犀座狩り 6月22日(朝)

文字数 6,077文字

 カフェ “蒸気船” の店主は店のカウンター奥に座る大柄な客をちらりと見て、注いだばかりのビールジョッキを持ち上げた。カウンター越しにビールを差し出す。男は三杯目のビールを飲み干し、四杯目を受け取った。茶色の口髭に泡がついているが、気にしていない様子だった。
「マスター、ここのビールはうまいな。サンドイッチはパンがぱさついてていまいちだが、はさんでるローストビーフはうめえよ」
 男は黄ばんだ歯を見せて上機嫌で言った。
「それはどうも」
 都から離れた郊外にある小さなカフェには、目の前の男の他にテーブル席に若いカップル一組、旅人らしき初老の男一人が座っていた。早朝から四人という客数は珍しかった。この時間はたいてい一人ないし無人のことも多い。
「ところでこの近くに泊まれるところはないかい?」
 男が四杯目をひと口飲むと言った。店主は徐々にペースが落ちているなと思った。
「宿ですかい?この辺にはありませんな、都まで行かないと」
 カップルのクスクス笑いが聞こえた。同じ空間にいながら二人の世界はまるで別だった。
「ここへ来る途中で見たんだが、でっかい要塞のような屋敷があるだろ、高い塀で囲まれた。あそこは誰が住んでるんだ?」
 男は逞しい両腕を広げて屋敷の大きさを示そうとした。
「それは国境警備隊の宿舎です」
 店主は男から目をそらして答えた。
「国境警備隊!やつらあんな辺鄙なとこに住んでんのか。周りは草地と六七河川だけじゃねえか。仕事場も国境沿いとか田舎だろ?国直属のガーディアンっつっても犀座騎兵団の方が優遇されてるな絶対」
 男は自分の言ったことに笑ってビールを飲んだ。店主はこの粗野な男が早く出ていってくれるよう願った。でなければ今日はあの人が来ないことを祈った。が、それはどちらもすぐには叶わなかった。
「おはようございます」
 五人目の客がやって来た。
「おはよう、九九さん」
 九九はカフェ “蒸気船” の常連客だった。週に一度は利用している。普段と同じく朝は食べず、ペッパーコーヒーを頼んでいた。
「いつものでお願いします」
「はい」
 九九はカウンター席の入り口側一番端に座った。奥の方に一人客がいたのでその反対側だった。
 男はサンドイッチをかじり、まじまじと九九を見た。九九もその視線に気づいていたが無視した。まもなく注文したコーヒーが提供された。添えられたのはシュガーポットならぬペッパーポットで、ティースプーン一杯分をすくってコーヒーに入れた。
「変わってんな。眠気覚ましには刺激が強すぎて頭がおかしくなりそうだ。それとももうおかしいのかい?シルクハットの兄ちゃん」
 向こうに座る男が笑って言った。
「どうも」
 やっぱり面倒くさい男だと九九は思った。自分の好みを批判されることに慣れてはいるが。
「今、俺のことうっとおしい男だと思っただろ?けどそりゃあ、つっこんでくださいって言ってるようなもんだぜ」
「・・・・・確かに。そのとおりです」
 初老の旅人はカウンターに金を置いて店から出た。店主は礼を言って金を受け取りながら、心の中で「出ていって正解」と思っていた。
「この近くに住んでんのかい?旅人には見えねえが」
「ええ」
 九九は会話が長引かないよう「はい」か「いいえ」で返そうと決めた。
「へえ・・・そんな格好してるからにはいいとこのお坊っちゃんなんだろうな。それとも役者かなんかか?あんた横顔に雰囲気がある」
「ええ」
 嘘をつこうが後ろめたさは一切感じなかった。
「今マスターから聞いたんだが、この近くにあるでっかい屋敷は国境警備隊の宿舎なんだってな。あんた地元のもんなら行ったことあるかい?」
「いいえ」
 九九がこう答えたことにより、店主も話を合わさなければならなくなった。
「しかし国境警備隊には同情するね。こんな辺鄙なとこで働かされて、地味な警備の仕事ばかりで誰からも感謝されず。どうしたって民衆の目は犀座を持ってる騎兵団の方に向きがちだ。行進やらで華やかに見えるしな。でもな、俺だったら国境警備隊に入りてえよ。らくそうだしな、がはははは!」
 豪快に笑う男を横目に、九九は静かにコーヒーを飲んだ。店主は今にも火花が散るのではと、冷や汗を流して二人の様子を見守っていた。奥のカップルはひそひそと話し合い、時々ちらりとカウンター席を見ていた。
「あなたはこの地区の方ではなさそうですね」
 男の身の上など九九はみじんも興味がなかったが、多少不愉快なので国境警備隊から話をそらそうと試みた。
「ああ、俺は五十鈴国の人間なんだよ。たまにこっちに仕事に来るんだ」
 貿易関係かと九九は思ったが、それを尋ねる前に男が秘密を共有したいかのような笑みを向け、声をひそめて言った。
「犀座関係さ。なんて言うんだその・・・正規の輸出は禁止だろ?けど五十鈴国にも犀座は必要なんだよ。かっこいいっつって人気もあるし、馬や牛では難しい険しい山道もやつら得意だしな。それにしても最近は野良の犀座が減ったもんでなかなか厳しいんだ」
 狭い店内、小声で話したところで会話内容は他の客にも筒抜けだった。
 つまり犀座狩りを生業にしているのだろうと九九は察した。男は全てを打ち明けるつもりはないらしく、はっきりとは言わなかったが。
「で、いい犀座は見つかりました?」
「いたのはいたんだが、うまくいかなかった。こういったことは珍しくはないんだがな。せっかく遠路はるばる来たからには、収穫はほしいもんさ。あんただってそう思うだろう?」
 男の声は元の大きさに戻っていた。
「今日も仕事に?」
 九九は男を見た。
「残念だが今日の定期船に乗って五十鈴国へ帰るさ。これを逃すと一ヶ月後だからな。収穫があれば特別便が出るんだが」
 九九は犀座狩りをする男達、それを斡旋する者の話を、ファイアノイドから幾度となく聞いたことがあった。直接犀座を襲って捕まえる犀座狩りはかなり荒いやり方で、その行為自体違法である。捕らえた犀座は男の言う “特別便” に乗って外国へ運ばれる。犀座狩りはリスクも大きく不確実だが、その分捕らえた時の報酬が高かった。売買までに仲介する人間は特別便で迎えに来る船乗りぐらいだ。他に誰かの手を借りることがあったとしても、犀座飼育業者から買うより安くすむのだろう。犀座飼育業者から買うというのはもう一方の密輸方法で、業者としては自分の売った犀座が海を渡っているとは知らず、もちろん0境国内で活躍すると信じている。しかしどこかの飼育場所で育てられた犀座が、民衆の知らないルートを通って外国で売買されていることがあるのが現実だった。
 国はそういった事態をわかってはいるものの、いつどこで取引がされるか把握することは困難だった。九九は国境警備隊として、今ここでこの男を検挙しようと考えた。今回の仕事は失敗に終わったとはいえ、犀座狩りをしていることに間違いはなく、これまでに受けた報酬があるはずだ。このまま五十鈴国に帰すというのは甘い。
「僕は九九と言います。名前、聞いていいですか?」
 粗っぽいのは嫌いだった。できる限り順序立てて進めたいのが九九のやり方だ。
「九九?変わった名だな。俺は安土。五十鈴国では珍しくもない名だよ」
「いらっしゃい」
 新たな客が入ってきた。子供のように小柄な青年を見て九九は驚いた。
「武伏」
「よう兄貴」
 武伏はよいしょ、と言って九九と安土の間に座った。彼にとってカウンターの椅子は高すぎた。足が床に届いていない。
「悪いなおっちゃん、すぐ出るから気にしないでくれ」
 武伏は店主に注文するつもりがないことを伝えた。
「なんでお前がここに?」
 九九が言った。武伏とカフェで隣り合わせるなんて奇妙な偶然だった。いや・・・偶然ではないのか?
「今日は兄貴に用があるんじゃないんだが、兄貴がそっちのおっさんのことを知ってたら国境警備隊の手を煩わせるかもしれないな」
 武伏は厨房に並ぶグラスに顔を向けたまま言った。奥に座る安土はすぐに反応した。
「おっさんてのは俺のことか坊主」
「ああそうさ。さっきはやってくれたな」
 武伏は安土を見ず、上着のポケットに手を突っ込んだ。
「さっき?」
 九九が聞き返した。
「そいつは犀座狩りだ。うちの犀座小屋を狙った」
 武伏のこの言葉で九九はおおかた理解した。騎兵団の犀座を狙うなど大胆な・・・武伏は犀座狩りの安土を追ってここへ来た。
「だから兄貴、あとは俺に任せてくれればいい。騎兵団で起きたことだ。こっちで片付けるよ」
 これで九九が動く必要はなくなった。安土にとっては九九に検挙された方がましだっただろう。
「おいおい、勝手に話を進めるなよ。坊主が俺をどうするってんだ」
 安土はへらへらと笑っているが、明らかに緊張していた。残りのビールを一気に飲み干し、椅子から立ち上がった。
「ほらよ」
 カウンターに金を出し、酔いのせいでぐらつきながらもそそくさと店を出ようとした。
「全くこんなガキに。気分悪いぜ」
 安土は武伏を睨んで出ていった。
「いいのか?行かせて」
 九九は隣に座る武伏を見た。
「またあとで会うさ」
 武伏は相変わらずカウンター越しに厨房を見つめたままだった。店主は張りつめた空気が和らぐと胸を撫で下ろし、空いたビールジョッキを下げた。とりあえず、店の中で問題が起きずに済んで良かった。再び奥のテーブルからカップルの話し声が聞こえてきた。

