第2話 第2章

文字数 4,459文字

 僕と妻の出会いは大学のゼミ。僕が三年生の時彼女は四年生。才色兼備が服着て歩いている様な彼女に見惚れはしたものの恋心なぞ全く持たなかった。恐れ多過ぎて。
「ほう。で、ヒッキーはどんな子供だったん?」
 子供の頃から本、漫画、アニメ、ゲーム三昧だった僕は勉強もそこそこにこなし、中学受験を乗り越えて私立男子中学高校に進学。在学中は自他共に『オタク』キャラであった。但しそれ程のめり込む性格ではなくアキバにも数回見学に行った程度で寧ろ勉学に勤しんでいたお陰で都内の有名私立大に現役合格。
「へー、ヒッキーも東京出身なん。何処? ほお、杉並。良いとこじゃん。大学、ヒッキーに合ってねー それでそれで?」

 大学生から心機一転、陽キャラで行こうという野望はチャラサークルの新歓コンパで粉々に打ち砕かれ、却ってPTSDを背負い込んでしまい徐々に他人と話せなくなっていく。その後サークルに入るでもなくバイトに明け暮れるでもなく、しかしながら大学の授業は真面目に受け、帰宅後は高校時代と変わらず本、漫画、アニメ、ゲームという『帰宅部』に徹してしまう。
「何それウケる。せっかく日吉行ったのにー 勿体ねー で?」
 三年生になり、就職に有利であると有名なゼミに入った早々、その新歓コンパでまたしてもトラウマレベルの事象に巻き込まれる。
『キミねえ、そんなんだと就活どころか社会生活も厳しいぞ。なんで目を見て話せないの? もっとハキハキ話しなさい! それとその髪型、服、臭い! もっと清潔感を持ちなさい! あー、イライラするわ』
 そう言い放ったのが今の妻、当時の高嶺の花子さん。彼女は幼稚園からこの学園育ち、名門家庭のお嬢様…と噂されていた。成績優秀、眉目秀麗…でなく容姿端麗。危ない危ない。そんな高嶺花子さんのガチキレに周りの先輩が慌てて止めようとするも、彼女の舌砲はとどまる所を知らず。コンパが終わる頃には僕は生きる気力を失い、翌日から親の車を持ち出しひと月程日本各地を彷徨った。

「なんじゃそれ… で、車で全国を彷徨ったってさあ、ガソリン代は? 宿代は? お金持ってたの?」
「給油用のカードが車内にあるの知ってたから。クレジット機能付きってことも。」
「知能的確信犯ね。しっかしさあ、その女…って奥さん、人として酷くね? 幾ら名門の出だからって、庶民を見下しやがって!」
「うん。その家出中にさ、彼女の顔や声を思い浮かべる度に路傍で吐いてたわ」
 ゆっきーは唖然とし、
「そんな… で、それが何故今に繋がったん?」
「それなー。妻は実際、根は良い奴なんだよねー、それに…」

 約ひと月、人との会話は買い物時と宿泊時、食事の注文時だけ。親にはちょいちょい実況を報告していて、それに対しいつも言われる一言
『死ぬんじゃないよ』
 それだけが僕の心に届く人の声だった。日本各地の大自然に触れているうちに徐々に僕の心は修復されていき、錦江湾に佇む桜島の噴火を見て、そろそろ戻るかな、そう思い車のハンドルを東に向ける。僕もいつかあの噴火の様な熱い想いを心に滾らせることが出来るのだろうか、そんなことをぼんやりと考えているうちに自宅に無事帰還した。玄関のドアを開け、ただいまーと靴を脱いでいると、奥からドンドンと足音が近づいて来る。なんて顔して謝ろうか、いや面倒臭いからこのまま風呂入って寝ちゃうかなあ…

