九九の子供時代 ①

文字数 4,940文字

 九九は0境国の北の果て、『庭』と呼ばれる地域に住んでいた。掘っ立て小屋のキッチンと居間しかない部屋と、仕事部屋と呼んでいる小さなテントが彼の家だった。ここでは九九と二人の弟、そして妹の四人が生活していた。弟妹と言っても彼らは孤児で、誰ともお互い血は繋がっていなかった。親は物心ついた時すでにいない。年の近い子供らは助け合いながら、一番年長の九九が兄代わりとなって小さな家庭を守っていた。
「五十鈴国からの船がさ、でっかい犀座を乗せていったんだ!鉛色の強そ~~~なやつ!ユシュツだよなあれは」
 興奮しながら語る護馬(ごま)を、九九は冷ややかな目で見つめた。
「で、犀座に見とれて船のガラクタを拾いそこねたと」
「拾いそこねたっていうか、なんも落としていかなかったんだよ。なあ杏那」
 ばつが悪そうに言い訳をする護馬は杏那に同調を求めて言った。
「う、うん・・・そうだったかな。探したんだけど」
 か細い声で顔を赤らめながら杏那が言った。実際彼女は海岸沿いでガラクタを探した。嘘は言っていない。
「杏那が探したのはわかってる。お前は犀座に夢中で仕事そっちのけだったろ。ごまかすなよ」
「ごまかしの護馬?ははは笑えねえ!」
 九九は護馬をにらんだ。外国船から捨てられた不要な機械や布、玩具などは、0境国では珍しく貴重なものだった。彼らは定期的にやって来る外国船のそばまで行ってはそれらを拾い、使えるものを修理加工して売ることで生活していた。外国船が物を落とすのは、子供達がガラクタと言えるようなものでも拾いに来ることがわかっているからだった。特に護馬は人好きのする性格で、気のいい船員と仲良くなってお菓子をもらえることもあった。
「もういい。そのうち美風(びふう)が帰ってくるから、飯の準備をしよう」
 護馬に呆れさせられることには慣れていた。へらへらしてるこいつと話してると怒る気も失せてしまう。九九はこの話は終わり、というように両膝を叩いて勢いよく立ち上がり、キッチンへ行って保存庫を開けた。魚の缶詰め三つとくるみパンしかなかった。四人分の夕飯には寂しすぎる。
「昨日余ったりんごはおれたちの弁当に持ってったから」
 護馬が九九の後ろからのぞきこみながら言った。
「買いに行ってくる。明日の朝の分もいるしな」
「カンキリじいさんの店?」
「いやコグネのとこだ。その方が安い」
「まじかよ!また売れ残り高っかい値段で買わされるぞ」
「それでもカンキリじいさんの缶詰めよりは安い」
 九九は上着を羽織って外へ出た。すると杏那も小さなバスケットをさげて一緒についていこうとした。
「聞いてたか?コグネんとこだぞ」
 九九が杏那に言った。
「うん、一緒に行く」
 二人は薄暗い小道を歩いた。

 0境国の北部一帯を所有するエドワードという老紳士が管理する土地には、老若男女百二十人余りが暮らしていた。エドワードは南寄りの丘に建つ立派な屋敷に住んでおり、丘の麓にある広い敷地は屋敷の『庭』と呼ばれていた。この『庭』に住む住人は皆エドワードの友人だった。住む場所を探して初めてここを訪れた者は、よそ者扱いされると思うところ、主人のエドワードは純粋な親切心と調和を持って、新たな住人を迎え入れた。家賃も地代も必要なかった。エドワードが求めたことは、互いに仲良く暮らす穏やかな精神。そして仕事を探しているならば、犀座の世話をすることを勧められた。
 九九達のように独自に収入源を見つけて仕事をする者もいたが、住人達の多くは犀座の世話を生活の糧としていた。生後一年と四ヶ月を迎えた犀座は市場に出され、ほとんどは運送会社に買われていった。決して横柄に振る舞わず、仕事を与えて寝食を保障した『庭』の地主エドワードは住人達から愛された。しかしもうずっと前から、高齢の彼が屋敷から出ることはなかった。エドワードに代わって長年『庭』の管理を任されているのは犀座飼育場の責任者、寅追(とらおい)という男だった。彼はエドワードの方針を引き継ぎ、『庭』へとやってくる新たな住人を受け入れ面倒をみた。

