初夏 6月2日 ③

文字数 2,644文字

 国境警備隊隊長の微風は深緑色の封筒に入った手紙を持ち、大股で頭首の住まいである塔の螺旋階段を上った。黒く長い髪を三つ編みにした彼は細身の長身で、色白の涼しげな目をしている。スッと鼻筋の通った美形の顔立ちが外国にルーツを持っているかのように思わせた。
 宿舎には二つの建物があった。彼ら隊員達が生活する屋敷と、九九の部屋がある円柱形の塔。二つは渡り廊下でつながっていたが、屋敷から塔まで行くのに足の長い微風でも五、六分かかった。上司の部屋は五階で、一日に何度も行き来するのを避けるため極力用件はまとめて伝えるようにしたかったが、結局は彼の思うように往復回数を操作することなどできなかった。今日は朝の時点ですでに螺旋階段を二回上っている。九九の朝の散歩習慣は知っているが時間が固定されておらず、先程は不在の時だった。

 息を弾ませて頭首部屋まで来た。扉を三回叩く。
「九九様、おはようございます。私です」
「どうぞ」
 微風はドアを開けて中に入った。
「今朝伝言を残しておいたのですが」
「見た」
 入るやいなや微風が言うと、九九は顔を上げずに右肘をついて何か書類に目を通していた。シルクハットは被ったまま。彼のこの姿勢、部屋でもシルクハットを被ったままなのは微風にとって見慣れたもので、日常だった。九九が書類に目を落としたまま手紙を受け取る仕草をしたので、微風は差し出された手に手紙を置いた。九九はすぐさま机の引き出しからレターナイフを出して慣れた手つきで封を開けた。
「昨夜ヨザクラが出たってよ。これはいい報せじゃないか?」
 九九は微かな笑みを見せて言った。微風も口元を軽くゆるめて、手紙が開かれるのを待った。
 九九はファイアノイドからの手紙を読んだ。手紙は一枚で簡潔に書かれていた。上司の顔色が一瞬曇ったのを微風は見逃さなかった。
「王が死んだ」
「え?まさか」
「急死だそうだ。原因不明、葬儀は明日、藤の園で執り行われる。ファイアノイドは仕事で城に行っていたため情報を得たのが早かった、手分けして各所へこの訃報連絡を伝えている、というようなことが書いてある。そういや昨日は犀座(さいざ)行進の日だったか」
「私はどのように・・・」
「ここにいてくれ。葬儀には僕一人で参列する。城のじいさん達も混乱の真っ只中だ。今すぐ国境警備隊に対してあーしろこーしろの指示もないだろ。国直轄の組織の中でうちは優先順位がいつだって低いからな。むしろ御上の関心がなさすぎて忘れられてそうだ。現にほら、国王崩御の報せがなんで城から直接来ずにファイアノイド経由で来るんだ?城の連中は独立組織の犀座騎兵団に信頼を置きすぎだ。国王が亡くなった悲しみがなけりゃ怒ってるとこだ」
 といいつつこの上司は国王が死んだことで悲しんでいるようには見えない、と微風は思った。
 国境警備隊は0境国国王直属の組織だが、そのわりに九九の言うように重要視されていなかった。犀座騎兵団という別の組織の存在が国にとって大きくなってきていることが関係しているのは明らかだった。九九の不満が日毎に増していることに微風は気づいていた。部下の前では感情をあまり表に出さない九九でも、微風に対しては少し違った。愚痴も吐けば些細なことで喜んだりもする。物事の良し悪しでくるくると表情を変える子供っぽい面があるのだ。
「犀座行進はしばらくなくなるのでは?」
 先程九九が付け足すように言った一言を微風はもう少し聞きたくなった。
「ないないない。これから国中が喪に服すというのに、そんな時に悪趣味なパレードはしない。というかもう一生しなくていい」
 ちょっと幼稚な言い方か、と微風に思われそうだということは九九もわかっていた。

 0境国には「犀座(さいざ)」という犀より一回りも二回りも大きい生き物が住んでいた。見た目は犀そのものだが、走る速度はその二倍の時速百キロ程、とりわけ持久力に関して、犀座はどの生き物より群を抜いて優れていると言われていた。皮膚の色は五種類で、薄茶、若葉、乳白、桃、鉛と色別されており、鉛色の犀座は一番硬質の肌を持っている。屈強な見た目とは反対に気性が大人しく人になつきやすいことから、犀座は建造物を建てるための材木、石、生活に必要な物資や農作物の運搬、また背中に人を乗せて運ぶ移動手段として0境国になくてはならない存在となっていた。昔から人々と共生し、彼らは0境国のシンボルとして扱われ、国の発展にはいつも犀座がいると、子供達は教えられていた。
 近年、犀座の高い自己防衛力が注目されるようになった。硬質な皮膚は外傷を受けてもめざましい回復力を見せた。常に一定の体温を保ち、気温の変化にも影響されることはない。さらに犀座は訓練次第で戦闘能力を伸ばすことができた。犀座同士集団行動をさせることにより、互いの力を誇示しようとする習性が備わっていることがわかってきた。背中に乗せた者は自分の主人とみなし、心を通わせるための手綱の動きを敏感に読み取る能力は馬以上に高いとされた。そんな犀座の特性を活かし、0境国の自衛力を高めようと結成されたのがファイアノイド率いる犀座騎兵団であった。国王からの指令を受けて動く国境警備隊とは異なり、犀座騎兵団は独立した組織だった。所属する戦士達は皆犀座乗りで、彼らの主な仕事は国の治安を守ること。そして戦闘能力に秀でた戦闘犀座を育成すること。犀座に乗って街中を巡回する戦士達の姿は都の民にとって見慣れた光景となっていた。
 さて、明日九九は国王の葬儀に参列するが、用心深い彼は常に向けられようとしている矢に警戒を緩めることはなかった。国王がいたから国境警備隊は存続していたようなもの。国王の死は自分や国境警備隊に不利に働く可能性の方がはるかに高い。誰を信じていいかはもはや思案することではなかった。国境警備隊を守れるのは九九自身だ。
「微風」
 出ていこうとする微風を九九がふいに呼び止めた。
「はい」
「喪服がなかった」
「八年前、王妃様が亡くなられた時に着られた喪服があるでしょう?それでいいのでは」
「あの頃はまだ二十代だった。今着るにはおかしく見えないか?」
「おかしくありませんよ。あなたがそういうこと気にするとは」
 微風は九九の着ているものを手振りで指し、にやっと笑って部屋を出ていった。九九には微風がそのあと言おうとしていた台詞が手に取るようにわかった。自分のファッションセンスを笑われた気がした。
「これは制服だ。僕がえらんだものじゃない。シルクハット以外は」
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