第10話 悪業の猛火 其の三

文字数 1,513文字

「こうなったら、背に腹は代えられねぇ……」
 八日目の朝まだき――とうとう、山小屋の薪が尽きてしまった。
 臍を固めたようにつぶやいた瘦せっちょは、尽きた薪に代わって、囲炉裏の中に『何か』をせっせとくべはじめた。
 太っちょは今夜も、缶詰めを食った後、コクリコクリと船を漕ぎはじめたかと思う間もなく、深い眠りに落ちていた。
「無邪気なやろうだぜ、まったく」
 舌打ち交じりに、そうつぶやいた瘦せっちょは、その『何か』をくべる手を一瞬、やめかけた。けれども、ここで囲炉裏の中の焔の灯火を消したなら、間違いなく、太っちょの命の灯火まで消すことになる。
 たとえ、悠久の大自然のきまぐれのせいとはいえ、自分が、太っちょをこの山小屋に連れてきて、このようなのっぴきならぬ事態に陥れた。そのうしろぐらさが、瘦せっちょには、少なからずあった。
 ちくしょうめ、しょうがねぇ……。
 瘦せっちょは、だから、吐き捨てるようにつぶやくと、ふたたび、囲炉裏の中にその『何か』をくべはじめた。
 くべる度に、その『何か』は、ボッという音とともに、宙空に、勢い良く焔の柱を立てる。朝まだきとはいえ、暗雲垂れこめた山中には、お天道様が顔を出す気配は一切窺えない。したがって、山小屋の中の闇は、いたって深い。そのぶん、燃え上がる焔の柱は、やけに明るい。
 瘦せっちょは、ひときわ大きなバックから、その『何か』を取り出しては、囲炉裏の中にくべている。
 この大きなバッグの中には、いったい、何が入っているというのだろう。
 では、ここで、さっき、小屋の中を拝見させていただいたように、バッグの中も、ちょいと拝見させていただくことにしよう。

 お! こ、これは――なにあろう、札束ではないか!! 
 それも、はちきれんばかりにバッグに入っている。
 その札束の帯封を切って、バラになった紙幣を数枚ずつ、瘦せっちょは、囲炉裏の中にくべているのである。
 けれど、それにしたって、なぜ、バッグの中に札束が?
 思わず、首をひねりたくなる。
 ひょっとして、この二人、銀行強盗、であろうか⁈
 だとすれば、辻褄が合うではないか。だれかに追われて、この山小屋に逃げ込んできたという、辻褄が――。
 はたして、ほんとうに、そうなのだろうか⁇
 
 
 そう、お察しの通り、この二人は銀行強盗犯である。瘦せっちょがいま、囲炉裏の中にくべているのは、さきほど、山のふもとの町にある銀行に押し入って強盗してきた、その札束だったのだ。
 もちろん、この犯行を企てたのは瘦せっちょの方だ。
 銀行に押し入り札束を手に入れたら、吹雪いているこの山小屋に逃げ込んで、いったん、警察の追手から逃れる。この吹雪も、せいぜい四五日もすればおさまってくれる。そしたら、山の裏側の麓の町に下りて、そこに隠して置いた車で港まで行き、船に乗って海外にとんずらする――と、まあ、だいたい、こんなシナリオを書いていた。
 がしかし、四五日どころか、八日目の夜になっても吹雪はいっこうに弱まる気配を見せない。
 そうかといって、吹雪の中を、やみくもに動き回ったところで、無駄に命を捨てるのは火を見るよりも明らか。
 それもさることながら、山小屋に積んである薪も、とうとう、尽きてしまった。
 そこで、瘦せっちょは突然、考えた。
 なんとか、この凍みの冴えた時間帯を乗り切ろう。そうすれば、やがて、吹雪の勢いが弱まる時間帯がくるはずだ。そのときを見計らって、この山小屋を抜け出し、山の裏手の麓の町まで逃げおおせばいい、というふうに。
 というわけで、瘦せっちょは「こうなったら、背に腹は代えられねぇ」と、せっかく奪った札束をやむにやまれず燃やしていたのだった。


つづく
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