通達

文字数 5,628文字

 アカガラとイブスキが国境警備隊の敷地周辺をうろうろしているところを、橋の袂に立っている若い警備兵が見つけた。正直、見なかったことにしようかとも考えた。二頭を見る前の彼の頭の中は故郷のことでいっぱいだった。年下の幼なじみが結婚するという知らせがきてから、なぜ自分は彼女への想いを早く打ち明けなかったのかという後悔の念がずっと胸にあった。ここ数日そんなことを考えていたから、知らぬ間に心も疲れ果てていた。彼自身若いといっても、どこまでも青いだけの未来を描く時代はもう過ぎた。ふいにやってくる思いがけない出来事に、ある程度対応できるぐらいの年にはなっている。
「故郷へ帰ろうか・・・」
 小さなつぶやきの続きは、二頭の犀座の出現により彼の思考と共に中断された。

「小さいな。まだ子供か」
 微風は二頭のそばにかがんで、アカガラの桃色の頭を軽くなでた。
「騎兵団の犀座でしょうか」
 警備兵は結局犀座を放っておけず、微風に報告した。
「犀座行進にもまだ出ないような子供だぞ。あの敷地からこいつらだけで出てくるとは考えづらい」
「何か印でもあれば・・・」
「向こうにいる犀座訓練士ならわかるんだろうがな。とにかく九九様に伝えよう。騎兵団には報告しないと思うが」

「野生の犀座を二頭保護したと言って協会に引き渡す」
 九九は憐れな目で二頭を見下ろして言った。
 “協会” とは犀座保護協会のことで、行き場のないいわゆる野良犀座を保護している団体だった。野生の犀座はめっきり少なくなってはいたが、それでも田舎の山道ではたまに見かけることがあった。団体では野良では生きられない、人に慣れた犀座を引き取り世話をして、社会に出すという活動を行っていた。人を乗せた車を引いたり重い荷物を運んだり、人の手助けとなるように。それは昔からの変わらぬ光景で、人と犀座が共生していくための手段だった。九九や朝来が望んでいることだ。
空丸(からまる)
 九九が呼ぶ。
「はいはい」
 小柄で小太りの、いかにも鈍そうな男がやって来た。
「はいは一回でいい」
「はいはい」
「お前僕の優しさに何度救われてると思ってる」
「さて・・・九九様に救われたことなんて一度もない気がしますが」
「もういい。この二頭を馬小屋横の空いた鶏舎へ入れて、世話をしてくれ」
「えっ、おれ犀座の世話はしたことねえですよ。馬の世話と羊の世話しか・・・」
「ずっとじゃない。長くても二、三日の間だ。保護協会に連絡すりゃすぐに引き取りに来ると思うけどな」
「はあ。ほんならなるべく早くしてくだせえよ。犀座なんて面倒くせぇ・・・何食べるんだあいつら・・・りんご?」
 空丸は二頭の犀座が歩くよう促して鶏舎へ向かった。微風には空丸がなぜ国境警備隊にいるのかなぞだった。とにかく文句たれで九九に対してもあの態度である。いつ九九の堪忍袋の尾が切れても仕方ないようなやつだが、それでもここに長くいるのは、馬を育てる才覚においては人一倍優れているからだろうか。犀座騎兵団の朝来に対して、国境警備隊の空丸。この二人は多分一生会うことはないだろうと微風は思った。

 九九の直感はよく当たる。二頭共野良にしては肌艶がよく、つい最近まで手入れされていたように見える。それに一頭はほぼ見ることがない鉛色種。二頭の犀座はおそらく騎兵団で飼われていたのだろう。そしてこれは根拠のない予測だが、この二頭、今まで朝来と一緒にいたのでは?だとすると朝来はもう0境国内にはいない、もしくは国を出る前に、どこかで死んでしまったか。朝来失踪後、彼女の周辺を調べてみたが、特に引っかかるような情報は得られなかった。訓練士になって十年、犀座だけに情熱を注ぎ続けてきた女。騎兵団には五年前引き抜きで入っている。
 当初は自分のこれまでの実績を買われて騎兵団に求められたことがうれしかった。しかもいきなり訓練士のリーダーに抜擢されたのだ。彼女はまだ若く、この頃は戦闘用犀座の育成に対しても新しい犀座の在り方として受け入れていた。むしろ挑戦ととらえ、仕事に真摯に向き合っていたほどだ。しかし何らかの理由で戦闘用犀座の育成に疑問を持つようになった。これも九九の直感だった。その背景に、“煙管” の存在があったのではないかと仮説を立てた。煙管がファイアノイドと共に犀座行進に出るようになった時期は約三年前。あの巨大な犀座を前に、彼女は何を感じたか。犀座の凶暴性?人に従順なだけではない何か?騎兵団に希望を抱いていたはずだった。しかししだいに戦闘用犀座が他国への威嚇の道具になっていることに違和感を覚え始めたことは間違いないだろう。犀座による武装を行う0境国、それを先導しているのは騎兵団であり、自分だ。状況に耐えられなくなった朝来は国を去ることに決めたのだ。国王崩御の直後に。
 極端な女だと九九は思った。戦闘用犀座反対派であることは意見が一致しているが。

