九九の子供時代 ③

文字数 4,206文字

 夜、飼育場近くの集会所に『庭』の住人が集まった。九九、美風、護馬、杏那の四人は、部屋の隅の方でざわめく周囲の声に耳を傾けながら静かに待った。
「犀座の輸出が禁止されたらしい。外国からの需要がなくなったら、俺達の仕事は減るんじゃないか?」
 近くに座るランプ売りの男が言った。
「おたくはランプの商売があるからまだいいさ。犀座の世話だけしてきた我々はどうなることか」
 不安の声はそこかしこから聞こえてきた。暗い雰囲気にのまれないようにするため、九九はこれからのことを考えた。護馬が便所に行ってくると言って部屋から出ていこうとした時だった。把手に手をかける前に扉が外側からパッと開いた。危うく扉に鼻をぶつけそうになった護馬は一歩後ろに下がり、ごめんごめんと言いながら入ってきた寅追とファイアノイドを見上げた。
 人々の視線は一斉にファイアノイドに注がれた。男はすらりと背が高く、焦げ茶色の長髪に明るい目をしていた。長靴は泥で汚れ、マントは所々ほつれが目立つ。身なりの無頓着さを補うようなどこか異国的な深い彫りのある顔立ちが不思議な魅力を放っていた。

 寅追は疲れた顔で住人達を見渡した。舞台とも言えない石段の上に立ち、ざわめきが収まるとかすれた声で話し始めた。
「皆よく集まってくれた。そのことにまず感謝したい。今夜集まってもらったのは、0境国の未来、『庭』のこれからのことについて、騎兵団のファイアノイド氏から説明して頂くためだ。我々の多くは長く、エドワード氏が与えてくださったこの土地で、犀座の世話をすることを生活の糧としてきた。贅沢はせず、慎ましく協力し合いながら平和に暮らしてきた。その当たり前だった生活が、今転換期を迎えたのだ」
 寅追はここで一呼吸おいた。なんと言っていいのか、まだまとまっていないようだった。
「私から話すよりファイアノイド氏から聞いた方が皆納得できるだろう。前置きはここまでにして・・・」
 寅追はファイアノイドの方を向いてうなずき、交代の合図を送った。ファイアノイドが石段に上がると、寅追は部屋の隅に下がり、九九達の隣に立った。
「納得なんてできるかね・・・」
 ぼそりとつぶやく寅追のひとり言は九九だけに聞こえた。
「皆さん、今夜は仕事で疲れているところ、急な集会に参加して頂き感謝する。私は騎兵団の頭、ファイアノイド。知っておられる方も多いと思うが、城とはなんの関わりもない腕っぷしだけが自慢の我々は、普段は貴族の護衛を生業としている。今回は国王から直々に、私の元へ要請があってこちらへ赴いた次第だ。皆に伝えたいことは大きく三つある」
 静まり返った部屋。誰もが不安の色を浮かべて、ファイアノイドを見つめていた。九九はこの場が男の独壇場になっていることが妙に腹立たしかった。
「一つ目は犀座輸出禁止令が施行された。外国からの犀座輸送船は全面的に入港禁止となった。これは0境国固有の生物、犀座の生態系を国内のみで管理するため。具体的には二つ目の、『庭』で育てている犀座を騎兵団へ譲渡することに通じる」
「どういうことだ!」
「冗談じゃない、我々の仕事はどうなるんだ?」
「本当に国王様がそのような命を下されたの?」
 住人達は声を荒げて話し出した。寅追が前に出ていき、なだめるように両手を上げて言った。
「皆、最後まで彼の話を聞いてくれ」
 ファイアノイドは壁にもたれて部屋の中が静まるのを待った。住人達が再び話を聞く体勢に戻ると、寅追は続きを、とファイアノイドを促した。
「動揺させてすまない。もう一度言う。二つ目はこちらで育てている犀座を、騎兵団へ譲渡してもらうということだ。育成は騎兵団が引き継ぐが、これまでとは違うやり方となる。新たに犀座訓練士を招き、 “戦闘犀座” の育成を行う。我々は “犀座騎兵団” と名を改め、0境国の自衛力強化に尽力することとなった。もちろんこれまでのように、荷や人々を運ぶという犀座の従来の役割に変わりはない。多くの犀座はそうやってこれからも人々と共存していくだろう。しかしそれは他の飼育場で育てられた犀座の役目だ。あなた方の『庭』で育てられた犀座は他の飼育場とは違う。艶のある硬質の肌に丁寧に磨きあげられた立派な角、体格も大きく、何より脳の発達が早い。人との意思疎通は群を抜いてる。彼らをぜひ我々の、犀座騎兵団の名に恥じぬ戦闘犀座に育て上げたいのだ」
「黙って聞いてるのがバカらしいな」
 護馬の声。全員が彼に注目した。
「外国から0境国を守るために犀座を楯にするのかよ。犀座がかわいそうだ。戦いの道具として使われるなんて、あいつらは望んでないよ」
「そう思うか?しかし犀座には元々高い自己防衛力と、集団行動により互いの力を誇示しようとする習性が備わっている。戦闘能力を磨くことは犀座にとって決して不本意なことではないだろう」
 ファイアノイドの言うことはここ数年の研究で判明していた。それは大人しく人に従順なだけではない犀座のもう一つの顔。未知の能力を持つ犀座が輸出禁止となれば、それは外国からすれば脅威以外の何でもないだろう。
「おれはいやだ。もう帰る」
 護馬は部屋から出ていこうとした。素直な子供の感情は大人達にも伝染し、他の住人達も口々に反対意見を言い出した。
「待て護馬、三つ目を聞いてからにしろ」
 九九は護馬の腕をつかんで引き止めた。
「九九はいやじゃないのかよ?あいつの言ってること、お前が言ってた貿易商とそんな変わらないぞ」
「わかってる。俺は全部聞いてから判断したいんだ」
 護馬はムッとしてつかまれた腕を振り払い、床に座り込んだ。
「・・・大丈夫よ」
 杏那が護馬にささやいた。自分に言い聞かせているようでもあった。
 周りの大人達のざわめきは再び寅追が鎮めていた。ファイアノイドはまた場が静かになるのをじっと待った。出会ってからが短かすぎて、九九には彼の考えていることが読み取れなかった。しかし少なくとも、犀座騎兵団という呼び名がいやではないということは伝わってくる。
「三つ目」
 不満の声が上がる中、ファイアノイドは口を開いた。皆注目した。結局はここにいる誰もが彼のペースにのまれている。
「『庭』の解散。この土地は国王一族のものなのだ」
 誰も何も言わなかった。先の二つ以上に現実離れし過ぎていて、一番信じられない。互いの顔を見合わせても、どんな反応をすればいいのかわからなかった。
 寅追はファイアノイドに目配せした。あらかじめ話を聞いている彼は説明が足りないと伝えたようだった。しかしファイアノイドはすぐに続きを話そうとしなかった。見かねた寅追はファイアノイドに言った。
「ファイアノイドさん、話してください。いまさら言葉を選ぶ必要もないです。我々は真実を知らなければならない」
「これはできることなら言うつもりはなかったが」
 ファイアノイドは小さくうなずいた。
「エドワードという老人は存在しない。昔々、『庭』に住む者が勝手にでっちあげた空想なのだ。生活の糧を探し求めた人々が、犀座飼育の権利を得て自分達の居場所をついに手に入れた。エドワードという富豪にさも雇われているかのように。悲しいうそは、その後増えゆく『庭』の民に伝えられ、いつしかエドワード老人は実在する人物となった」
 大人達の、さっきまで浮かべていた信じがたい表情は消えていた。何の感情も抱いていない、生気の抜けた顔。膝からくずおれる者もいた。
「実際にはあの屋敷は国王一族のものであり、代々国王専属の医師が住む邸宅だった。百年以上前からある建物だが、誰も住んでいない時代もあった。実は現在も無人なのだ」
 『庭』の住人に城や国王一族の情報などほとんど入ってこなかった。かやの外。彼らの多くが世間とつながれる唯一のこと、それは犀座飼育だけだった。
 それからファイアノイドが何を話したか、九九は断片的にしか記憶していない。気づいた時には護馬は部屋にいなかった。美風と杏那に声をかけられるまで、九九は座り込み、虚ろな目をしていた。

