第26話 青天の霹靂 第九話

文字数 2,826文字


 しかしながら、そういった姑息な対処療法では「虫歯」を退治することなどは到底できない。
 なんといっても、「虫歯」は、あの癌細胞のように「宿主」を蝕ばんで、最悪の場合死に至らせるという、非常に、厄介な存在なのだから。したがって、「虫歯」になったなら、すべからく根本的治療を施すべきである。
 そうでないと、この獅子身中の「虫歯」、もとい「虫」をやっつけることはできない。それどころか、人の弱みにつけることにたけた「虫歯」はますます図に乗って、その痛みを増幅させようとくわだてさえする。 
 その結果として、ぼくは「虫歯」の疼きに注意力を散漫にさせ、ミスを犯してしまった。それも、取り返しのつかない、とんでもないミスを――。 
 いまのぼくならば、あのころのぼくを、こう言って笑ってやれる。
「おまえ、愚か者だったよなぁ、まったく」――といふうに。
 
 いまにして思えば、あの頃のぼくは肉体的だけでなく、精神的にも、あまりにも若かった。なので、いかに自分が愚か者であるか、それすらわからずにいたものだ。  
 上司が、そんな情けないぼくを呼びつける。鬼の形相で、上司は、ぼくを叱咤するのだった。
「なんだとう、歯が痛かっただとう。それなのに、歯医者が怖くて行かなかった……って、お前、バカか。それで、このザマとは、まったくなっとらん。社会人として、失格だあ! ふざけるのもたいがいにせい!!」 
 ドーン!!! 
 机上で、上司の怒りの鉄拳が炸裂する。その打音が事務所内に、ひときわ大きく轟く。一瞬、所内がシーンと静まり返る。 
 居心地の悪い沈黙。 
 血の気の引く音が、周りに聞こえたんじゃ、と泡を食うほど、さあっ、と音を立てて引いていった。 
 罵声と打音とが胸にグサリと突き刺さり、その痛みに思わずぼくはうろたえてしまう。 
 あの日、苦虫を嚙み潰したような顔をしたぼくは内心、こうつぶやきを洩らすのだった。 
 これならまだ、歯医者の方が怖くなかったかも、というふうに。  
 
 ところで、昨今では「ほめて育てる」というのが主流だそうな。
 『ピグマリオン効果』というのがあるという。
 なんでも、いまの子供たちは「褒める」ことで、その学習成績が向上する傾向があるらしい。 
 この効果は、それが転じて「子供の言い分を聞いてあげる」ことで、期待通りの行動を引き出すことができる、という意味になるという。 
 そうだとすれば、なんとも羨ましい限りだ。なにしろ、ぼくらが育った時代は、それとは真逆の時代だったのだから。
 かねてぼくらは、こんなふうに思いながら、大人に叱られていたものだ。
 豚もおだてりゃ木に登る、って言うよ、と。 
 けれども、大人たちは、むしろ「叱る」ことで能力以上のことがやり遂げられると信じていたようで、これっぽっちもおだててくれなかった。 
 それよりむしろ、よく叱られた。自分の親だけでなく、他人の親からも。彼らはしかも、そうすることこそが「優しさ」だと、信じて疑わなかったようなのだ。そんな時代だったのだ。ぼくらのころは――。 
 
 「褒める」ことで育てる「優しさ」。また一方で、「叱る」ことで育てる「優しさ」。 
 こうして、これまで見てきたように「優しさ」というものは、いたって「複雑」なものといえる。  
 どっちの育て方が「正しい」のか。ぼくみたいな凡庸な者には、それは到底わからない。 
 ただ、いまにして思えば、かつての上司は確固たる信念を持って部下を叱咤していた、ような気がする。つまり、その裏には、「愛」がこっそり隠れていたというわけだ。 
 それでも、まあ、人間は、神とちがって不完全な存在である。したがって、おうおうにして間違いを犯してしまう存在でもある。
 それゆえ、中には信念もなく、ただ直情的に怒鳴り散らしていた大人だって、ひょっとしたら、いたのかもしれない……。
 
 それでも、当時は「叱咤」することで、その場で、「ミス」を「ミス」として本人に強く自覚させていた、というこはあったのかもしれない。 
 そうすることによって、同じ過ちを二度と繰り返さないようにさせる――そういう覚悟を持って、上司は、ぼくらを叱咤していたのではないか、といまなら思える。 
 とりわけ、ぼくのように偏見にとらわれている者には、大きな声で叱咤することで、それを打ち砕いてくれていたのかもしれない。いまふうに言うなら、ドリルで頑強な岩盤に穴を開ける、というような具合で――。 
 いまさらながらに、ぼくは思う。ぼくにとっては、いまならパワハラと呼べるような、上司の叱咤が半端な時代が合ってたんじゃなかろうか、と。 
 なにが「正しい」とか「正しくない」とかは、絶対的なものじゃない。それは、時代や立ち位置や状況などによって決まる、あくまでも相対的なものだ――というようなことを、ぼくは最近、ものの本で学習した。 
 だとするなら、ぼくたちの時代にはぼくたちの「正しさ」があっていいし、いまの時代にはいまの時代の「正しさ」があっていいのではないか、とぼくは思うのだ。 
 たしかに、昔の叱り方は酷かった。でも、あの時代は、それが必然だったのかもしれない。そしてぼくは圧倒的に、あの時代の人間なのだ。
 おまけに、もっというなら、お互いの時代を止揚して昇華させていけたら、より良い時代がくるのではなかろうか。
 あなたの「正しさ」、ぼくの「正しさ」。「正しさ」の形は、いろいろあって、いい。
 なんといっても、いまは、価値観の「多様性」が叫ばれる時代なのだから。
 それでも、という厄介な御仁がいらっしゃる。他人の意見には、どうしてもうなずけないという、そんな御仁が。
 そういう御仁には、なるべく「聡明」な人になっていただきたい。
 なぜなら、人は聡明になればなるほど、明るく素直な人になれるからだ。
 
 このように、あの日のぼくは、自分の愚かさを思い知らされ、しゅんと肩をすぼめ、上司の叱咤を聞いていた。 
 耳が痛かった。それ以上に、「虫歯」も――。上司の叱咤を、忸怩たる思いで聞いていたら、迂闊にも、思わず奥歯をギュッと噛みしめてしまった。当然、全身に激痛が走る。と同時に、瞼に熱いものが滲んですらいた。 
 それを上司がどうとったのかは、わからない。わからないが、上司は相好を崩しながら、言ったものだ。
「それでも、まあ、最終的な責任は、おまえを任命した俺にある。とりあえず、だから先方には俺が謝りに行っておく。おまえの優先順位は、なにを於いてもさしあたり歯医者に行くことだ。そして、治療に専念しろ。その後で…」 
 そのときのぼくは、歯の痛みに耐えかねていた。だから、ぼくは「すいません」と上司の話を遮ると、「その後で……というおことばに甘えさせていただき、とにかく、いまは歯医者に行かせていただきます……」
 そう言うが早いかもう、歯医者に向かって猛然と駆けていたのだった。
 
 
つづく       
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