九九、犀座騎兵団基地へ行く 6月25日 ①

文字数 2,030文字

 犀座騎兵団の基地は都から犀座に乗って一時間程の距離にあった。九九は犀座には乗らず、いつも馬車を利用した。犀座嫌いでもなければ乗るのが苦手というわけでもないが、乗っているところをファイアノイドに見られたくないという理由で避けているのだ。
 馬車が犀座騎兵団の敷地に入ると、広々とした演習場に放たれた犀座達が見えた。二人の男女が色とりどりの旗を持ち、それぞれ四頭ずつ犀座を従え誘導している。前後二頭に並んだ犀座は規則正しく足並みをそろえて歩いている。九九にはわけのわからない図形が演習場内にいくつも描かれており、犀座達は前を行く人間の複雑な動きにも対応してついていくのだった。
「妙な訓練」
 九九は馬車の窓から顔を出してつぶやいた。
 演習場を過ぎて脇道を抜け、犀座小屋の前を通る時、御者に馬車を止めるよう言った。
 サーカス小屋のような円形の作りをしている犀座の家は、昔から変わらず骨組みに白い布を張られただけの簡素な小屋だった。所々に応急処置したようなつぎはぎが見られ、犀座が突進して突き破ったのではと九九は想像した。九九が騎兵団にいた頃は、まだ犀座小屋はこんなに痛ましい状態ではなかったはずだ。
「前来た時あの縫い目はなかったように思う」
 御者に向かって小屋を指差して言った。
「そろそろ建て替えをお考えのようですよ。詳しいことは知りませんが」
「その方がよさそうだね」
 馬車は再び動き出した。

 帝廉石(ていれんせき)という外国から取り寄せた石で作った幅広の階段を上った先に、騎兵団の制服を着た女性がひとり立っていた。九九は馬車から降りて階段を上がっていった。大きな屋敷は重厚な鼠色の石造りが歴史を感じさせるが、犀座騎兵団が発足した約二十年前に建てられたもので比較的新しい。両開きの扉の前まで来ると、九九は前方を見据えたまま微動だにしない女性に話しかけた。
「君で良かった。武伏(たけぶし)じゃなく」
 女性の目は一瞬九九を捉えた。彼女の意識は九九にあったが、それを悟られまいと任務に集中しているかのように振る舞った。
 重々しい扉を開けて中に入ると、真紅の絨毯が敷かれた玄関に、横たわる犀座親子のブロンズ像が出迎えてくれる。二階まで吹き抜けになった開放感のある玄関。九九は正面にいる親子をよけて奥の階段を上がった。
 二階の廊下を歩き、突き当たりにある階段室へ向かった。静まり返った屋敷内、ある部屋の前を通った時、楽しそうに談笑する声が聞こえた。しかし誰かと遭遇することはなく、九九は奥の薄暗く怪しげな階段室へと入っていった。
 踊り場の窓から差す陽の光以外明かりはなかった。子供だった頃、夜中に暗い階段室に入るのがいやで、ファイアノイドへの用事は極力昼間に済ませていたことが思い出された。
 屋敷の三階は物置きと個室が二部屋、そして楕円形の大きな机の置かれた会議室があった。個室は昔からゲスト用に使われていたが、ここしばらくは無人だったようでずいぶんと埃がたまっていた。会議室が会議室として機能したことはほとんどなく、実際には犀座訓練士達の休憩場所となっていた。犀座騎兵団を脱退してからも基地を訪れることはあったが、屋敷の三階まで来たのは実に久しぶりだった。九九は懐かしの三階を一通り見て、物置き部屋へと入った。掃除用具や壊れたミシン、新聞雑誌の束、なぜか子供が遊ぶ木の玩具までが整理されないままそこここに置かれていた。それでも足の踏み場がきちんと確保されている物置き部屋は、毎日人が出入りしていることが見てとれた。窓側から延びる細い階段は屋根裏へと続いていた。慎重に足を掛け、崩れることがないか確かめる。
「じいさんが毎日上り下りしてるから大丈夫か」
 一段ごとにみしみしと賑やかな音をたてるのは昔と変わらない。きっとファイアノイドはこの上で、誰の足音か聞き耳をたてながら、自分の部屋への来訪者をあてるひとり遊びをしているだろう。九九はそんなことを考えながら緊張感を紛らわせた。
 階段を上がりきると人ひとりがぎりぎり立てるだけの空間がある。建物の築年数のわりに古めかしい扉と、監視しているようにこちらに顔を向ける待雪草形のランプ。昼間でも薄暗い空間をちらちらと健気に照らすかわいいやつと、九九は子供の頃からこのランプが好きだった。
「ファイアノイド、僕です。入りますよ」
 返事の代わりに室内の柱時計がゴーンゴーンと重い音を鳴らした。扉の取っ手に手を掛けようとした瞬間、突如内側からパッと開かれ、九九は驚いて目を見開いた。ひょろりと背の高い、明るい表情をした老紳士が立っていた。彼の名はファイアノイド。七十台も半ばに近い年齢ながら、生き生きとした血色の良い顔、豊かな長い銀色の髪、騎兵団を象徴する臙脂(えんじ)天鵞絨(びろうど)の粋な制服をびしっと着こなしている風体は、会うたびに若返っている気さえした。刻まれた皺は好奇心と経験の結果だと、彼は涼やかな笑顔で度々口にしていたことが思い出された。
「よく来てくれたな、どうぞ入ってくれ」
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