九九の子供時代 ②

文字数 4,036文字

 (三日後)
「あ~あ、やっぱ護馬がいないといいもの落としてってくれないな」
 九九は海岸沿いのボートの上で、今日の収穫を見て言った。使い古したロープやバケツ、錆びた工具に折れた傘。本当にガラクタと呼べるものが並んでいた。
「こないだ町に売りに行った貝殻のアクセサリーは良かったよな。あれも護馬の手柄か」
 そう言いながら美風は足をボートのへりに引っ掛けて、ひょいと身軽に乗り込んだ。ガラクタを品定めしていた九九は美風の手にある藍色の小さな箱に視線を移した。
「なんだそれ?」
 美風は小箱を宙に投げて自分でキャッチした。そしてガラクタと一緒に並べた。
「ただのキーケース。なんとかっていう珍しい石で作られてるんだってさ。五十鈴国製」
「なんとかじゃ価値がわからない、どこで手に入れたんだ?」
 九九はキーケースを手に取って陽の光にかざした。石でできているわりに軽く、表面には金色に色付けされた糸のような細い文字が彫られていた。誰かの名前の頭文字だろうか?
「さっき船員から直接もらった。名前聞かれて美風って字まで教えたら俺のこと女だと勘違いしたらしい。で、プレゼントだって」
 美風は整った色白のきれいな顔立ちから、女性に間違えられることがあった。また“美しい風”と書く自身の名前も女性的で、本人は嫌がっていたが時々このように得をすることもあった。
「気の毒な船員だな」
「思い出した、ていれんせきだ!」
「テイレンセキ?聞いたことないな。せっかくもらったんなら美風が持っときな」
 九九はキーケースを美風に返した。
「なあ九九、今日だろ?例の貿易商が見学に来る日」
 水平線と白んだ空の境目は曖昧で、まるで九九の心模様を映しているようだった。
「ああ、そうだな」
 沈黙。波がボートを柔らかく打つ音が、二人の会話をつないだ。
 もし売買が行われるなら止めなきゃいけない。飼育場に行くべきか、九九はこの三日間考えた。結局踏ん切りがつかないまま見学の日がやってきた。子供の自分が騒ぎたてたところで何の効力があるというのだ。見学だけで終わるかもしれない。果たして『庭』の命運がかかる事態なのか、考えすぎなのか、それもわからなくなっていた。しかし・・・
「犀座には・・・『庭』が必要だよな。俺達だけじゃなく」
 九九は美風にも聞こえない小さな声でつぶやいた。
「どうした?」
「大人に任せりゃいいそんなのって、思えないんだよな」
 九九は立ち上がって年齢にそぐわない疲れた笑みと共に苦い表情を見せた。ボートを降りて海岸沿いを歩き出す。その後ろ姿に美風が言った。
「それが九九の正義だからさ」
 二人は『庭』の犀座飼育場へと向かって行った。

 『庭』の北東、エドワードの屋敷から最も離れた場所に犀座の飼育場があった。生まれてから市場に出るまでの犀座を育てる施設が0境国内に複数存在する中で、『庭』出身の犀座は市場での評価が高いと評判だった。飼育のノウハウを築き上げたのはエドワードだと言われているが、住人の半数以上が働くここで今や彼の現役時代を知る者はいなかった。
「子供の犀座は他の施設でもたくさん見てきたが、やはりあなた方の育てている彼らが一番美しい」
 五十鈴国からの貿易商リハンは、牧草の茂る広場に放たれた犀座達を眺めて確信を得た。
「しかし・・・先程も申しましたように、市場に出る前の犀座を売ることは犀座保護法で禁じられています」
 飼育場責任者の寅追(とらおい)はリハンの強引な要望に困り果てていた。
「そのことは心配ない。五十鈴国でも犀座の飼育を始められる環境は整っている。あなた方の何人かを五十鈴国へお招きし、飼育方法を我々にご教授頂ければ、それは文化交流の一環として成り立つ。頭の堅いことを言っているのは犀座保護協会だけで、0境国の国王は子犀座の輸出をもっと柔軟に受け入れてくれるはずだ。犀座が両国の架け橋となるのだから」
「こ、国王様の許可が下りているのですか?本当に?」
「いいや、国王への報告は育成が成功してからでも遅くはない。0境国で生まれた犀座が五十鈴国で育てば、両国の友好は今以上に深まり、交流もより盛んになるだろう。反対に五十鈴国の産業を伝えるための教育機関をこちらに派遣することもできる。教えられたノウハウは互いにとって財産となるんだ」
「おたくの期待するようなことにはならないと思います。0境国では子犀座の輸出そのものが禁止されているんですから、後からどれだけ説明しても、たとえお互いの利益になったとしても、それは認められないでしょう」
 寅追は恐る恐る、しかしはっきりとリハンに言った。

