犀座行進 9月1日②

文字数 2,349文字

 広場は城の裏手に面していた。城門までぐるりと周って十数分かかるところ、近道を知っている九九は広場のすぐ南側にある新聞社へと入った。
 休日とあってがらんとした建物内の地下に降り、薄暗い通路を進む。
「無防備になってる休日しか使わない近道だ」
「警備員も立ってませんでしたね」
 まっすぐに伸びた通路は両端の壁に等間隔に灯りが点っていた。新聞社の建物を抜けて続く地下道に、二人の足音だけがコツコツと響いている。
「なんかしゃべってくれよ、足音だけだと気味が悪い」
 九九は後ろを歩く微風に言った。
「一人なら地下道は通らないでしょう?」
「灯りが所々消えていたことがあったんだ。引き返すのもみっともないからそのまま進んだが、距離が倍になった気がした」
「昼夜のない空間、この静けさが私は好きですけどね」
「君はそうかもな」
 地下道の終わり、弱い灯りに照らされた階段を上り切る。正面に現れた冷たい鉄の扉は何も言わないが、九九はここを開ける時いつも一瞬躊躇した。
「歓迎されてない気がするのさ」
 後ろの微風に振り向き様、ドアノブをつかんだ。

 外に出ると頭上に咲き誇る藤棚が出迎えてくれた。国王より先にこの世を去った王妃が愛した藤の花は、城内の数ヶ所で鑑賞することができた。本来春に咲くはずの藤が0境国では秋に咲く。淡い紫や白の他に、王家に伝わる伝統色、桑の実のような赤紫の藤も見られた。
 城門に立つ若い衛兵がこちらを訝しげに見ていた。知っている顔なら九九も話が早いが、初対面だと少々説明が必要だった。
「国境警備隊の頭首、九九と申します。生前国王には多大なるご厚情を賜りました。まだお忙しく落ち着かない状況であることは承知しておりますが、本日は国王補佐官にお会いしたく参りました」
 堅苦しいぐらいが相手に記憶されなくていいと、九九はこれまでの経験から感じていた。目線を落とした時、衛兵のズボンのポケットからとかげの子が顔を出していることに気がついた。
「お約束ですか?」
 衛兵は本日の来客予定を確認しようととかげの入っていない方のポケットからメモ帳を取り出した。
「いえ、約束はしていません。急な来訪ですので無理にとは」
「少々お待ちを」
 衛兵は待機小屋に入っていった。通信機器で誰かと話をしている。片耳にお椀型の受話器をあて、ラッパ型のマイクに向かって喋っている姿は一人で糸電話をしているように見えた。
「了解。お通しします」
 マイクと受話器を置いて待機小屋から出てくると、衛兵は一礼し、九九に城の入り口を指し示した。
「国王補佐官はご自身の事務室にいらっしゃいますので、玄関でお待ち頂ければすぐ・・・」
「ああ、そうさせてもらいます。ありがとう」
 衛兵は玄関まで案内しようとしたが、九九はわかりますと言って断った。
「彼しかいないのに門前が無人になったらだめだろ」
 衛兵と別れたあと、九九が微風に言った。
「経験の浅い衛兵一人。城の組織図がまだ構築されていないのでしょうね。上がしっかり固まらなければ、誰がどこに立つか、衛兵達にも影響が出る」
 二人は城の玄関、青磁色に塗装された鉄の扉の前まで来たが、ここには衛兵も使いの者もいなかった。城へやって来たという緊張感が生まれないまま、九九は金の取っ手に手をかけて、左側の扉を引いた。開ける瞬間、石の床材を擦る音が物憂げに響いた。
 八角形の玄関ホール、その正面となる一辺に、白いステンドグラスがはめ込まれている。連結する一枚一枚は同じ白でも微妙に色が異なり、職人はそれぞれに名前を付けた。優しい白、静けさの白、無関心の白・・・他にも多くの表情を持った白のステンドグラスの中央には、0境国の平和と繁栄の象徴、桜色に飛翔するヨザクラの姿があった。窓から差し込む光を受けて、桜色のステンドグラスはより神々しく、柔らかに輝いていた。
「昔々、国になる前の0境国を巡って、五十鈴国と千日国が戦を始めた。それからすぐ、桜色に輝きながら夜空を舞う鳥ヨザクラは0境国から姿を消した。後に初代国王となる人が現れ、『争いが始まってからヨザクラが飛ばなくなった。あの美しい鳥は何にもない境目の土地にやってきてくれた神様なのに』と二つの国の仲裁に入った。ヨザクラの美しさを知る両国は、その神秘の存在に影響を及ぼすことがあってはならないと理解を示し、争いはまもなく終結した。何にもない土地に平穏と静かな夜、聞き慣れた日常の音。当たり前の風景を誰もが感じとった時、ヨザクラは再び0境国の空に舞い戻ってきた。同時に初代国王が誕生し、0境国は正式な国となった」
 0境国の民なら、誰もが一度は聞いたことのある話だった。しかし多くの者は忘れてしまう。ヨザクラが0境国の空を舞うことは、今や珍しくはないからだ。
「私はその話、九九様から聞きました。覚えてますか?」
 お互い幼い頃から一緒にいる。微風にとって九九は兄のような存在だった。
「『庭』時代か。君に話したのは僕だったな。しかし僕はこの話、誰に聞いたか忘れたよ」
 そう言った九九の視線の先はステンドグラスではない、と微風は思った。過去を振り返る九九の繊細な横顔は、彼の実年齢よりずっと若く見えた。
「いつか思い出すのでは?」
 微風は本気でそう思った。理由もなくそんな気がした。
「どっちでもいいけど。ただこの昔話をするたび思うんだ。0境国の平和はヨザクラのおかげだ。我々国境警備隊でもなければ、犀座騎兵団でもない」
 九九はそう言うと自虐的に笑った。
「私も、そう思います」
 限りなく近い考えで国境警備隊にいる微風にとっても、0境国の平和のシンボルはヨザクラだった。
「お待たせして悪かったわね」
 玄関ホールの奥の階段から、年配の女性が降りてきた。
「待ってませんよ。お久しぶりです、水戯(みずき)さん」
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