第8話 悪業の猛火 其の一

文字数 1,235文字


「ここまで逃げてきたらもう安心だぜ。なんたって、この吹雪だからな、ふふふ……」
 
 北国の奥地――遠く人煙離れた雪深い山の中。その中腹に、雪に埋もれてひっそりとたたずむ、一軒のさびれた山小屋がある。
 極寒のさなかに、わざわざ深い山中に分け入る者などいまい――少なくともそれが社会通念である以上、この山小屋には雪がとけて春になるまで電気がくることはない。
 とはいえ、不測の事態に見舞われた挙句、はからずも遭難して、命からがら、この山小屋にたどり着いた、という者がいないとも限らない。
 そこで、小屋の中には薪が積んである。もちろん、暖を取って、急場をしのいでもらうという計らいで。ただし、のべつ囲炉裏にくべていると、一週間もすれば尽きてしまうくらいの量しか、薪は積んでいない。
 もっとも、(ふもと)の村役場には、これまで山が一週間以上も吹雪に見舞われ、その間、山小屋が雪に閉ざされた、という記録も記憶も残っていない。
 それもあって、この薪の量は、予算の乏しい村役場の担当者が「ま、こんだけあれば大丈夫だべ」と、場当たり的に決めたともっぱらの噂――。
 
 
 いくらなんでも、極寒のさなかに、あえて積極的にこの山小屋を訪れる者などいない――はずなのだが、その山小屋の中からいま、人の声が聞こえてきたではないか。「ここまで逃げてきたらもう安心だぜ」という、人の声が……。
 ただ、「ここまで逃げてきたら」という(くだり)からすると、どうやら、これは遭難者ではないようだ。
 だとしたら、いったい、だれが、どのような理由で、あえて積極的に「ここまで逃げてきたら」――なのだろうか?
 という疑問が、当然沸いてくる。
 そこで、ちょっと失礼して、小屋の中を拝見させていただくことにしよう。
 
 
 見ると、男の姿が目に入る。それも、二人だ。
 まず、ひとりを窺うことにする。
 これは迷彩服を着た、背の高い、瘦せた、顔色のわるい、見るからに神経質そうな男だ。ひょっとして、なにか病でも患っているのだろうか。そう思われてもし方ないほど、目の下の影がずいぶんと濃く、やけに頬もこけている。
 それから、もう片方を窺う。これも迷彩服を着てはいるが、さっきのとはちがって、背の低い、太った、顔がまん丸くて、眉が太い、一見して人の()さげな男である。(まなじり)がだらしなく垂れ下がっているところが、それを彷彿とさせる。
 けれど、それにしたって、なぜ、二人は極寒のさなかに、酷薄な、この山中に分け入ってきたのだろう。
「ここまで逃げてきたらもう安心だぜ」
 このセリフからすれば、どうも、二人はだれかに追われて、この山中に逃げ込んできたらしい。
 もしそうだとすると、この二人は、何かよからぬことをしでかしたので、やむなく、逃亡を決め込んでいるのではあるまいか。
 では、いったい、彼らは何をやらかした末に、逃亡者になったのであろう。
 それもさることながら、彼らは、だれに、何ゆえ追われているのであろう。
 はたして、その真相や、いかに。


つづく

悪業の猛火(みょうか)
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