第17話 僥倖は性を伐つの斧なり 最終章

文字数 1,540文字


 「――お、おい!」
 王様が側近を呼んだ、その次の瞬間――。
 王様の周りを取り囲んでいた家来と群衆が、「いまだ!!」と叫んで、いたずらに肉のついた王様の軀を、みんなで「それっ!!」と力強く押したではないか。
「お、おい、なにをする。や、やめろ、お、落っこちる!! う、うわああああっ!!!」
 無情にも、王様は悲鳴上げながら、井戸の底へと真っ逆さまに墜落してしまったのだった。

 別段、自分で手に入れた王の座ではない。ただ単に親から譲り受けた地位だ。その上に横着にあぐらをかいて、何の努力もしないで私利私欲を貪っている。その上、自分は見識が深いと自惚れてすらいる。
 哀れ、そんな王様が、いや、そんな王様だからこそ、民の手で井戸に突き落とされ、水没して息を引き取ったのである。
「やったあ、やったあ、ついに私利私欲に目がくらんだ国賊を成敗してやったぞ!」
 頬を紅潮させながら、歓喜の雄叫びを上げる民衆。
 天に拳を突き上げ、満面の笑みを浮かべる、あの若い近衛兵。
 歓喜の渦の中で、満足そうに、うなずく側近。
 その彼の胸のうちに、何やら熱いものがこみ上げてきて、やがて、それが瞼の裏にまで伝わった。
「これで、ようやっと、この国に安穏な日々が訪れるのだな」
 側近は自分にそう私語(ささや)くと、(まなじり)を、そっと人差し指で拭うのだった。


 それから、ゆっくりと井戸に歩み寄ると、側近は、その底を覗き込んだ。
 見ると、薄墨を流したような漆黒の闇の中に井戸の底はひっそりと沈んでいた。
 その無明の闇にむかって、彼は低い声で滔々と語りかけた。
「王様、いや、もはやあなたはただの国賊でしたね。これまでの一連の流れは、その国賊を成敗するための謀(はかりごと)でした。この井戸は国賊を陥れるための、まさに陥穽だったのです。この謀に手もなくはまるとは、あなたの見識なぞ、しょせん、無用の長物にすぎないのです。それにしても、なぜ、このような仕打ちを……。たぶんあなたは、そう訝っていることでしょう。でもこれは必然の帰結。なにしろこの国の民は、長い間、あなたの理不尽な仕打ちにさんざん虐げられ辛酸をなめてきたのです。これはその報い、さしずめ民からのしっぺ返しとでも言いますかな、ふふ」
 そこで側近は、いや、いまや新王になった彼はことばを区切って、ゆっくり、後ろを振り返った。
 颯爽とした彼の風貌を目にした群衆が、瞳を潤ませながら大きくうなずいて、一斉に、「新王、バンザーイ!!!」と連呼した。
 よかったな、と民に向かって、うんうんとうなずいて見せる、新王。
 そこで彼は、踵を返すと、無明の闇に向かって、改めて、低い声で語りかけた。
「ほら、民の声が聞こえるでしょう。民があなたに一矢を報いた歓喜の声が。この声は、やっと酷薄なくびきから逃れられた民の、それでようやく自由になった民の、その心情の表白なのです。これからは、わたしがあなたに代わって、民に寄り添った(まつりごと)()ろうと思います。実は僥倖と申し上げたのは、あなたにとってではなかったのです。むしろ、それは民にとっての僥倖でした。しかもそれと同時に、首尾よくいったわたしにとっての、それでもあったのです」
 言い終わった彼はふと、天を仰いだ。見れば、天空に、月明かりはない。それもそのはず。言うまでもなく、月は今宵、(さく)であるからだ。
 道理で、井戸の底の水面(みなも)に、月影が見当たらなかったはずである。
 新王は、それがわかった上で、あえて、この日を選んだ?
 それはわからない。だれにもわからない、それは……。
 するとそのときだった。城内にある教会の鐘が、さながら、この僥倖を祝福するかのように打ち鳴らされた。
 カーン、カーン、カーン、カーン。
 と、高らかに、四回――。


おしまい
 
 
 
 
 
 
 
 
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