第24話 青天の霹靂 第七話

文字数 1,840文字


 由緒ある、その「料亭」はこじんまりとしながらも、時代がつく門構えをして、幽玄の世界の中にひっそりとたたずんでいた。
 門を通り、年季の入った暖簾をくぐる。
「ようこそいらっしゃいました」
 愛想の良い中居さんの丁寧な出迎えを受ける。いつも通っている蕎麦屋の愛想もこそもない女将とは、えらいちがいだ。
 靴を脱いで、上り框から中を伺って手入れの行き届いた黒光りのする廊下を渡り、やがて、古風な座敷に通される。
 部屋に一歩足を踏み入れたぼくはふと、床の間に眼差しを向ける。すると、見るからに高そうな山水の水墨画の掛け軸が目に入った。
 こう見えても、ぼくは絵画鑑賞を趣味にしている。そんなぼくはこの二十年余り、都内のあちこちの美術館に、それこそ毎月のように足を運んできた。つい先日も、『雪舟』の水墨画を、丸の内にある美術館で鑑賞したばかり。
 それもあって、絵画を見る目には、多少なりとも自信がある。
 周知の通り、水墨画は「墨」一色で表現される絵画である。
 その絵画の優劣は、墨を()かした濃淡の明暗をいかに上手く表現するかが決め手になる、というふうに、ぼくは『雪舟』で教わった。
 ぼくが、この掛け軸を「見るからに高そうだ」と判断した理由も、実はそこにあった。まさしく、そういう画風であったからだ。
 ここはしかも、由緒を誇る料亭。それだけに、たぶんこれは、名のある画人が描いた作品に違いない、というふうにぼくが確信したとしてもなんら不思議ではない。
 ただ、そうはいっても、掛け軸は難しいと、だれもが認識している。いかんせん、贋作ばかりが幅を利かせているのが、この世界の実情でもあるらしい。それはぼくも、むろん認識している。
 ほら、だって、某テレビ局の「お宝」鑑定番組でよく目にするじゃない。
 わざわざ高いお金を払ってまで購ったにもかかわらず、「哀れ、贋作」と鑑定され、しゅんと肩をすぼめて、うつむいている人の姿を。
 まして、ここは「由緒ある料亭」だ。とかく、人は「権威」というものを前にしてしまうと、その審美眼が曇りがちになるものだ。もちろん、ぼくもその例外ではない。
 そこでぼくはふと、思うのだった。
「高そうな掛け軸ですね」と感心して、中居さんから「いえ、これは印刷なんですよ」と返され、恥をかいてはたまらない、と。
 というわけで、ひとこと触れたいのを我慢して、ぼくは黙って、座椅子に腰を下ろすのだった。
 
 
 ふかふかの座布団が座り心地のよい、だから逆に、ちょいとケツの座りの悪い、そんな座椅子に腰を据えて、料理を待つ。
 ほどなく、粋な仲居さんたちが美味しそうな料理を大ぶりな卓上に、次々と並べてゆく。
 当然、食指は動く。けれども、箸が動かない。こんなご馳走を前にしながら、その美味を堪能できないなんて――たぶんアフォリズムを駆使した芥川龍之介なら、こう言うのだろう。
 地獄より地獄的な仕打ちではないか、というふうに。
「だから、言ったでしょ」
 そう言って、奥さんが皮肉な笑みを浮かべている顔がふいに、脳裏をかすめる。それが、癪に触って、歯嚙みするほど口惜しい。かといって、痛む歯では、歯嚙みすらままならない。
 もっとも、日頃、なにくれとなくお世話になっている、御仁の手前である。
 とにかく、箸を動かさなくては――思わず、そういう強迫観念に駆られてしまう。そこで、とりあえず、料理の品定めをしてみる。
 見れば、いかにも美味しそうな「イカ刺し」が目に入る。
 これなら、大丈夫だろう、と自分に囁いて、さっそく、それに箸を伸ばして、口にした。
 でもここは「由緒ある料亭」なのだ。となれば、イカも、当然、ひときわ新鮮なものが提供されている。
 自宅でいつも食しているような、薹が立ったイカとはわけがちがうのである。
 コリコリとした歯ごたえ。それが、しかと伝わる。
 本来であれば、いたって至福のときであるはずなのに、思わずぼくは「痛て!!」と悲鳴を上げて、その場を冷たく凍らせてしまったのだった。
「ほら、言った通りでしょ」
 またしても、脳裏で、奥さんが皮肉な笑みを浮かべている。
 ちくしょうめ、とぼくは内心毒づく。奥さんというより、むしろ自分の虫歯に対してーー。
 こうして、トホホの気分を味わってしまったぼくは、そういう気分を払拭したくて、なにを措いてもさしあたり歯医者に行かねば、そう思い立ったのだった。
 そんなわけで、それこそ何年かぶりに、ぼくは料亭同様、歯医者の門もくぐっていたのであった。
 
 
つづく
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