第13話 悪業の猛火 最終章

文字数 2,437文字

 

「い、いやだ……」
「な、なんだと! いいから、寄こせ!!」
「い、いやだ、いやだ、いやだァァァ!!!!」
「バ、バカか、おめぇは! さっきも言っただろ!! 命あっての物種だって、なあ!!!」
「…………」
 この瘦せっちょの迫力には、さすがに太っちょも気圧されたようで、すっかりしょげて口をつぐんでしまった。
「あのなぁ……」
 小屋の中の宙空の一点に目をやり、痩せっちょが、問わず語りでつぶやく。
「死んじまったら、元も子もなねぇんだ。その金だって宝の持ち腐れってもんよ。そりゃ、地獄の沙汰も金次第っていうぜ。だからといって、その金を抱えて死んだところでどうにかなるもんじゃねぇ。ありゃ、おめぇ、あくまでもたとえだ。この世はすべて金の力で左右されるって言うな……」
 ハ、ハ、ハクション!!!
 だしぬけに、瘦せっちょのつぶやきを遮るようにして、太っちょが、ひときわ大きなクシャミをした。
「ふん、ほらみろ。軀は正直だぜ」
 苦い笑みを浮かべて、瘦せっちょが言う。
「暖をとらねぇと凍え死んでしまうってことよ。だから、そのバッグをこっちに寄こしやがれ、はやくしろ!!」
 瘦せっちょに執拗に言われて、とうとう、観念したようだ。渋々ながら、太っちょがバッグを瘦せっちょに渡した。
 
 
 しばらくの間、二人は、黙々と囲炉裏の中に紙幣をくべていた。
 そんな中、ふと痩せっちょが窓の外に目をやった。その瞬間、彼の口元が、ふっとゆるんだ。
 さっきまで、あんなに猛威を振るっていた吹雪の勢いが、大分、弱まっていたからだ。
 この調子なら、昼までには、なんとかこの山小屋をぬけだしそうだな――頬をほころばせながら、瘦せっちょは思った。
 それを、何気に見ていた太っちょが、紙幣をくべる手をちょっと休めて、眼差しをふいに、窓の外に転じた。
 見ると、思わず太っちょは「あ」と声をあげた。とたん、太っちょはもう、窓際に歩み寄っていた。
「ねえ、吹雪弱まってるよ。これなら、もう時期、ここを抜け出せるんじゃない」
 喜色満面で、太っちょが声を弾ませて言う。
「ああ……」と瘦せっちょは相槌を打つと、ひょいとバッグの中を覗いた。
 やれやれ――危機一髪だったぜ、と思った瞬間、ちがった意味で、痩せっちょの軀が、ぶるっと震えた。
 二万枚入っていた紙幣が、もはや数百枚しか残っていなかったからだ。
 もし、今日中に――ふと、痩せっちょは思う。
 ここを抜け出さなければ、オレたちの命の灯はこの寂れた山小屋の中で、冗談のように脆く消え去っていただろうな、と。
 その焦眉の急は、なんとか逃れられたらしい。
 そう瘦せっちょは思うと、急に、全身に力がみなぎった。
「よし」
 強く、うなづいた痩せっちょは、腰を上げて言った。
「さっそく、ここから抜け出す準備に取り掛かろうぜ」
「うん、そうしよう」
 間髪を入れず、うなずいた太っちょは、リュックを背負おうとした。
 が、そのリュックがあまりにも軽いので、いったん、それを下して、中を覗いた。  
「ほえー、道理で、軽いはずだよ。あんなにいっぱいだった食料が底を尽きかけているもの」
 危なかったねぇ、という感じで太っちょは肩をすくめると、さらにつづけて言った。
「でも帰りは下りだ。これだったら、楽ちんに行けるや、よかったねぇ、へへへ」
 不幸中の幸いってヤツだな――太っちょが喜ぶのを見ていた痩せっちょは、内心まんざらでもない様子でつぶやきを洩らした。
 そこで痩せっちょは、紙幣が詰まったバックに歩み寄ると、躊躇なく、その中に両手を突っ込んだ。
 するともう、さっきの手を、バッグの外に出していた。もちろん、その手には、残った紙幣が鷲づかみにされている。
 
 
「な、なにをするんだ!!」
 その紙幣を、瘦せっちょが囲炉裏の中にくべようとした瞬間、太っちょは慌てて、瘦せっちょの手にしがみついた。
「もったいないじゃないか。もはや暖をとる必要はないんだ。せめて、これだけでも持って帰ろうよ」
 いまにも泣きそうな顔をして、太っちょが懇願する。
「うっせぇんだよ! 今日までのことは全部灰にして、きれいさっぱり精算するのよ。明日からまた、新しい人生を歩むためにな」
「そんなキザなこと言ってないで、頼むから燃やさないでよ。やっと手に入れた金じゃないか、それを……あ!」
 太っちょの制止など歯牙にも掛けず、瘦せっちょは手にしていた紙幣を、一枚残らず囲炉裏の中にくべてしまった。
 くすぶっていた灰の中に放り込まれた紙幣は、ボッという音とともに、目を瞠るような火柱を立てて、薄暗い闇の中で勢い良く燃えあがった。
 と、その次の瞬間、瘦せっちょが「うっ」とうめき声を上げたかと思うと、カッと目を大きく見開いて、その場に突っ伏した。
「お、おい、 いったい、どうしたっていうんだ」
 呆気にとられた太っちょだったが、けれどすぐにわれに返って、痩せっちょのもとに駆け寄った。
 グフッ! と瘦せっちょが吐血する。
 燃え盛る焔のような赤い鮮血が、小屋の中に飛び散る。
「だ、大丈夫か⁈」
 声をかけた太っちょは、すっかりうろたえ、ひどく冴えない顔つきをしている。
 ようやっと、助かるというときに、どうしてだよ、と茫然自失になって。
 青白い顔をした瘦せっちょが、「へへ」と力なく笑って、ことばを絞り出す。
「に、にしても、ほ、焔の燃え盛り方、は、半端なかったな……」
 グフッ――ふたたび、吐血により、痩せっちょのことばは遮られた。
 それでも、痩せっちょは最後の力をふり絞るようにして、息も絶え絶えにことばを紡ぐ。
「ま、まるで……オ、オレの悪業の……む、報いが、とびきり大きいことを示すような……そ、そんな勢いの焔だっ」――グ、グフッ。
 またしても、吐血した痩せっちょは、まるで蠟燭が燃え尽きる直前に激しい光を放つような、はかない最後のきらめきとともに、あえなく、息絶えた。


〈了〉


ちなみに、悪業の猛火とは、悪事の報いが大きいことを、燃えさかる火にたとえたものです。
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