初夏 6月2日 ②

文字数 1,598文字

 国境警備隊宿舎。かつて王族の親戚が住んでいたとされる、要塞のような冷たい灰色をした城が彼らの拠点だった。国内で一番大きな建造物は国王の住む都の城だが、その次は収容人数三千人以上の円形歌劇場だと言われている。しかしわずかながら国境警備隊宿舎の方が歌劇場より坪数が上であった。二番目と三番目が逆であろうが九九は気にしなかったが、以前は城と呼ばれたこの建物にも誇りはあるだろうにと同情したくなる時があった。
 宿舎には百五十人の警備兵達が共同生活をしながら0境国の安全管理に務めていた。その仕事は主に国境沿いの警備であったが、他国からの武装兵士達の侵略に備えた訓練も日々行われていた。

 北に千日国、南に五十鈴国(いすずこく)という大国にはさまれた0境国。この小さな国の平和を保っているのは、国王から0境国を守ることを仰せつかった国直属の守護者、別名ガーディアンとも呼ばれる国境警備隊の存在があるからだと多くの人々は信じていた。本当のところ、国を守っているのは表向きは人であるが、根っこの部分では人ではない・・・そのことを忘れていないのは九九と、ごく一部の0境国民だけであった。

 九九は朝食のあと、朝食といってもペッパー入りのコーヒー(彼の嗜好はさておき)を飲むだけだが、いつも仕事の前に宿舎の周辺を歩いた。短い草がまばらに茂る六七河川沿いの(こみち)を歩き、馬車道から馬小屋を横切って郵便受けをのぞいた。馬小屋も郵便受けも宿舎の敷地から離れた外にあった。なぜ離れた場所に郵便受けがあるのか十年以上ここに住む九九にもわからなかった。こういう意味のない小さな「なぜ」が外国からすると0境国を得体の知れない国にしている気がしてならない。今朝郵便物は入っていなかった。

 川は雨のあと増水しているようだったが今はもう穏やかで、空気は澄んでいる。ただ初夏だというのに気温は低かった。0境国の短い夏はもうすぐそこまで来ているはずなのに、なかなかコートが手放せない。九九は頭をすっきりと目覚めさせてくれる朝の冷たい空気が好きだったが、寒いのは苦手だった。コートのポケットに手を入れ、気持ち足早に歩いた。季節は足踏みしているが道端には夏の朝に開くツユクサが、品のある青い花びらを咲かせていた。控えめなようで可憐な存在感を放つツユクサを愛しく感じながらも、ふいに吹く冷たい風に身震いした。
 今日は一歩も外へ出ないことに決めた。上からの厄介な指示がない限り、自分の部屋で仕事をして一日を終えるのだ。なんとなくゆるい決意をして、九九は宿舎へと戻った。
 朝食に向かう部下達の渡り廊下を歩く足音、気だるそうな話し声が聞こえてきた。九九は彼らと顔を合わせないように自分の仕事場兼寝室のある部屋に戻ろうとした。別に顔を合わせたくないわけではないのだが、まだ目が覚めきらない就業前に上司である自分に気を遣わせたくなかった。

 自室の扉にメモ書きがはさまれていた。適当な紙に走り書きされている。

 “ファイアノイドより手紙をお預かりしています”

 微風(びふう)の字だ。手紙?今朝郵便物は入っていなかったが、九九より早く微風が回収するというのはよくあることだ。こちらから言わずとも仕事が始まればやつの方からこの件でまた来るだろうと思いながら、九九は部屋に入った。正面には松の木でできた机が置かれている。アンティークのランプが暖かい光で机の上を照らしていた。昨日の夜読みかけにした本がそのまま開かれている。読みかけというより、開いた状態でやっぱり読むのをやめにしたのだ。疲れて文字が入ってこなかったことと、隊員が都で買ってきた異国情緒香るマンゴーサイダーケーキを優先させたからだった。
 机の後ろの窓から、カーテン越しに弱々しく朝の光が入ってくる。九九は窓辺まで行って外を眺めた。0境国の朝は静かだ。どの場所よりも、ここで迎える朝が九九は好きだった。
 就業時刻まで三十分を切った。
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