初夏 6月2日 ①
文字数 792文字
水溜まりの上にしゃがみこみ、映る自分の顔を眺めながらうんざりした。ダブルボタンの制服、そこからのぞくワインレッドのネクタイ、防水性の高い黒ブーツ、濃紺のロングコート。知り合いの仕立て屋からすすめられて被るようになったシルクハットは少しばかり高価なものでお気に入りだが、これらの組み合わせはどうも垢抜けない。三十も数年過ぎれば自然と男の余裕や着飾らない色気が出るかと思っていたが、それは人によるらしい。とりわけ九九という男にとって、自分を魅力的にみせる方法というものがよくわからなかった。
九九は0境国側の橋の先端に行き、夜勤を終えようとしている警備兵に声をかけた。濡れた雨具をたたみ直すことに気をとられていた彼は慌てて敬礼した。
「お疲れさん。何か変わったことは?」
「昨夜ヨザクラが現れました。雨が止んだあと気温が下がった時分に。西の空へ向かって飛んでいきました」
「そうかい。鳥は自由でいいな。国境なんか関係ないもんな。君は外国へ行ったことがあるか?」
警備兵は目をキョロキョロと落ち着かなげに動かした。九九は普段こんなにも自分に話しかけないからだ。珍しいと思うと同時に早く解放してほしいと思いながら、彼は答えた。
「いいえ、私は0境国生まれ0境国育ちなもので」
若い警備兵は照れ臭くなった。自分のことを話すことがなぜか。
「僕もだ。今日はこのまま上がりだろう?いい休日を」
九九は柔らかい笑顔を見せてその場を離れた。