風の草原地帯 ③

文字数 2,098文字

 いつも勉強を教えてくれていた若い女の先生が体調をくずした。先生の家まで行ったものの、すぐに授業ができないことを告げられた日のことだった。(はかり)の他には二人の男子生徒がいた。彼らも先生の家まで来たところ、今日が休みであることを知った。
 勉強が好きな図は休みになってがっかりしたが、二人の男の子は顔がにやけて明らかにうれしそうだった。先生が体調をくずしたというのに。
 三人は来た道を引き返した。男の子達はふざけ合いながら歩いていた。図は少し離れて彼らの後ろをとぼとぼと歩いた。周囲には田園地帯が広がり、他に人は見当たらない。天気の良い朝で、空気はからっとしていて心地良かったが、つい先程通った道を数分後に引き返すというのは面白味がなかった。図はつまらなさそうにうつむいていた。カエルの鳴き声がした。左右に延びる畦道。どれも一定の幅を保っており、等間隔で田んぼを区切っている。それに気がつくと図は見慣れた田園地帯が何だか面白い風景に思えてきた。多くの自然の中に、計算された人の知恵や思考が感じられたからだ。気づいたことを次、先生に会ったら言ってみようと思った。そんなことを考えながらよそ見をしていたら、距離をあけて歩いていたはずの男の子達が視界の真ん前に現れた。図は鼻からぶつかりそうになり驚いて一歩退いた。
「どうしたの?」
「見ろよ、犀座がいる」
 一人の男の子が指し示した先に、犀座が二頭、小道の草を食んでいた。
「野良犀座だ」
「乗ったことあるか?」
「ないけど」
 図は犀座に興味はなかった。都の犀座行進も見に行ったことがない。
「子供の犀座だな。ちょっと練習してみようよ」
「うん」
 男の子達はそろそろと犀座に近づいていった。
「練習って何の?」
 図にはどうでもいいことだった。犀座なんか放っておけばいいのにと思った。
 二人の男の子はいとも簡単に犀座に乗り、緊張感を漂わせながら引きつった笑みを見せた。乗ったはいいがここからどうしようという風だ。
「あんた達犀座騎兵団に入るつもり?」
 図は犀座に近寄っていった。一頭は首をかしげるような仕草をし、もう一頭はまだ草を食んでいる。図が草に夢中になっている方の犀座の角に触れようとした瞬間、もう一頭の犀座が男の子を乗せたまま図めがけて突進した。


 今から七年前の出来事だった。図にはあの時の犀座の行動が未だにわからなかった。衝撃を受けてしばらく気を失い、気づいたら自宅のベッドにいた。身体中が痛かった。その後は徐々に回復し、後遺症もなく元気になった。突進した犀座に乗っていた男の子は振り落とされたが軽傷で済んだと聞いた。しかし以前のように彼らが先生の家に行って勉強を教えてもらうことはなくなった。
 犀座に植え付けられた恐怖を持ったまま何故、自分は犀座騎兵団にいるのか。これも謎だった。入団してすぐの頃、ファイアノイドにこの話をしたら、彼はこう言った。
「その恐怖心は忘れるな。犀座を理解するために騎兵団に入ったなら、それは一番大切なことだ」
 犀座を恐れろということなのか・・・
 図は下唇を噛んだ。眼前に広がる光景に冷静さを失うまいと、今考えていたことを振り払った。倒れる人、馬、起き上がらない彼ら。犀座に乗りながら彼らをよけて前進する自分にひどく嫌悪感を覚える。戦場の中心となっている場所から少し離れたここへ、漂うようにやって来てしまった。遠くの方で弓を引く兵士の姿が見えた。自分を狙っている。よけずにこのまま前進しようか。どうせ楯はないのだ。あきらめの意思を表すかのように剣を下ろした時、弓矢が放たれた。
 無意識のうちに目をつむっていた図が次に目を開けた時、そこには杏那が立っていた。犀座には乗っておらず、彼女が楯で弓を防いでくれたおかげで図はまだ生きていた。
「その子を私にゆずってくれない?」
 杏那は振り返って図の乗っている犀座を指さした。
「え?」
「早く降りて!」
 半ば奪うかのように強引に犀座に乗ろうとする杏那に気圧されて図は地面に足をついた。その拍子に折れた弓矢を踏んづける音がした。
「杏那さん・・・!」
 図が言いかけた時、すでに杏那は腰に装備していた弓矢を抜き、構えに入っていた。彼女の視線の先に今しがたこちらを狙っていた敵が見える。再び別の角度から矢を射とうとしていた。しかし的を正確に射抜いたのは杏那の方であった。敵は馬からくずれ落ち、立ち上がることはなかった。
「乗った方が目線が高くなって敵の姿が見やすかったのよ。悪いけどあなたはもう戦力外。この犀座は私がこのまま引き継ぐわ」
 図は呆然と立ち尽くしたまま犀座に乗って行こうとする杏那の後ろ姿を見ていた。戦力外。悔しがるどころか、ほっとしている自分がいた。
「杏那さん!」
 どうせ最後。聞いたっていいだろう。
「恐くないのですか?戦いも、犀座も」
 杏那は犀座を止めた。そして犀座ごと体を図のいる方へ向けた。
「恐くはないわ。私はあなたと違って、頭で考える前に体が動くから」
 図は心底、自分にはこの仕事は向いていないと思った。
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