第12話 悪業の猛火 其の五

文字数 1,228文字

 
「めずらしく、おめぇにしちゃ、やけにむきになって拒むじゃねぇか」
 瘦せっちょが腑に落ちないという顔で、太っちょに言った。
 たしかに、おっとりしている太っちょが、こんなにむきになって抵抗するのはめずらしかった。
「よほどのことがあるようだな……その金の使い道には」
 ああ……。
 力なくうなずいて、太っちょがことばを絞り出すように言った。
「お、おれは……この金で、女房とガキと三人、だれも知らない土地に行って、そこで幸せに暮らそうと思ってるんだ……だ、だから、この金だけは……」
 太っちょはそう言うと、札束の入ったバッグをいとおしそうに抱きしめた。
 あ、あのなぁ、オレだってなぁ――やや撫然とした面持ちで、瘦せっちょは内心つぶやきを洩らす。
 考えてたんだよ。悪事を働くのは、これっきりにしよう、ってな。オレだって、今回せしめた金で、どこかあったかい南の島にでもトンズラして、そこで悠々自適に暮らそう、って考えてたんだ。それが、このざまよ……。
 瘦せっちょはふと、太っちょから目を離して、窓の外に目をやった。それから、さっきまで薪が積んであった小屋の片隅にも目をやった。そして最後に、囲炉裏の中にも……。
 見ると、吹雪が、次に、なくなった薪が、最後に、灰と化してしまった二億もの札束が、それぞれ、むなしく、痩せっちょの目に入った。


 幻想――するとそのとき、瘦せっちょの念頭にふいに、そんな単語が降りてきた。
 瘦せっちょはあるとき、ふと立ち寄った本屋で、たまたま手にした本の中に、こういう(くだり)があるのを目にした。
 単に、領土=国家、とは言えないことからもわかるように、「国家」とは実体が曖昧なものだ。それなのに人は、あたかも実体があるかのように「幻想」してしまうのだ。そして、それは「貨幣」についても同様なことが言えるのである……と、まあ、だいたい、こんな感じで、記してあった。
 痩せっちょは、それを目にして以来、その幻想ということばが頭を離れなかった。
 領土がどうしたこうしたと醜く言い争って、挙げ句の果てに、愚かな戦争をおっぱじめる。あるいは、金に執着しすぎたあまり、どうかすると、肉親同士で愁嘆場を演じてしまう。
 しょせん、領土も金も、幻想にすぎないのに、人間というものは……。
 それを思えば悪事を働くのが、むなしくなってしまった、痩せっちょだった。
 だって、見てみろ。
 囲炉裏の中で、燃えかすになってしまった札束を眺めつつ、瘦せっちょは内心思う。
 こうして、燃えちまったら、紙幣も、結局のところ、ただの灰にすぎねぇじゃねぇか……。
 うつろなな目で、それを眺めながら、瘦せっちょは、長く、深く、ため息をついた。
 と、そのとき、瘦せっちょの軀が、突然、ぶるっと震えた。
 ウゥ、さみぃ。やっぱ、暖をとらねぇと、一巻の終わりだぜ――心の中でつぶやいたとたん、瘦せっちょはもう、叫んでいた。
「おい、おまえ! どうでもいいから、そのバッグをこっちに寄こすんだ!!」


つづく
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み