「おじさん、犀座じゃなくてこっちで手を打ってくれない?」
 寅追とリハンの背後から声がした。二人が振り返るとガラクタ売りの子供、九九と美風がそこにいた。九九は両手に平たい木箱を持っている。
「九九と美風じゃないか。なぜここに?」
 寅追は子供達のそばに行った。
「寅追さん、子犀座は売っちゃだめだ。何を言われても」
 九九はリハンに聞こえないよう小さな声で言った。
「ああ・・・もちろん。けれどあの男なかなか・・・」
「大丈夫、俺に任せて」
 九九はリハンに近づいていった。木箱を開け、中のものが見えるように差し出した。
「羽?」
 リハンは腰を曲げて箱の中身に顔を近づけた。それは薄い桜色の鳥の羽で作られたペンだった。
「羽ペンだよ。ヨザクラって鳥の」
 九九がそう言うとリハンは目を丸くした。それから睨むように九九を見て、また箱の中を食い入るように見つめた。
「ヨザクラだと?未知の鳥の生態はほとんど解明されていないと聞く。羽をどこで手に入れた?ヨザクラを捕まえたのか?」
 リハンは明らかに動揺した声で鋭く問い質した。
「どこで手に入れたかは言えない。捕まえたわけじゃないけど」
 リハンは淡い光沢を放つ羽の、妖しい美しさに魅了された。
「うちのとっておきの商品だよ。子供の犀座より価値が高い」
 きっと男はヨザクラを選ぶ。九九はそう確信していた。文化交流などと聞こえのいいことを言っているが、結局は金なのだ。子犀座を手に入れたあとは、五十鈴国で見せ物にするか高値で売るのだろう。それならばより高額なヨザクラの羽を選ぶはずだ。
「いくらだ?」
「あげるよ。その代わり子犀座はあきらめて」
 リハンは羽ペンを手に取った。
 九九は今よりもう少し幼い頃、ヨザクラの大群を見たことがあった。六七河川近くに住む年上の少年と、ボードゲームに夢中になった夜のことだった。見上げると風に流れる雲は月にかかり、夜空と黒い木々のコントラストがはっきりと見てとれた。木々の揺れ方に違和感を感じた瞬間、一斉に何十羽というヨザクラが飛び立った。それまで黒い影だった集団が桜色に輝きながら月に向かって飛んでいく。その姿、迫力に九九は圧倒され、口を開けてただ呆然と立ち尽くした。我に返ったのは頭上にひらひらと一枚の羽が落ちてきた時だった。
 リハンは羽ペンを木箱の中に戻した。
「魅力的な話ではあるが、子犀座を希望する」
 九九の表情から余裕が消えた。少し離れたところで様子を見ていた美風は交渉決裂したことを瞬時に悟った。
「ヨザクラの方がずっと稀少なのに?」
「わかっている。だが今回は犀座だ。連れて帰ると仲間と約束もした。思い通りの展開にしてやれなくて悪いな、坊主」
 九九は下唇を噛んだ。
「子犀座の売買、捕まれば五十鈴国へは帰れないぞ」
「ここの連中には黙っていてもらう。当然売った側にも責任はあるからな。ばれればお前達も都合が悪いだろう。子犀座の売買が行われたことはどこにも知られないのがお互いにとって一番だ」
「都合が悪いなんてもんじゃない!『庭』の存続がかかってるんだ!」
「五十鈴国の貿易商さん、全ての犀座の輸出は禁止だよ」
 聞いたことのない声がした。美風と寅追の傍らに見知らぬ男が立っていた。
「すでに都では犀座輸出禁止令が施行されている。子供の犀座だけでなく、大人の犀座も対象となったのだ」
「そんな話は初めて聞いたぞ。誰なんだあんたは」
「失礼、申し遅れたな。私は騎兵団のファイアノイド。『庭』の民にこのことを伝えようと国王からの遣いで来たら、何やら物騒な話が聞こえたんでな」
 騎兵団。貴族相手の護衛集団、と九九は認識していた。城との関わりがあったのだろうか?
「騎兵団?ふん、信じられんな。犀座輸出禁止令など、他国の同意は得られんだろう。この小さな国に、犀座とヨザクラ以外なにがあるというのだ」
「言いたいだけ言うがよい、もう決まったことだ。寅追殿、あなたが飼育場の責任者兼『庭』のリーダーであると伺ってきた。今夜国王からの命を伝えるため集会を開きたいのだが、そういう場所はあるかい?」
 リハンは突然現れた男の自分への態度が気に入らず、また邪魔をされたことに焦りと怒りを感じた。国王の遣いの者に子犀座を買おうとしていたことを知られてはまずい。
「それならヨザクラの羽だ。坊主さっきくれると言ったろう」
 リハンは九九に詰め寄った。これには九九も腹が立った。
「子犀座を守るために差し出そうと思ったヨザクラの羽ペンか。なんとも珍しい。リハンと言ったな。お主がもしこの子の羽ペンを持ち帰ったら、私はお主が子犀座を買おうとしていたことを国王に報告する。しかし何も持ち帰らず、大人しく国に帰ると言うなら、今回のことは忘れよう」
 リハンは何も言い返せなかった。国王とつながりのある人間に逆らっては自分の身が危ない。彼は歯をくいしばり、顔を歪めて悪態をついた。
 九九はファイアノイドを見上げた。
「子犀座を守ろうと思った?俺は『庭』を守ろうと思ったんだよ」
 かわいくない子供だと思ったのだろうか。ファイアノイドは片方の眉を上げてにやっと笑った。
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