第5話 第4章

文字数 2,655文字

 結局。初詣の行きは頑張って歩いていたが、帰りは僕の背中で爆睡の澪なのだった。
「ねえねえ、さっきの澪ちゃんのお祈り、聞いたあー? 可愛かったあー」
 ゆっきーがぴょんぴょん跳ね歩きながら僕の腕に絡みつく。重たいって。
「あは、ミオとパパとゆっきーの三人で暮らせますよーに、か。」
「実はさ、アタシもおんなじことお祈りしたのだー」
 
 あはは。これはしっかりと責任を取らねばなりませぬ。星がいっぱい見れますように、なんて優雅なことを祈っている場合じゃなかったわ。
「あーあ。このままヒッキーの所に転がり込んじゃおうかなー、今日から。」
 嬉しいご提案なのだが、
「P Cやタブレット、置いてきたんだろ? ダメじゃん。」
「それなー。アタシもヒッキーの毒妻見習って、荷造りして出てくりゃよかったよ…」
 何じゃそれ。でも毒妻って、オモロい。
 大通りに出て、左に曲がれば我が家。駅やゆっきーのマンションは右に。
「そんじゃ。アタシこっちだから。」
「うん。帰り気をつけて」
「大丈夫、人いっぱいいるし。」
 よく見ると初詣に向かう大勢の人の流れが出来上がっている。まあこれなら安心だ。
「じゃ。今年もヨロ」
「ああ。こちらこそ」
 人並みに消えるまで、僕らは何十回も振り返るのだった。

「「「えええええーーーーー」」」
 ゆっきーのカミングアウトに三人の絶叫がこだまする。
「あの、ラブライナーに、ゆっきーの描いた絵が?」
「…昔、読んでたわー ゆっきー、アンタ一体…」
「…見つけた! ゆっきー69って… あらら… ちょっと、見てごらんなさいコレ!」
 二人はクスクスさんのスマホを覗き込み、固唾を飲み込む。
「これ、本当にゆっきー?」
 たっくんママが興奮気味に問う。
「なんか… いやらしさを感じないわ。芸術よ、これ芸術!」
 おおお、流石、亀の甲より年の功、ってか。ローテさんいい観察眼を持っていらっしゃるわ。
 ローテさんは椅子に座り直し、ゆっきーに正対して
「なるほど。状況は把握したわ。でもねえ…」
 クスクスさんも頭を抱えて、
「旦那さん、あの東京三葉銀行でしょ、大手都市銀でしょ、そこの課長さんの妻がコレ描いてるかあ… 」
 たっくんママも頬杖をつきながら、一言。
「旦那さん、キレるわ、そりゃあ。」
ですよねー、そう呟いてゆっきーは凹む。
「そりゃあ分かってるんす。旦那の面子粉々に潰すってーのわ。でもね。アタシ…」
「描きたい、のね?」
 ローテさんがスッと引き取る。ゆっきーは目を赤くしながらコクリと頷く。
「覚悟は、出来てるのね?」
 再度、そして力強くしっかりと頷く。ローテさんもどっしりと頷き返す。
「よし。分かった。私にできることなら何でも協力するわ。」
 ゆっきーが一番聞きたかった言葉に違いない。ゆっきーの涙腺は崩壊し、他の三人も貰い涙にハンドタオルを濡らす。

 あっという間に幼稚園の三学期が始まる。不思議なことだが、僕の離婚話は秒速で皆に伝わったのに、ゆっきーと僕の関係は園には全く広がらなかった。すなわち、たっくんママが誰にも話さなかったと言うことだ。
 思いの外にぶっとい絆なんだな、井戸端三人嬢。
 なーんて感心している余裕は僕にはない。あと三ヶ月以内に僕と澪は新しい住居を見つけねばならないのだ。
 働く決心は既についている。あとは何処で何をするか、である。
 スマホで区内のアパートの相場をチェックして呆然となる。無理。絶対に無理。徐々に区外に広げていくが、川を渡っても到底二人で満足な暮らしができそうな土地はない。

 実家の両親に離婚の事実を告げると、
「いいと思います。しかしながら、我が家に二人を置ける余裕はありませぬ」
 と先手を打たれてしまう。
 いっそのこと都内及び近郊は諦めて、思いっきり田舎に飛び出すか。だが、代々都内に住んでいた我が真田家に、田舎の伝手は全くない。
 澪の通う小学校のこともあるので、今月中には絶対決めねばならない。本腰をあげスマホを駆使して探せども探せども、全く成果は上がらない。
 すっかり困り果てて、コインランドリーでゆっきーに愚痴っていると、ローテさんがひょいと首を突っ込んでくる。
「ヒッキーくん。アタシの実家の方でね、Uターン帰省の募集があるんだけど、興味ある?」
 僕は思わず立ち上がり、
「お、お、お願いひゃす!」
 と叫んでいた。

 教えられたH Pを穴が開くほど読む。そして読めば読むほど、僕らには最高の条件であった、曰くー
・放棄住宅を改装し、最初の五年間は家賃無料
・近隣に町立の小中一貫校あり
・隣町に県立高校あり、県内有数の進学校である
・農協、漁協、その他就職斡旋
 今すぐに澪を抱えて進撃したい所なのだが、大事な条件が一つあり、それがネックとなってしまう。それはー
・子連れの夫婦に限る
なのだった。

 子連れ、は立派に該当せども、夫婦、は残念ながら対象外となってしまう。僕は頭を抱え、いっそのことゆっきーの駅のコインロッカーに眠る彼女と結婚するか、などと血迷ってしまう。
「アホか。ダッチワイフと子連れ結婚って。マジウケる。ブヒャヒャヒャヒャ」
 ゆっきーは腹を抱えて笑い転げるが、こっちは真剣なんだよ!
 一転して、急にしょんぼりとして、
「どっちにしろ。もうすぐ二人はいなくなっちゃうのか…」
「こんな高級住宅地に、僕と澪じゃとても住めないわ。」

 無表情かつ無口になるゆっきー。だが頭の中で何かを考えている様子は手にとるように分かる。
我々の洗濯はとっくに終わっており、そろそろ昼過ぎの常連さん達の登場の時間だ。暗黙の了解があって、昼前組はボチボチ退散せねばならない。
 そろそろ行こうか、と声をかけようとしたその時。ローテさんがゆっきーの両肩を掴み、
「あなたも一緒に行けばいいじゃない。覚悟はできているのよね?」
 こんな真顔のゆっきーは久しぶりだ。僕はゴクリと唾を飲み込む。昼過ぎ組の井戸端レディースが何事かと遠くから見守りながら囁き合っている。
「どうなの? 行くの? 行かないの?」

 ローテさんの迫力。人一人の人生の分岐路に仁王立ちする、運命の神様のようだ。
 コインランドリー内の時間が停止する。囁き声一つなく、ただ乾燥機と洗濯機の回る音だけが無機質に響き渡っている。
 どれだけ時が過ぎただろうか。それは長くも感じられたが一瞬だった気もする。俯いていたゆっきーが、顔を上げ、ローテさんに視線を合わせ、ハッキリとした口調で。

「彼と澪ちゃんと、一緒になります!」

 店内は一瞬どよめき、そして何故か盛大な拍手がゆっきーに送られたのだった。
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