風の草原地帯 ②

文字数 2,789文字

 九九は国境警備隊宿舎を囲む背の高い鉄柵にもたれかかり、五感を研ぎ澄ませた。こんな時目をつむると、まぶたを閉じることに意識がもっていかれ他の感覚が疎かになる。無心になって立ち尽くしても雑念が生まれるだけ。落ち着かなげに鉄柵から少し歩み出て、両手を左右の耳の後ろにつけてみた。遠く離れた風の草原地帯で戦いが始まっている。戦場の声、剣と剣がぶつかる音、犀座や馬の駆ける震動、耳に意識を集中させても風にのって伝わってくるものは何もなかった。
「静かだな」
 九九が言った。総大将である彼と共にいる二人の隊員は、どちらが応えるか確認し合うように互いを見合った。
「もう始まっているはずです」
 入隊五年目の隊員が言った。左目下に涙ぼくろがある彼は元々教師をしていた。何故国境警備隊に入ったか本人は語りたがらないが、彼が戦闘用犀座に深い嫌悪感を抱いていることを九九は知っている。
「情報係がじきにやって来るでしょう。途中誰にも捕まらなければ」
 年嵩の無骨なベテラン隊員が荒っぽく言った。簡素な木のいすに座って腕組みをしている。
「君達の将来に、僕は責任を持てなくなってしまったな。すまない」
 九九は遠くを見つめて言った。今言うべきことではないとわかっていながら、ざわつく心を抑えきれずにいた。犀座騎兵団との戦いが決まってからというもの九九は、平和的解決策をずっと考えていた。
「それはもう聞きましたよ。集会なんてほとんど開かなかったあんたが珍しく全員を集めて話をした。そりゃ驚きました。しかし九九さん、謝るのはこれで最後にしてくださいや。我々はこの十数年、それなりに楽しかったんですから。まあ、国境警備隊と言いながら外国じゃなく国内の勢力と争うなんて思っとりませんでしたがね」
 中年兵は笑っていた。疲れた笑みではあったが、人好きのする顔。目尻が下がるとそれがわかった。
「そうですよ。我々は九九様に感謝しているんですから」
 元教師兵が続ける。
「感謝?なぜ・・・?」
 九九は二人の顔を交互に見た。自分が情けない顔をしていると感じながら。
「国境警備隊を作ってくださった。九九様が」
「それに俺達みたいな、もう若くもない半端者を雇い入れてくれたやないですか。自分より年上の素人はさぞ扱いにくいだろうに。始めっから優しく接してくれたんだ九九さんは」
 九九は言葉が出なかった。部下達からは敬遠されていると思っていた。自分が幸せ者であることに、今気づいた。
「情報係が来たようです」
 宿舎に続く長い馬車道を、情報係の隊員が馬にまたがりこちらに向かってやって来た。九九の前まで来ると、馬から降りて一礼した。太い眉に真一文字に結んだ口が意志の強さを感じさせる彼は、九九と同い年だった。
「遅くなって申し訳ありません」
「ごくろうさん。先に水でも飲んだらどうだ?」
「いえ、大丈夫です、ご報告申し上げます」
 情報係の隊員は口数が少なくいつも他の隊員とは距離を置いているようだった。九九は彼が職場に馴染めないのかと心配していたが、そうではないとわかったのはつい最近のことだった。情報係の仕事を彼に依頼する時、少しだけ話をした。慣れ親しんでしまったら、別れが訪れた時つらくなる。自分は孤独が人一倍怖い人間だからと言っていた。
「ファイアノイド率いる犀座部隊は約五十から六十です。風の草原地帯で三十分程前に前線が衝突しました。百五十の微風部隊も相手が犀座では力負けしてしまい、最初の接触ですでに数十頭が倒されました」
「ファイアノイドも風の草原地帯にいるのか?」
「ええ。自ら剣をとって煙管と共に。しかし少なくとも私が草原を離れるまでの間動きはありませんでした。杏那・・・杏那さんがぴたりとそばについておられます」
 情報係は何に気を遣っているのか、できるだけ丁寧に聞こえるよう言葉を選んで話した。それにしてもファイアノイドが戦場にいるというのは想定外、いやな予感がした。
「武伏は?」
「見当たりませんでした」
 これは予想通りだ。武伏は単独行動が多い。そしておそらく彼はこちらに来ている。九九の様子をどこか遠くで見張っているに違いない。老体のファイアノイドが戦場に赴くのは勝利への自信と、戦場記者に明日の一面に飾る写真を撮らせるため。写真には自分と煙管が写っていれば十分なのだ。そんな少し先の輝く未来が見えていながらも用心深く武伏を国境警備隊側へ送るのがファイアノイドだ。
「向こうがやられるのも時間の問題だな」
 元教師兵が言った。
「・・・俺達はここで待ってるだけか」
 中年兵は左膝頭をばしっと叩いた。眉間に深い皺が刻まれている。
「戦場に行きたいか?」
 九九が問う。
「今は・・・ここにいることが俺達の役目ですから。しかしどうにも落ち着かねえな」
「それは皆同じ気持ちだ。九九様を困らせるな」
 元教師兵が言いにくそうに中年兵をなだめた。
「まだもう少し、ここにいる必要がある。僕がいいと言うまで、君達もいてくれるか?」
 九九は再び鉄柵にもたれかかった。二人の兵士は九九の言葉の意図が理解しきれず不思議そうな顔で返答した。
「私達の任務は、九九様をお守りすることですから」
「まさか九九さんを置いて戦場に向かおうなんて思ってやしませんて。俺達は生き残って戦況を最後まで見守らなきゃならない。そんなことしようもんなら微風隊長にどんな仕置きをくらうか」
 九九は軽くほほ笑み、うなずいた。
 九九の勘では今動くと武伏が動く。九九の首をすぐとりにこないのはファイアノイドからの指示か、うかつに出たところで無傷ではすまないと思っているからか。気配は感じないが、彼はどこかで必ず見ている。このことを想定していた九九は武伏をどうにかしなくてはならないと考え、二人目の情報係を風の草原地帯に送り込んでいた。九九以外誰も知らない二人目の情報係に与えた任務とは、

“戦況が五分五分になった頃、宿舎へ向かえ。そして我々には国境警備隊が優勢であると伝えろ、嘘でもな”

 というものだった。そう言えば武伏は危機を感じて犀座騎兵団のもとへ行くだろう。向こうには微風がいる。武伏と唯一互角に渡り合える微風がまだ生きていれば、二人の一騎討ちになるはずだ。

 今から起こることは全て国境警備隊の、いや九九の足掻きだった。国境警備隊の敗北は濃厚だとわかっている。だが一秒でも長く騎兵団を手こずらせたい。そのためには厄介な武伏を九九から離れさせ、九九自身が戦いに参戦するため、誰にも邪魔されずに風の草原地帯へ行かねばならない。微風やここにいる二人の隊員は九九が戦場へ行くことを良く思わないだろうが。
「ただの負け戦なんかじゃないぜファイアノイド」
 熱を帯びた小さなつぶやき。九九はふと、明け方に飛ぶヨザクラの話を思い出した。朝日に照らされたヨザクラは何色だったか。彼の話をちゃんと聞いていればよかったと思った。
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