 翌日、騎兵団から武伏がやって来た。珍しい出来事に九九は驚いて半ば無意識に鉄柵の門を閉めようとした。
「おいおい!なんで閉めるんだよ!」
 武伏は鉄柵をつかんで門が完全に閉められるのを阻止した。
「何の用だ?」
 数ヶ月前、カフェで武伏と話した時のことを思い出した。あの時の犀座狩りの男(名は忘れた)がその後どうなったか一瞬気になったが、あえて聞かないことにした。
「ファイアノイドからの伝言だ」
「ファイアノイド?」
 九九は勢いよく門を自分側へ引いて錠までかけた。二人は鉄柵をはさんで向かい合った。
「ああ!もういいよこのままで。伝言ってのは犀座騎兵団と国境警備隊の進退をかけたケンカをしようってことだ。国王代理の了承は得ている。騎兵団が勝てば国のガーディアンは我々となり、国境警備隊は解散だ。その逆、あんたらが勝てば、俺達は犀座を手放し、騎兵団も解散する」
「朝来が戻らないのにえらく強気だな」
「訓練士は他にもいるからな。一番優秀なのが朝来だったってだけの話だ。大して影響はない。そういや朝来はもう探さなくていいってファイアノイドが言ってたぜ。それも伝言のうちだった」
 九九は気持ちの悪さを覚えた。なんだか違和感がある。ファイアノイドの決定にしては急で雑すぎる。
「まあいい。ファイアノイドに伝えろ。朝来はもうこの国にはいない。高確率で言えることだ。それでも犀座に乗って0境国を闊歩したいなら、ケンカ相手になってやる」
 武伏は無言で立ち去ろうとした。その表情からは何も読み取れはしなかった。
「武伏」
 九九が呼び止める。武伏は振り返った。
「しょうもない仕事だな」
 九九が言った。ケンカのことかと思った武伏は返答することなくその場を立ち去った。しかし九九は、わざわざそんなことを伝えに来た武伏を憐れんで言ったのだった。

「決戦前に敵方の城にやって来るとは」
 武伏からの伝言を受けた翌日、九九は一人で犀座騎兵団の基地を訪れた。ファイアノイドの方は決戦の日まで会うつもりはなかった。
「ここはもうお前にとって出入り自由な実家ではない」
 ファイアノイドは呆れ気味に言った。
「何故こんな事態になったんです?あなたらしくない」
 九九とファイアノイドは屋敷の玄関に立っていた。二人の間には犀座親子のブロンズ像が鎮座している。
「それを言いに来たのか?争いはしたくないか」
「武伏には決戦に応じると言いましたが、犀座騎兵団と戦うのはいやです」
「負けるからか?」
 ファイアノイドはわざと冷たく言い放った。感情を押し殺さなければ、自分の本音を言ってしまいそうだった。国境警備隊と、九九とは戦いたくはないということを。
「そうです。我々が負けるのは皆わかっています。未知の生物を操る犀座騎兵団は諸外国にとって脅威で、あらゆる難から逃れる楯のような存在だ。間違いなく国にとって必要ですが、うちだって0境国を、国境警備隊としての役割を担ってきた。文字通り国の境目を二十四時間守っているんです。そちらとは考え方の違いはあれどうまく・・・うまく?やってきたじゃありませんか」
 最後の方は言葉の説得力に欠けていることを九九は自覚していた。
「そうは言っても状況が変わった。お前も実のところわかっておろう」
「状況が変わったというのは、国王が亡くなってからのことでしょう?国王代理は、紫々は国境警備隊をなくし、犀座騎兵団を手中に収めたいんですね」
「そういうことだ。戦いは避けられん」
 互いの進退をかけた争いが、ファイアノイドの意志でないことはわかっていた。紫々が仕向けたということも。が、目を背けたい事実だった。
「ついてないな」
 九九は髪をくしゃくしゃにして窓辺にうなだれた。
「仕方のないことだ」
 ファイアノイドは抑揚のない声で言った。
「負け戦に応じなきゃならん僕らの身にもなってくださいよ。仲間達にどう説明しろって言うんです?」
「戦わずして国境警備隊を解散するか?」
「それは・・・紫々が許してくれないでしょう。国境警備隊の自然消滅なんて国民から不信がられるだけだ。この戦の影に紫々の存在があるということを知られてはいけない。あくまでも我々が

