第23話 青天の霹靂 第六話
文字数 2,074文字
ところで、ここまで「優しさ」というものは一筋縄ではいかぬと、長々と述べてきた。
それだけに、「それはそうと、あの料亭の話はどうなった」という、お叱りの声が、どこかから聞こえてきそうだ。
それに対しては、さすがにぼくも忸怩たるものがある。したがって、ここで一言触れておかねばならないだろう。
先日、ニュースを見ていると、ある政治家が記者会見でこんなことを言っていた。
「××のような議論に対して、つい強い口調で反論してしまう。そうした私の姿勢が、結果として、政策論争以外の話を盛り上げてしまったようだ。それに対しては、深く反省している次第である」
政治家の先生の言葉を、ぼくのような稚拙な話に拝借させていただくという不遜については、ご勘弁願いたいと思う。
ただ、その顰に倣えば「ぼくもつい、話が脱線してしまう。そうしたぼくの姿勢が、結果として、ちがう話題で盛り上がってしまったようだ。それに対しては、深く反省している次第である」ということになるだろうか――。
なんといっても、話が脱線して、なかなかストリートが先に進まないのが、ぼくのいつもの悪い癖。思えば、かつて書き上げた小説のときもそうだった。
ある日の晩の、その夢想だけで、数十枚の原稿用紙を割いて、読者から「いいかげん先に進め」と不興をかってしまったという、過去の苦痛の思い出があるほど……。
それに対しては、衷心より反省しているつもりである――といって、どうせたぶん、これから先も、そうした悪弊はしばしば顔を覗かせるのだろうが……。
結局のところ、つもりはつもりのままで終わってしまうのが、ぼくという人間の本質らしい。
そこのところは、どうか、暖かい目で見守ってほしい、と切に願っている、きょうこのごろだ。
それはともあれ、ぼくが料亭に誘われた日の奥さんは「丁寧にお断りするのも優しさのひとつだと思うけどね」と、彼女なりの見識で、ぼくをたしなめた。
それがあったので、ぼくは「優しさ」について考えようと思い立った。
ただ、いかんせん、ぼくは歯の痛みの憂鬱さに苛まれていた。だから、「優しさ」についていろいろ考えてみたが、なんのことはない、結局歯の痛みの憂鬱さに負けて、それは途中で挫折してしまう。
そういうわけで、不安そうにしている奥さんを尻目に、ぼくは「まあ、なんとかなるさ」とうそぶいて、いそいそと「料亭」に足を運んでいたのだった。
え⁈ どうして、こんなときに限って――またしても、料亭についたぼくは、そういう皮肉を味わされる憂き目に――。
どのような憂き目かというと、こんな感じ。
かつてぼくは、神楽坂のほど近くにある大学に通っていた。
当時、その坂の途中にある路地を入ったところに、粋な黒塀見越しの松という、いかにもといった一軒の高級料亭があった。ぼくはいつも、その料亭を眺めながら、アルバイトに通っていた。
前を通るたびに、ぼくは垂涎しながら、思っていたものだ。
さぞや美味しい料理が味わえるんだろうな、というふうに。
ところが、ぼくはそこで、いかに世間知らずの若者だったかということを、思い知らされることになる。
あれは、大学二年の秋――バイト代をもらった日の、その夜のことだった。
その月はうんと頑張って、かなり残業した。その甲斐あって、バイト代も思いのほか多かった。
決定的にぼくはお調子者で、自分にしては大金を手にしたその日、ことさら気が大きくなっていたようだ。
なにせ、身分も弁えずに、その高級「料亭」に悪友を誘って、繰り出していたのだから。
けれど、ぼくらは「一見さんはお断り!」とぴしゃっとした、にべない言い方で、門前払いをくらってしまう。
本当に、世間知らずだったのだ、あのときのぼくは――。
そうだっただけに、店の対応が居丈高と勘違いして、「こんな理不尽が許されていいのか」と唇をとがらせて、粋な黒塀にあっかんべえをしてしまっていた。
そんなぼくも、やがて、社会人になる。
そうすると、この世はおうおうにして理不尽がまかり通るし、だからこそ、それに折り合いをつけるのが分別のあるオトナってもんだ、ということを学習するようにもなる。
もっとも、清濁併せ呑むのが大人だとすれば、自分のような度量の狭い人間が、はたして、その仲間入りができるのか、ちょっぴり不安ではあったが……。
それはそうと、ぼくがその晩、連れていかれた「料亭」が、奇しくもかつて門前払いをくらった、なんと、あの神楽坂の料亭だったのだ。
え⁈ どうして、こんなときに限って――だから、思わずぼくは皮肉を感じてしまうのだ。
わざわざ、歯が痛いときに、あの憧れていた『料亭』に行くとはなんたる皮肉、というふうに。
そればかりではない。ぼくはあの日、大いに学習させられてもいた。
そこは、江戸時代からつづく「由緒ある料亭」で、「一見さんお断り」というのは、この世界の暗黙の了解だった。ということを――。
いかにぼくが世間知らずな若者だったということを、それが如実に物語っているというわけ。
つづく