「おっちゃん、やっぱりサイダー頼む」
 安土が出ていくと、今までのやりとりがなかったかのように武伏は軽快に言った。
「はいよ」
 コーヒーを飲み終わった九九は立ち上がろうとしたが、武伏が制止して言った。
「待ってくれよ兄貴、ちょっとぐらい話そうぜ」
 意外な誘いに九九は驚いた。
「お前そんなに話好きでもないだろう」
「二杯目は俺がおごるからさ。おっちゃん、コーヒーもう一杯」
「はいよ」
 九九は諦めて少しの間武伏に付き合うことにした。店主はカウンターにサイダーを置いた。鮮やかな青いソーダのグラスの底には、宝石のようにカラフルなゼリーが入っていた。
「何をたくらんでる?」
 九九はあからさまに警戒心に満ちた表情で言った。騎兵団の人間と話しているとファイアノイドの影がちらつく。
「何もたくらんでねえよ。ただ雑談がしたいだけさ。騎兵団とか国境警備隊とか関係なく」
「面白い話なんかない」
「ほんっと騎兵団のこと嫌いなんだな。昔いたくせに」
 武伏が騎兵団に入ったのは九九が抜けたあとだった。九九が騎兵団に敵対心を抱いていることは武伏にとって深い意味を持たない。ただそれぞれの考えが違うだけのことだ。
「仕事しに行かなくていいのか?犀座狩りのおっさんを捕まえに」
「仕事はするけど。その前にそうだな・・・兄貴が騎兵団を抜けた時のことと、国境警備隊設立の話を聞かせてほしい」
 武伏の黒々とした目は少年のように光っていた。
「なんでまたそんな話、ファイアノイドに聞けよ」
「ファイアノイドより兄貴からの方が聞きやすい」
「なんだそれ」
 九九は呆れて力が抜けた。なめられているのか、純粋に兄貴のように慕っているのか。
「もう十何年前の話だな」
 九九はどこから話そうか考えながら言った。武伏はサイダーのゼリーをストローでつつきながら耳を傾けている。
「『庭』のことは知ってるな?」
 武伏はうなずいた。
「『庭』がなくなり、犀座が騎兵団の手に渡ってからは育て方が変わった」
 二杯目のコーヒーが九九の前に差し出された。