 ランプの灯りが近づいてくる。男は大量のランプを提げた、細い小道の幅ぎりぎりの荷車を引きながら、小さな犀座を連れてやってきた。九九と杏那は道を譲ろうと横手の草むらに入った。秋桜の開花が最盛期を迎えていた。
「やあ、九九と杏那じゃないか。どこか行くのかい?」
 短い髭を生やした男は足を止めた。荷車に乗せた数十個のランプは煌々と光り、辺り一帯は異様な明るさに満ちていた。
「こんばんは。夕飯を買いにね。その子、おじさんが育ててるの?」
 雪のように白い子犀座は、ランプから目を背けて地面に鼻をつけていた。
「ああ、きれいな犀座だろう?ここまで色白なのは珍しいんだ。だけどもうすぐ市場に出さなきゃならない。高い値がつきそうだが、ほんとは手放したくないよ」
「ランプは売れてる?都に行った帰りでしょ?」
「ああ、それがこの子犀座と一緒に行ったら、ランプより犀座の方に関心持たれちまって売り上げは全然よ。客寄せのために連れていったのにな」
 犀座は人間達の相手をして疲れたようだった。今にも眠りに落ちそうなとろんとした目になっていた。
「ランプ売りと犀座の世話、二足のわらじは大変だね」
 九九は杏那にそろそろ行こうと目配せした。
「そうでもないぞ。お前もガラクタ集めと犀座の世話の両方やったらどうだ?」
「いいよ、そこまで器用じゃない」
 九九は謙遜して見えるように手を振った。バイバイの意味も込めていた。
 男と別れ、二人は再びコグネの店を目指した。陽は落ちかけてだんだん暗くなってくる。杏那は急ぎ足の九九についていくことに集中した。
「あれだけ明るいと何て言うか、品がないな」
 九九が笑いながら言った。
「一つ一つはすてきなランプだと思う」
 バスケットを両手に抱えながら杏那も笑った。
「そこがおしいんだよな、あのおやじ。今度言ってやれよ」
「いやだよ。人の商売のこと、口出ししたくないもん」
 杏那は時々冷静にもっともなことを言う。

 カンキリじいさんの店の前を通る時、瑠璃鳥の美しいさえずりが聞こえた。軒先に吊るされた鳥かごの中の瑠璃鳥は、目を奪う美しさで通行人を魅了していた。
「こんばんは」
 九九と杏那は店の奥に座るカンキリじいさんに挨拶した。
「やあ、エドワード王国の王子と王女。いらっしゃい」
 よぼよぼのカンキリじいさんは、九九と杏那のことをいつも王子や王女と呼んだ。九九はその呼び方が恥ずかしくてやめるように言ったが、杏那はまんざらでもないらしかった。
「ああ、ごめん今日は・・・コグネんとこへ行くんだ」
 九九は申し訳なさそうな顔で言いながら店先に積み上げられた缶詰めの山を見た。どこで仕入れたのか、この店は外国の製品も多かった。
「三つ買ってくれたらどれでも一つおまけするよ。今の時期はおでんの缶詰めなんかどうだい?」
 じいさんはよたよたといすから立ち上がり、棚上に置いてあるおでんの缶詰めを取り上げた。
「王女さまにはブラッドオレンジのシロップ煮かな」
 果物の缶詰めは少なく、値段も高い。九九達の口に入ることはほぼなかった。
「どうしよう?」
 断れない性分の杏那は弱ったという顔で九九を見た。
「じいさんごめん、今日はあんまりお金持ってないんだ」
 こういう時は買えない意志をはっきり示した方がいい、というのが九九のやり方だった。
「そうなのかい、残念だな」
「おでんはもうちょっと寒くなったら買いに来るよ」
「いつでもおいで。王子殿」
 また瑠璃鳥が鳴いた。さよならと言ったのか、それとも買わない子供達に文句を言ったのかは誰にもわからない。ただ美しい鳴き声が聞けるならどちらでもよかった。