 エドワードが実在しないという事実は、意外にもかえって皆を納得させた。怒りとも悲しみとも違う感情が人々に芽生え、冷静にこれからを考えるようになっていた。
 しかし『庭』の解散と言われても、住人達にはぴんとこない。ファイアノイドは彼らをそのまま放っておくつもりはなかった。九九は集会でファイアノイドが最後に言ったことを覚えていた。
「都へ行って、一人一人国王に会い、仕事を与えられよ。国王は『庭』の住人一人残らずこれからの生活を保障するとおっしゃっているのだ」

「護馬があれからずっと帰ってこない」
 船の往来のない海岸で、美風が水平線を眺めながら言った。
「知ってる」
 九九は気のない返事をした。あれからというのは集会が終わってからのことで、護馬がいなくなってから一週間が過ぎていた。
「家出が長すぎるだろ」
「もう帰ってこないよきっと。あいつは外国に行ったんだ」
 美風は驚いて九九を見た。しかしそれは、あり得ない話ではないと美風はわかっていた。護馬は誰とでもすぐ打ち解けられる。相手の心にふわりと入り込み、初めから長年の友であるかのように話す。土足でずかずかと踏み入るのではなく、ごく自然にやってのける。それが彼の能力であり、生きていく上での手段だった。九九や美風がかなわないところだ。昔から外国に興味も示していた。いつか大人になったら五十鈴国か千日国へ行きたいとも言っていた。
「とはいえ何も告げずに外国へ行くか?俺達友達だろ?」
 礼儀を重んじる美風はやっぱりあり得ないという面持ちで九九に言った。
「友達だからだろ。いたい時に一緒にいればいいのさ。今はそういう時期じゃないってことだ。あいつにとって」
 九九の護馬に対する結論だった。
「風のようなやつだ。つかまえとく方が無理なんだよ」
 美風は九九のこの言葉に納得し、うなずくしかなかった。護馬が護馬らしく生きるためには、他の誰かに示された道ではだめなのだ。
「・・・まあいいや、もう」
 美風は砂浜に仰向けに寝転がった。曇っているのがあたりまえの0境国の空。
「“風” は美風なのにな」
 からかうような笑みを見せて九九が言った。
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