『真田くんっ』
 何とあの高嶺花子が僕に抱きついてきた。
『御免なさい、御免なさい、許してください』
 僕の肩でー背が僕と同じくらいなのでー号泣している。どうしていいか分からず、それにまだ心の傷は完治しておらず、立ったまま硬直していると急に顔を上げ、
 パンッ
 思いっきり頬を叩かれた。
『どれだけ… みんなが心配したと思ってるの! もし死んじゃったら… お母様とお父様に何と… 貴方はなんて勝手気儘なの!』

「その時はただ、ヤバい、俺とんでもないことしちまった、って思ったんだわ。あの気迫に飲み込まれたんだなー」
「いやいやいや。謝罪は当然さ、で逆ギレ? ビンタ? 情緒不安定じゃん、そのオンナ…ってか、奥さん…」
「で、親も呆気にとられて。挙げ句の果てに『正幸さんは私が責任を取らせていただきます』って。両親とも口開けたまま首をカクカク振ってたわ」
「何じゃそれ。あ、お代わりあるよ、食べる?」
「うん頂戴。いやー、美味しい。そもそも他人の作ったもの食べるのって、母親以来?」
「何、じゃあ一緒になってからずっとヒッキー専業主夫なの?」
「ハッキリ言おう。一緒になる遥か前から、な。」

 こっちはトラウマ残っているにも関わらず、翌日から公式に僕らは付き合い始める。何しろゼミを代表する、いや学年を代表する超絶美女と見るからにオタな僕の組み合わせはその日のうちに学内を恐慌に陥れた。その日の帰り途中青山のカットハウスに連れて行かれ髪型を整える。翌日の帰り途中渋谷のブティックを梯子し今風の学生らしい服装を整える。翌週からは彼女が僕の部屋に監査に入り、彼女的に不要、不審と判断した物を全て撤去する。それは物質的なもののみならず、僕の精神的なものにまで監査は入り始める。その頃に僕の方も彼女の本当の姿を知ることとなる、彼女は噂されていたような名家の出でもなく幼稚園からの持ち上がりでもなかったのだ。彼女の実家は八王子の農家、家を継ぐのが死んでもイヤで高校時代に死ぬ程勉強し大学から入ったとのこと。

「はあ? それが何故そんな伝説の女子に?」
「似た名前の下から上がりの名家の子と勘違いされてたらしく。」
「ソ、ソデスカ… でも農家でそんな私立大学って、経済的に?」
「そう、だから奨学金で学費払い、家庭教師で生活費を稼ぎ。よく僕の家で夕飯を食べていたよ…」
「お、おう。そんで?」

 気がつくとあっという間に一年が過ぎ。彼女は就活に尽く勝利を収め、その中でもとびきり収入の良い外資系コンサルタント会社に入社を決めた。それから卒業までの間に、必要な資格を取りまくり、入社と同時に即戦力でバリバリと働き出した。そんな彼女を唖然と眺めていたものだった。
「社会人と学生ならだいぶ距離空けられたでしょう」
「それな。でも四年になって気付いたらさ、周りに友人ゼロ、後輩ゼロ。僕、どんだけ彼女に縛られていたのかって」
「でも嫌じゃなかった。のね?」
「何だろう。良いとか嫌とかじゃなく、彼女といることが必然、と言うのかな。三年のあの事件以降、彼女以外と殆ど話さなかったかも。家にもしょっちゅう泊まりに来ていたし。なんなら我が家から学校通っていたし。」
「うわー、きっつー。そんで、漫画、アニメ、ゲームはNGだったんだ…」
「だから彼女と距離が空いて真っ先にそれに走ったわ。結果、益々人と関わらなくなりー」
「あららら。そんでその後―」

 僕は就活する時間を無我夢中で漫画、アニメ、ゲームに費やす。二年間の禁欲生活のリバウンドは凄まじく、何故僕は必死でこれを観ているのだろう、自問自答しながら次々に読み終え見終えクリアしていった。気がつくと卒業時には無職となる。その間彼女とは週一、月一、三月イチ、と会う回数が減っていく。当時使い始めたLINEでのやり取りも徐々に無くなっていき、上手くいけばこのままフェードアウト出来る! と考え始めた矢先。
『アメリカに行きます。MBAを取ります。マサくんもついてらっしゃい。』
 魂消たのは僕よりも両親。
『費用は全て私が出します。私の勉学のサポート役をお願いしたいと思います。』
 その年の九月。僕はボストンの空港に降り立っていた。

