案じながらもどうにもできない悔しさからか、水戯は顔を伏せて下唇を噛んだ。
「水戯さんがいるではありませんか」
 微風が言った。
「紫々王子を憐れに思うお気持ちはわかります。しかし憐れみだけで終わらないでほしい。彼を見守ることができるのは、王子の側近でもあるあなたです」
 水戯の他人を放っておけない性分は時におせっかいでもあるが、それによって救われることの方が多いと微風は信じていた。
「側近ね・・・あなたがお城にいた時期と少しは重なっているから知ってると思うけど、幼少の頃の王子はよくなついてくれて、私も毎日遊び相手になっていたわ。けれど成長するにつれて自分の世界にこもるようになっていった。それが悪いこととは思ってないわ。若い頃私にもあった。明日はお顔を見せてくれる、明日は、明日は・・・そう思っているうちに、月日は過ぎていった。王子はもう十七歳。国王の葬儀の時、久しぶりに彼の姿を見たわ。柩に手を添えて、お父上のお顔をじっと見ていた。細くて白い、繊細な少年。声をかけたけど、少しこちらにお顔を向けるだけで返事はなかった。それからはまた部屋にこもってしまわれた」
 水戯は二人から顔をそらして鼻をすすった。国民の記憶の中にある王子の姿は幼いままで、九九もまたそうだった。十七歳となった彼がどのように成長したのか、側近でありながらまともに顔も見れない水戯でさえ知っているとは言えないのかもしれない。
「王位継承の儀はまだできないのですね」
 九九が言った。ずっと気になっていたことだった。
「ええ、王子は国王代理のまま。意志さえ聞けてない。リーダーを失っててんやわんやしていることが国民に伝わらないよう、表向きは国王代理がトップに立って指揮を執っているという体を装っているだけ。実質の舵取りは長老達が行っているわ」
 0境国の政治の実権を握っているのは国王であったが、その全ての決定には相談役である長老と呼ばれる者達が数人関わっていた。長老達の同意が得られなければ国王の決め事とはいえ公のものと認められず、長老達は常に国と民衆、両者の立場に立って物事にあたらねばならなかった。
「あなたでさえ王子と会うのが困難なら、僕らなんか甚だ無理だな」
「九九と微風が今日ここへ来たことは伝えておくわ。扉越しにだけどね」
 水戯は大きく深呼吸した。そして今さらながら周りを気にして、視線をさっと四方に走らせた。二人との距離をやや縮め、声を潜めて慎重に話し出した。
「紫々様は決して無関心ではないのよ。国に関しても、あなた達のことも」
 九九は何かあるのか尋ねようとしたが、口を挟む前に水戯の次の言葉を待った。
「あなた達が今日ここへ来たこと、彼はわかっているはず。国王がいなくなって、国境警備隊がこの先も国直属のガーディアンでいられるかどうか、それが九九、今あなたにとって一番の心配事でしょう?」
 九九は眉間にしわを寄せて水戯を見た。この続きはあまり聞きたくなかった。
「紫々様はそのことについてもわかってる。ただ、何をどうしたいとか、ご自身の考えは語らないけど」
「王子と会話を?」
 顔を合わせていないはずなのに、なぜそこまでわかるのか、九九は不思議に思った。
「いいえさっき話した通り、紫々様とはもう長いこと会話らしい会話してないわ。こっちが扉越しに話しかけるばかりの一方通行。今言ったことは私の憶測よ。とはいえ、一応側近ですからね。国の動向を紫々様も知っておく必要がある。私は先代国王の時代から、扉を挟んで国で起こっていることを紫々様に報告してきた。相手が語らずとも感じることはあるのよ。この子は・・・私からすると“この子”と言いたくなるんだけど、紫々様は本当は、表には出さないだけで思い描いている未来があるんだと思うの。それがあなた達にとっていい未来か、そうでないかわからないから、大きな声では言えないのよ。繰り返すようだけどこれは私の憶測、国王のお考えと紫々様のお考えが、同じだとは思わない方がいいわ」
 明らかに穏やかではない空気に、九九は心がざわついた。水戯の言ったことはつまり、国王の名の元にあった国境警備隊だったが、紫々が国王となった暁には、彼の判断によってその存続が危ぶまれるということか。これは九九の予測の範疇ではあったものの、現実を突き付けられると辛かった。

