第28話 青天の霹靂 第十一話
文字数 1,377文字
あれは、ある日曜日の朝のことだった。
食後に、ぼくは挽き立ての珈琲を啜りながら、朝刊を読んでいた。
はからずも、その中で、ぼくは「歯」に関するコラムに出会った。それを読み終えたとたん、ぼくは呆然として思わず口をぽかーんと開けていた。
それというのも、そこには、このように記してあったからだ
年齢」の「齢」には、「歯」という文字が使われているが、これは、もともと動物の年齢を「歯」で判別したことに由来する。「論語」には「歯」《し》を没す」ということばがあり、これは命が尽きることを意味している。これを認識していた江戸時代の本草学者貝原益軒は、こう言った。「人は歯をもって命とするゆえに、歯という文字はよわいともよむなり」
このコラムは、これを引用した上で、最後に、こう結ぶのだった。
昔の人が「歯」を寿命と関係深いと考えたのは、日ごろの実感にてらして分かりやすいところであったからだろう。つまり、「虫歯」は、遠い昔から、命にかかわる深刻な問題であり、それは現代人も、日ごろの実感にてらして分かりやすいところなのだろう、と、まあ、だいたい、こんな感じで――。
これには、さすがにぼくも驚かされた。
ぼくはいままで、それほど「虫歯」が人の寿命と密接に関係しているなどとはつゆ知らず、むしろ「虫歯」くらいとタカを括っていたのだから。
されど、ぼくのように歯医者をいたずらに恐れて、治療をゆるがせにしていれば、最悪の場合、あの「テロリスト」のように宿主諸共に自滅してしまう危険性すら、あったという。
そうした恐ろしい事実を、ぼくは、この記事に教えられて、口あんぐりしていたのだった。
幸か不幸か、ぼくは「怪我の功名」で「歯を没す」という、最悪の事態を免れていた。
こう考えてみると、たかが「虫歯」、されど「虫歯」、というふうに、思えてならない。
日常のふとした瞬間、ぼくは、自分に「怪我」を負わされてしまった、あの得意先のことを思い出し胸が鈍くうずくことがある。
ぼくはいま、それほど抵抗感なく歯医者に行けるようになった。だからといって、そのことを手放しで喜んでばかりもいられない。
それもそのはず。
ぼくが歯医者にいかなかったばっかりに、あの得意先は、晴天の霹靂の如く、「怪我」を負わされてしまったのだから……。
それに対しては心底、申し訳ないと思っているし、その贖罪として、ぼくは今でも、あの得意先のある方向には足を向けないで寝るように心掛けている。
それのみならず、あの日、ふがいないぼくを厳しく叱咤してくれた上司には、本当に感謝している。
もっとも、心底そう思えるようになったのも、実はつい最近のことではあるのだが……。
実をいうと、ぼくはそれまで、仕事帰りに同僚たちと居酒屋に寄っては、その上司の悪口を酒の肴にして、大いに盛り上がっていたのだった。
かつての上司は、そこまでひどく怒んなくても――そう、うんざりするほど、仮借なく、ぼくたち部下をどなりつける人だった。
それに耐えかねた同期の何人かが、悔し涙を浮かべつつ、彼に対する恨みつらみを吐き捨て、無念ながらに、職場を去って行ったものだ。
いまなら、間違いなく、「それって、パワハラじゃん」と世間から、後ろ指をさされるのにちがいないのだが――。
最終章につづく
食後に、ぼくは挽き立ての珈琲を啜りながら、朝刊を読んでいた。
はからずも、その中で、ぼくは「歯」に関するコラムに出会った。それを読み終えたとたん、ぼくは呆然として思わず口をぽかーんと開けていた。
それというのも、そこには、このように記してあったからだ
年齢」の「齢」には、「歯」という文字が使われているが、これは、もともと動物の年齢を「歯」で判別したことに由来する。「論語」には「歯」《し》を没す」ということばがあり、これは命が尽きることを意味している。これを認識していた江戸時代の本草学者貝原益軒は、こう言った。「人は歯をもって命とするゆえに、歯という文字はよわいともよむなり」
このコラムは、これを引用した上で、最後に、こう結ぶのだった。
昔の人が「歯」を寿命と関係深いと考えたのは、日ごろの実感にてらして分かりやすいところであったからだろう。つまり、「虫歯」は、遠い昔から、命にかかわる深刻な問題であり、それは現代人も、日ごろの実感にてらして分かりやすいところなのだろう、と、まあ、だいたい、こんな感じで――。
これには、さすがにぼくも驚かされた。
ぼくはいままで、それほど「虫歯」が人の寿命と密接に関係しているなどとはつゆ知らず、むしろ「虫歯」くらいとタカを括っていたのだから。
されど、ぼくのように歯医者をいたずらに恐れて、治療をゆるがせにしていれば、最悪の場合、あの「テロリスト」のように宿主諸共に自滅してしまう危険性すら、あったという。
そうした恐ろしい事実を、ぼくは、この記事に教えられて、口あんぐりしていたのだった。
幸か不幸か、ぼくは「怪我の功名」で「歯を没す」という、最悪の事態を免れていた。
こう考えてみると、たかが「虫歯」、されど「虫歯」、というふうに、思えてならない。
日常のふとした瞬間、ぼくは、自分に「怪我」を負わされてしまった、あの得意先のことを思い出し胸が鈍くうずくことがある。
ぼくはいま、それほど抵抗感なく歯医者に行けるようになった。だからといって、そのことを手放しで喜んでばかりもいられない。
それもそのはず。
ぼくが歯医者にいかなかったばっかりに、あの得意先は、晴天の霹靂の如く、「怪我」を負わされてしまったのだから……。
それに対しては心底、申し訳ないと思っているし、その贖罪として、ぼくは今でも、あの得意先のある方向には足を向けないで寝るように心掛けている。
それのみならず、あの日、ふがいないぼくを厳しく叱咤してくれた上司には、本当に感謝している。
もっとも、心底そう思えるようになったのも、実はつい最近のことではあるのだが……。
実をいうと、ぼくはそれまで、仕事帰りに同僚たちと居酒屋に寄っては、その上司の悪口を酒の肴にして、大いに盛り上がっていたのだった。
かつての上司は、そこまでひどく怒んなくても――そう、うんざりするほど、仮借なく、ぼくたち部下をどなりつける人だった。
それに耐えかねた同期の何人かが、悔し涙を浮かべつつ、彼に対する恨みつらみを吐き捨て、無念ながらに、職場を去って行ったものだ。
いまなら、間違いなく、「それって、パワハラじゃん」と世間から、後ろ指をさされるのにちがいないのだが――。
最終章につづく