 コグネの店は『庭』の西側入り口付近にあった。日替わりで並ぶ数種類の惣菜は量り売りで安く、質より量を重視するお客にとってはありがたい店だった。調理専門の店主は表には出ず、店に立つのは専ら息子の役目であった。しかしこの息子が金に貪欲で、九九達はしょっちゅう料金をごまかされたり、日付が経った売れ残りを買わされたりした。そんな信用を損ねる行為があたりまえの店でもここら辺では一番安く、護馬は気に入らなかったが、売ってもらえなくなる方が困るため九九はなるべく文句を言わないよう努力した。
「こんばんは」
「ああ、いらっしゃい。こんな時間に珍しいな」
 コグネは九九より二つ歳上だった。黄色い蛍光色のエプロンをつけた顔色の悪い少年は、空になった大きな鍋を持ち上げていた。そろそろ商品の片付けに入る時間だった。
「山芋シチューとレンズ豆のパンがあったらほしいんだ」
「山芋シチューはあるぜ。レンズ豆のパンはもう二つしかないんだ。代わりにドライラズベリーパンはどうだ?」
「じゃそれでいい」
「まいど!」
 コグネは山芋シチューを器に入れた。分量はいつも四人分。サービスしてもらえたことは一度もない。
「1800エンだな。パンと合わせて・・・2352エンだ」
 パンは明日の朝の分も含めての量だった。ドライラズベリーパンは少し値がはるようだ。
「はい、ちょうどあった。ありがとう」
 商品を受け取り、九九と杏那は店を出ようとした。その時コグネが九九に話しかけた。
「そうだ九九、先日五十鈴国から来た貿易商が今度『庭』の見学に来るって話知ってるか?」
「見学?何のために?」
「犀座だよ。ここで育ててる犀座を、子供のな、買いたいって言ってるらしい」
「子供の犀座は売り買いできないだろ。売れば捕まるし連帯責任で『庭』がどうなるかわかったもんじゃない」
「お前んとこやうちは犀座の世話をしてるわけじゃないから大丈夫さ。けどまあ、その貿易商も見学だけで買いはしないだろう。買えばそいつもただじゃすまない」
 杏那は九九の隣で不安そうな顔をしている。パンの入ったバスケットを両腕で握りしめた。
「見学はいつだ?」
「三日後だってさ。飼育場の連中が言ってたから間違いない」
「ふーん、寅追の耳にも入ってるんだろ?もしくはエドワードの。なら購入の取引はあり得ない」
「エドワードねえ・・・」
 コグネはどこか面白がっている様子だった。いつも一定の平和を保っている刺激のない『庭』。そこに訪れようとしている不穏な波風に。

「ねえ九九」
 コグネの店を出たあと、二人はしばらく無言で歩いていた。耐えかねた杏那が沈黙を破ったが、九九はまだ何か頭の中で考えているようで、杏那の呼びかけに反応しなかった。
「九九」
「え?」
 もう一度呼ぶと、九九はハッと顔を上げて杏那の方を向いた。思考の世界から現実に戻された。
「気になってるの?コグネの言ってたこと」
「そうだな・・・犀座の世話があっての『庭』だからな。コグネは関係ないって顔してたけど、子犀座の売買が行われたとしたら、罰せられるのは飼育場の人間だけじゃない。きっと俺達の仕事や生活にも影響は出ると思う」
「もうここにはいられなくなるの?」
「俺にもわからない・・・」
 九九は思いつく限りの事態を想定しなければと考えていたが、仲間達の不安を煽らないように静観することに決めた。自分がどうにかできることでもない。護馬はエドワードに相談してはと言ったが、エドワードは高齢で、彼に相談などして負担をかけさせないようにというのが『庭』の暗黙のルールとして存在していた。この話を仲間達としていた時、美風が言った。
「エドワードに会ったことあるか?」
 他の三人は顔を見合わせ、首を振った。
「カンキリじいさんは会ったことあるって」
 護馬が言った。
「昔は乗馬の達人だったって聞いたぞ。どこからともなく噂だけど」
 と九九。
「会ったことあるのはお年寄りだけよ。エドワードは私達が生まれた頃、すでにお屋敷から出ることはなくなってたって聞いたことがあるわ」
 杏那が言うと、三人はう~んと首をかしげて唸り出した。一番年長の九九が十三歳、まだほんの十年余りしか生きていない彼らにとって、エドワードという老人は近いようで遠い存在だった。
 『庭』があるのはエドワードのおかげ。それは理解しているものの、会ったことない人間のことを常日頃から気にするというのは無理があった。彼ら子供達にとっては日常が無事に過ごせればそれでよかったのだ。
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