 水戯と別れ城を出て、都から宿舎まで帰る道中九九は考えに耽り、微風が話しかけても生返事しかしなかった。宿舎近くまで来てようやく、思い出したかのように九九は口を開いた。
「忙しいのを理解しているのならなおさら、お茶すべきだったかもな」
 何の話題か、微風はすぐに思い付かず言葉につまった。
「来客の口実でもないとまともにティータイムなんかとれないんじゃないか、水戯」
 少し前を歩く九九が後ろを振り返って微風に言った。忙しすぎる水戯にとって、ひとりの時お茶の時間を確保することは難しい。たいてい目の前の仕事を優先させるだろうから。しかし二人が来たことで、座ってお茶するつかの間の休憩がとれたかもしれなかった。微風は照れの方が勝ってしまって、そこまで気が回らなかった自分が恥ずかしくなった。
「そうですね・・・次はそうします」
 小さくつぶやきながら伏せた顔が少し赤くなっていた。
 九九にとっての心配は国境警備隊存続の行方だが、それより大事なのは、仲間との何でもないやりとりができることだった。そのためには、やはり国境警備隊が必要なのだ。紫々がどのような決定をしようが、自分は国境警備隊を守る。
 宿舎に入る直前、微風が言った。
「ナゾナゾに寄るの、忘れたんじゃありませんか?」
「あ!もっと早く言ってくれよ!あ~あ・・・」


 紫々は一日の大半を、ベッドの上で過ごした。元々体力がないことを自覚していたが、身体を動かすことにはまるで興味がなかった。医者には定期的にかかっていた。標準よりかなり痩せてはいるものの、健康上の問題はなかった。食事は朝と昼、一日二回と決めていた。城の中で彼とまともに会話をするのは二人。一人は医者、もう一人は給仕係だった。側近の水戯とは、いつの間にか話さなくなっていた。なぜなのか彼にもわからず、気づいたら水戯からは報告を聞くだけとなった。長老会議での決定事項、事件事故、今日の訪問者、犀座行進の様子、そして国王が亡くなったこと。国王も、ここ一、二年は紫々の部屋へ来なくなっていた。寂しいとは思わなかった。それで言えば、母が亡くなった時の方がずっと孤独を感じた。
 国王がこの世を去ってから、紫々にはずっと考えていることがあった。

“0境国は自分の代で終わるのだろうか”

 しかし頭によぎるこの疑問は早々に払われた。彼には目標があった。野心もあった。0境国を終わらせる気など欠片もない。より屈強で他国からの侵害など決して許さず、両隣の五十鈴国、千日国をも我が国家に統一させる未来を夢見ていた。それを実現させるためには犀座が必要だった。紫々は父親とは考えが違っていた。国王の作った国境警備隊では0境国は守れない。犀座による国の強化を図りたいと望む紫々は、犀座騎兵団を国直属のガーディアンにしたいと考えていた。
 紫々の部屋は城の三階、0境国に多く見られる円柱形の棟にあった。窓からは城門が見下ろせた。反対に下から見上げると木の枝や生い茂る葉が目隠しになってくれた。シルクハットの男とのっぽの男が城から出ていくところを、紫々は窓に寄りかかって眺めていた。今日は来客が二件あったことを、夕方頃水戯が報告に来るだろう。二件とも自分を訪ねて来たようだった。最初の一人は犀座騎兵団のファイアノイド、今帰った二人は国境警備隊の九九と微風。
「ファイアノイドの方は次会ってもいいかもな」
 カーテンは閉められた。
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