「うわ… 凄えな… よく海外で暮らせたな… 尊敬するわー で、どんな生活だったん?」
「聞きたい? 思い出したくもない、地獄の日々を…」
「ゴクリ。聞きたいっ」

 海外旅行は何度かあれど、海外での暮らしは僕も彼女も初めてだった。英語は彼女はペラペラ、僕は日常会話程度、一ミリも期待感のない生活が始まる。家は会社の借り上げコンドミニアムで2L D K。寝室は勿論別々。やたらキッチンが広く、リビングが狭い。古くからの閑静な住宅街の中にあり、通り沿いにスーパーマーケットやカフェ、レストランが点在し、世界中から学生が集まる若々しい活気のある街だった。彼女は一日三時間程しか睡眠を取らず、後は自宅や図書館、そして学校で勉学に励んでいた。僕は毎日彼女の為の家事をこなしていく。昼食の弁当はおにぎりがいいと言うので、毎日朝から炊飯していたし、冬の時期にはポットに味噌汁を入れて持たせたり。清掃ロボットの性能が良く、あと乾燥機の出力も凄かったので、総じて掃除洗濯は日本よりも楽であった。炊事に関してもスーパーマーケットには和食の素材、すなわち米、味噌、醤油など何でもあったので、余り苦労した記憶はない。それよりもー妻の生活リズムを壊さないこと、上手に整えてやることが最重要であったので、その対応が本当に大変だった。夜中に突然
『シャケ茶漬け』
 なんてマシな方。授業中にメールしてきて、
『今すぐ梅昆布茶を届けなさい』
 梅と昆布を別々に煮出し、シーソルトを適量加え、慌てて届けに行ったら、仲間達とカフェで楽しそうにランチしており、僕は公園で一人梅昆布茶をフーフーしながら啜ったり。

「も、もはや執事だな、黒執事かよっ」
「僕は悪魔じゃないし。」
「そ、そうだね… 悪魔に仕える、哀れな執事… 白執事ってか。いやあ、悲惨な生活だわ… よく精神的に病まなかったねえ」
「まあね。意外とさ、」

 その時期には日本のアニメやドラマが話題になっており、NetflixやHuluで幾らでも楽しめたし、日本の番組なんかもV P N繋いでリアルで楽しめたから、引きこもりするにはうってつけの土地柄だったのかも知れない。正直、隣の住人とは喋ったこともないし、玄関の守衛と挨拶を交わす程度だった。ボストンに大学時代の知り合いが何人か駐在していたらしいが、あえて連絡を取ったりもしなかった。故に、この期間彼女と以外殆ど日本語を使わなかったし英語も生活上必要最低限のみ行使してきたので、僕の対人コミュニケーション能力は人類最低レベルに違いなかったろう。ボストンには多くの公園があり、また一人で楽しめるカフェやレストランも多く、気候の良い季節には毎日色々歩き回ったりもしていた。そう、僕は引きこもり体質な訳ではなく、対人恐怖症の類なので、出歩くのは嫌いでない、むしろ好きである、今でも。春から秋にかけては東海岸特有の湿潤で温暖な気候で、ちょっと日本に似ていて中々過ごしやすかった。冬は寒く、時折降る雪には閉口したものだったが、それも今となっては良い思い出かも知れないな。同居し始めて一年が過ぎる頃には、彼女が忙しすぎて殆ど会話すらしな苦なっていた。渡米して約三年後、彼女の壮絶な努力はしっかりと実を結び、見事MBAを取得した。その夜、酔った勢いで通常装着すべきものを(彼女が)拒否した結果。日本帰国後、約十ヶ月後に僕らは人の親となった。
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