風の草原地帯 ⑥

文字数 2,741文字

「九九様」
 九九とお供の隊員二人は風の草原地帯に入ってすぐ、微風と合流することができた。九九が宿舎を離れ、いずれ戦場に来るであろうことを微風は直感的にわかっていた。
「よう。疲れた顔だな。大丈夫か?」
 九九達三人は馬を止めた。
「ええ。相当数の犀座兵を相手にしたものですから、少々疲れました。ここでしばらく休めたのでまた動けます。九九様も、ご無事で何より」
「僕はどうもない。ところで戦況はどうだ?うちが攻めてるってのは本当か?」
「本当です。互いの兵がずいぶんばらけてしまって全体が見えてきませんが、風車群の周辺が戦いの中心地となっています。周囲に散らばった国境警備隊の兵士達も、動ける者は中心へと戻っているようです。そちらではきっとまだ・・・」
 九九は少しの間考えにふけった。周りの者は次に九九が口を開くのを待った。
「微風はまだここにいろ」
「ええ。武伏の相手をしなければ」
 疲れた顔に笑みを浮かべた微風を見て、九九はほっとしたような、心配なような兄心を抱き、複雑な心境ながらも優しい眼差しで微笑み返した。
「頼もしいな。お前はいつも」
 九九は再び馬を走らせた。隊員二人は去り際、微風と握手を交わしていた。
「九九様!」
 微風が呼び止めた。珍しいことだった。九九は馬を止めて振り返った。
「私もそちらへ行きます!必ず!」
「わかってるよ。お前のことは心配してない」
 九九は笑って言った。昔読んだ青春小説の一幕が頭に浮かんだ。その物語では確か、親友と別れた主人公が向かったのは結婚式場だった。境遇が違いすぎる。
「戦士達が戦場から散らばったのは作戦の一つでしょうか?」
 風車群へ向かう途中、元教師兵が聞いた。
「さあな。ただ真っ向から犀座に向かえば馬はやられる。うちの戦士は逃げながら戦ったのかもな。犀座ってのは集団行動することで互いの力を誇示しようとする生き物だ。これは臆測だが、散らばってその状況を作らせなければ大したことないのかもしれない。集団行動している時とそうでない時、どの程度凶暴性に差が出るのかは僕にもわからない。」
「犀座の特性ですかい。戦闘犀座が実戦に駆り出されるのは意外にも初めてなんでしょう九九さん。長年その存在だけで、0境国は外国から一目置かれてる。それはそれですごいことなんだろうが・・・犀座行進の練習だけしといてくれりゃいいのにな、戦う訓練じゃなく」
 中年兵の言葉に九九はうなずいた。
「そう、“集団行動” というのもあいまいな言い方でな。犀座行進や犀座訓練の時も集団行動だろう?具体的に何頭の犀座が集まれば彼らの特性が発揮されるかというのは実のところわかっていないらしい。まあ微風の言い方だとこっちが散らばり作戦したわけじゃなく自然とそうなったみたいだな。勝利の女神様がこちらに微笑んでくれてると信じよう」


 杏那は息を呑んだ。風があまりに強く吹いたから。それによって羽根車の回転が勢いを増したから。そして整列する風車小屋と風車小屋の間に座り込むファイアノイドと、彼と向かい合う煙管の姿が目に入ったからだった。
 ファイアノイドは尻をついて右腕をだらりとさせていた。彼が持っていたはずの剣は、煙管の足の下ですでに折れていた。
「ファイアノイド・・・」
 独り言をもらすような小さな声。
 杏那が駆け寄ろうとした時、ファイアノイドが叫んだ。
「来るな!」
 その直後、剣を踏みつけていた足で、煙管はファイアノイドを蹴り飛ばした。杏那は両腕を前に身構えるようにして目を覆った。ファイアノイドは杏那の視界から消えた。信じられない光景に混乱して足がすくんだ。ファイアノイドの所へ駆け寄りたいのにできない。煙管が恐い。
「煙管、」
 ふるえる声、これまで幾度となく口にした名前。杏那は今日一番の勇気をふりしぼる気持ちだった。微風と対面した時よりずっと恐かった。
「どうしたの?何があったの?ファイアノイドは相棒でしょう?」
 煙管の巨体が杏那の方を向いた。杏那の頭の中は逃げることでいっぱいになったが、ぎりぎりのところでこの場に留まった。根性一つで戦場にいる。我を失うまいとする心が、沸々と怒りを呼び起こした。
「何をしたかわかってるの?犀座の手本となるべきあんたが、主人を裏切るなんて!」
 杏那の声は煙管に届かなかった。巨体の犀座は尻を向けて走り出した。戦線離脱してゆく煙管の後ろ姿は、まるで似つかわしくない鎧兜を身につけた野生の犀座のようだった。


 乗り手の主人を失った犀座が数頭うろうろしている以外、誰も動きはしない。九九達は風車小屋の周りに倒れる両軍の戦士達、馬、犀座を目の当たりに、用心深く彼らの間をゆっくりと歩いた。
「戦いは終わったんでしょうか?」
 元教師兵が言った。
「なんか違和感があるな」
 と中年兵。
 前を歩く九九が立ち止まり、倒れている国境警備隊員のそばにしゃがんで話しかけた。
「大丈夫か?」
 九九の穏やかな声を聞いた隊員は言葉にならない小さな声を発した。落馬したようで左腕を骨折している。彼のそばには砕かれた楯があった。
「しゃべらなくていい。頭だけ動かして答えてくれ。ここが戦場の中心部だと聞いているが、兵の数がずいぶんと少ない。大方周辺に散らばったんだろうが、それにしてもだ。一部のやつは逃げたか?」
 お付きの二人はどきりとして九九を見た。逃げるなんてまるで考えられなかった。
「・・・・・」
 倒れている隊員はうなずいた。
「うちの兵か?誰をかばうとかはなしで正直に答えてくれよ」
 兵士は首を横に振った。
「騎兵団の一部?」
 今度はうなずいた。
「途中で犀座が言うこときかなくなったとか?」
 隊員はうなずいた。
「ファイアノイドが参戦した?」
 またうなずいた。
 九九は立ち上がってお付きの二人に言った。
「犀座は戦闘には向いてないってことだな。だけどまだ終わってない。君達は息のあるうちの隊員を介抱してくれ」
「承知しました。九九様は?」
 元教師兵は不安げに九九を見た。
「僕はもちろんファイアノイドを探す」
「やめてくれ九九さん!国境警備隊の勝ちは決まってる!」
 中年兵は力強く確信を持って言った。
「まだ武伏がいる。杏那の姿も見てない。ファイアノイドに何かあったんだ。僕はじいさんの顔を見るまで何も安心できない」
「しかし一人で行くのは危険です。先に生き残った者の手当てをして、そのあと我々と一緒に行きましょう」
 元教師兵が言ったあと、九九は少し考えた。確実に安全な方法なんてものはない。
「わかってる。約束するよ。勝利は国境警備隊にあると。僕は必ず君達の元へ帰る」
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