ケンカしているということにしなければ」
 この状況においても、九九の思考は冷静だとファイアノイドは思った。紫々の策略、それを表沙汰にしないのは、国民に混乱を招かないため、そして九九はこの言い方を好かないだろうが、故郷に対する愛がそこにあるからだ。しかし紫々には九九の思いなど届かない。
「それに我々が勝つ可能性も少しはある」
 強がりで言ってはいない。ファイアノイドもその可能性を否定するつもりはない。
「では、武伏から聞いた返事のとおりだな」
「ええ、まあ・・・いやですけど。くそ王子が国民からどう思われようが知ったこっちゃないってのに」
「なんだかビシッとせん決まり方だな。せっかくお前の考え方に感心したというのに」
「いつでもそうですよ、この国は。いや、僕は」

 帰り際、九九は杏那と遭遇した。お互い無言のまま、九九は立ち去ろうとした。しかし彼女を通り過ぎてから、前から言おうとしていたことをついに言った。
「国境警備隊に入らないか?」
 杏那は目を丸くして九九を見た。
「私は・・・自分の意志でここにいるから」
 あっさり断られてしまった。
「わかってる。ファイアノイドをよろしく」
 杏那は九九の本心がわからなかった。彼は深い思考で人を見ている。だから杏那としては、そういうところがたまに疲れるのだ。昔から。ただ、九九は決して言わないが杏那は知っていた。九九はファイアノイドのこと、根っから嫌いではないということを。

「食わねえのか?」
 アカガラとイブスキにエサをやる空丸。犀座保護協会には九九がすでに連絡済みで、引き取りの日は五日後だった。思ったより日数がかかる。もしかすると騎兵団との決戦の日にはまだここで預かっていることになるやもしれない、と九九は言っていた。そのことを考えていると、空丸は大きくため息をついた。犀座の世話より馬の世話がしたい。今はもう飼っていないニワトリの小屋で、二頭の犀座は行儀よく藁の上に手足を折り曲げて休んでいた。
 この二頭の犀座は何を考えているんだろう?空丸は思った。腹が減ってないんだろうが、まさか病気じゃないだろうな。
「食わねえのか?」
 もう一度聞いてみる。差し出した馬用の干し草には手をつけようとしない。保護協会にエサの確認をしたところ、馬と同じ干し草でよいと言われたのに。
「おめえ達もストレスたまってんだな、きっと」

 次にヨザクラが上空に現れた時、それが決戦の合図だと、紫々からの伝達があった。
「次にヨザクラが飛ぶのなんていつになるかわかったもんじゃないだろうに!百年後かもしれないし千年後かもしれない。馬鹿なのかお坊っちゃんは」
 九九は虫の居所が悪いのをあからさまにして言った。
「統計ではヨザクラ出没率は雨の降った翌日の夜が最も高いそうです。百年後とかはあり得ないっすよ。月に二、三回は国境付近に現れますからね」
 入隊一年目の、ひょろ長い体型に、色白でするどい目つきが印象的な若い隊員が言った。昨日切ったばかりの頭髪を気にしながら、まるで緊張感のない話し方をする彼が望まぬ指摘をしたために、九九はさらに苛立ちが増した。何故こんな奴がうちにいるのか?
「明け方に飛ぶヨザクラのこと知ってます?ものすごくレアなやつですよ。夜に飛ぶいつものヨザクラは桜色に光ってますけど、明け方は色が違うらしいんす。何色だか知ってます?」
 隊員は話を続けた。
「ただのくすんだ灰色の鳥だそうです。研究者によるとごくまれに時間を間違えるヨザクラがいるんですって。仲間に遅れをとって後から飛んでくるやつ。ヨザクラの世界にもそういうのがいるんですね。俺なんかちょっと親近感わくんだよなあ。それにしてもあの桜色は夜だから見られるんすね」
 九九は半分聞いていなかった。昼休み、彼らは今、宿舎の中庭にいる。
「君、家族はいるのか?」
 次の言葉を発しようとひょろ長が口を開いた瞬間、九九がたずねた。若者は口を開けたまま視線を泳がせた。
「母と姉が」
「国境警備隊への入隊が決まった時、喜んだか?」
 九九はブランコに腰かけて遠くで遊ぶ馬達を眺めた。空丸の姿は見えない。
「ええまあ。母親の方は。姉はそれほどでしたけど」
「何故犀座騎兵団ではなくこっちにした?どちらも国を守る使命があるのは同じだ」
「年齢制限です」
「は?」
「単純に、犀座騎兵団に入るには遅すぎたんです自分は」
 九九は小さなため息をもらした。ひょろ長が気づかないほどの。そしてこれ以上聞くのはよそうと思った。
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