 九九がファイアノイドにつれられて、犀座騎兵団に入った頃の話だ。ここでは戦闘のための犀座が求められている。戦闘目的で犀座を育成するなど、招集された訓練士にとっても初めてのことだった。騎兵団に入る以前どんなに優秀な訓練士でも、試行錯誤を繰り返しながら訓練法を確立させていくことは容易ではなかっただろう。のちに『戦闘犀座育成論と実践法』という教本が作られた。新たに騎兵団の訓練士となった者はこの教本で育成のノウハウを学び、また彼らの経験の中で、教本の内容は何度も書き換えられ現在に至っている。その育て方は九九がかつて『庭』で見た光景とは違っていた。ここでは荷車を引く犀座ではなく、人と共に戦う犀座を育てているのだから当然だった。
 生活のため九九はファイアノイドの元にいる間、戦士としての訓練を受けながら逆らうことなく大人達に従った。疲れた時はよく犀座を見に行った。薄茶、若葉、乳白、桃、鉛。五色全ての色の犀座が存在するのは国の飼育施設の中で犀座騎兵団だけであった。かつては『庭』で育てられていた犀座達。九九は犀座が好きだった。美しく、人間と心を通わせることができる彼らが。
 二十歳になって、九九はファイアノイドの元を去った。限界がきたのだ。戦闘用犀座を育てる騎兵団にこれ以上居続けることは不可能だと思った。そもそも考え方が違っていたのだから。ファイアノイドは止めなかった。当初こそファイアノイドは九九の考えが変わることを期待して、彼を自分の後継者に育て上げようと試みていたが、それは無理だとはっきり感じたのだろう。こうなることは時間の問題だとわかっていたようで、別れはあっさりしたものだった。
 騎兵団を出てまずは国王のところへ行った。その道中、微風と久々に再会した。微風は城の兵士として立派に成長していた。城の門前に立つ背の高い彼を見上げて九九は言った。
「王のところへ行って戻ってくるから、その時また会おう」
 微風はうなずきも何の反応も示さず、目だけ左右に動かした。
 その後は二人、国境警備隊という国王直属でありながら城の兵団とは異なる組織を結成させた。九九の考えは犀座騎兵団の先を行くことだった。国境警備隊が国王の直属となることで、犀座騎兵団が0境国一の軍事力として名乗りを上げられない状況を作った。犀座騎兵団はファイアノイドをトップとした独立した組織だ。ただ戦闘犀座訓練のノウハウを持っていることで重宝されているだけ。
 犀座を持たない国境警備隊の立場を大きくするにあたって、無視できないもうひとつの組織があった。それは微風の古巣、城の兵団であった。彼らは主に城内の警備と、都や国内の中心を守っていた。国境警備隊はその名の通り国境近辺の警備を任されたが、これまで兵団が手薄となっていた田舎や郊外の警護にも進んであたることにした。


「城の兵団の手が回らないところを、僕達国境警備隊が守ってるんだ」
 九九はコーヒーをすすった。一杯目より胡椒の量が多かった。
「兄貴も苦労してるんだろうな。知らないところでさ」
 武伏が感慨深げに言った。
「ていう作り話だけどな」
 九九が言った。
「えっ!?」
 九九は思わず吹き出した店主と顔を見合わせて笑った。
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