第4話 第3章

文字数 3,250文字

 九月の中頃になっても残暑は続き、毎日汗だくの日である。

 汗まみれになりつつも、僕とゆっきーのコインランドリー通いは続く。最近はローテさん、クスクスさん、たっくんママとも普通に話すようになってきており、先日は何と五人で駅近のイタリアンでランチ会を楽しんだのだった!
 最初は尻込みしていた僕だったが、各家庭、特に夫婦関係の暴露合戦に次第に心引き込まれ、気がつくとへーとかほーんを連発していたものだ。

 中でもゆっきーのカミングアウトには三人は唖然呆然、
「私たち、絶対あなたを応援するから! 自分のしたいことするの! いい?」
 なんて人生相談大会と化すのであった。
 以来、昼間のコインランドリーでの井戸端大会議は僕にもゆっきーにも生活の一部として欠かせないものとなりつつある、のかな。
 特に一番の年配であるローテさんはすっかりゆっきーを気に入って、ゆっきーも母親というか姉というか微妙な年齢差のローテさんと何故かウマが合い、二人でお買い物に行くほどの関係になっている。

「ちょっとヒッキー。ローテさんって、ヒッキーの付けたあだ名なん? てっきりローテンバッハさんの略だと思ってローテさん連呼して、山崎さん、はてなマーク浮かびまくっとったよ!」
 知らんがな。彼女の苗字が山崎さんだったなんて。三日おきに同じ服着てるでしょ、三日おきのローテーション、だからローテさん。何だよそのローテンバッハさんって… アルプスの少女かよ!
「それは、ロッテンマイヤーだっつーの。でも、ローテさん… 確かに、同じ服… ギャハハハ!」
 爆笑するゆっきーである。

 僕以上にコミュ力がつき始めたゆっきーに、ちょっとした変化が出てきている。それは、自分の描いてきたイラストを公表しようか迷っているのだ。僕が前から勧めてはいたが、
「ムリー。絶対、無理。」
 と頑なに断っていたのだが、最近、
「あのさ。イラストって、どーやって投稿とかするん?」
 僕は驚きつつも嬉しさが込み上げてきて、
「一番有名なのがPixivかな。ここからプロデビューする人も多いらしいよ。」
「ほーん。そーなん。」
 それからしばらくして。高村家で恒例のゲーム大会中に、ゆっきーがふと、
「その、Pixivとかって、誰でも投稿できるん?」
 僕はゲームをスリープし、すぐにググりサイトをスマホ画面に出して見せる。
「僕はあまりイラストに興味ないから殆ど見ないけど。でも、熱狂的な人たちが大勢いて、物凄く盛り上がってるらしいよ。ちょっと覗いてみようよ」
 ゆっきーの目がキラリと光る。僕はゆっきーにアカウントを作成させ、ログインしてから色々な作品を見学させる。

「うわ… みんな、めちゃウマ…」
 とは言いつつも。その横顔は
『ふーん。この程度ならアタシも』
 にしか見えないので、プッと吹き出してしまう。そして改めてそれらを拝見し、ああこれならゆっきーも十分アピール出来るはずだ、と確信する。
「折角アカウント作ったんだから。早速アップしようよ」
「えええ、今? ナウ? ですか…」
「そう。ナウシカ、です」
 頭を一発叩かれ、
「ちょ、今は、まだ、心の準備が…」
「そう言っている奴は絶対投稿しない。準備は整いあとはやるだけでしょ、で? いつやるの? 今でしょ!」

 僕の肩に頭を乗せ、
「何ちゃらハイスクールかよ! でも… んんん… そっか、んんん… 今かあー」
 自分のイラスト集をスマホで眺めながら。
「そうだ。この辺のイラスト、アナログなんだよね、ほらこないだ見せた画集。」
 寝室のクローゼットの奥に眠る、ゆっきーの初期の画集のことだ。
「これはさ、写メして保存した奴なんだけど。これでもいいのかな?」
 うーん。僕はイラストはあまり詳しくない。ので、ちょいとググってみるとー
「ああ、デジタルスキャンした方がいいかも。この家にプリンターとかある?」
 ゆっきーは首を振り、
「旦那はデジタル音痴でさ。そーゆーのウチにはないわー」
「なら、コンビニでスキャンしてUSBに保存すればいいよ。」
「ほーん。わーった。やってみる。」

 その翌日。
「今朝、投稿したよ!」
 昨日あの後、画集を胸に抱き、コンビニで数千円かけて膨大なイラストを全てスキャンしデジタル化したらしい。
 その一部を早速今朝投稿したのは実は既に知っている。だって僕は昨日からずっとチェックしていたのだから。今朝、『ゆっきー』さんが投稿した絵は、あの日寝室で見た絵だったから。
「投稿した瞬間にさ、すぐに『いいね』が付いたんだ! あれ、めっちゃ嬉しいわー」
 僕はニッコリと頷く。それ、僕なんだとは絶対言わないでおこう、だって。その内にあっという間に凄いフォロワーが付くに決まっているから。
 まあすぐに商業化の話とかは来ることはないと思うけど、これを機にコツコツ描いては投稿しているうちに、見る目のある出版関係やゲーム会社、アニメ制作会社から連絡がくるだろう。僕はそう信じている。

 ところが、だ。
 僕の勧めた投稿が、僕にとって想定外の弊害を生じさせることとなってしまう。それはー
 その日から、ゆっきーは殆どコインランドリーに姿を見せなくなる。何故ならーすっかりイラスト描く、即投稿のカルマにハマってしまったのだ。
 
 彼女の投稿数は毎日数枚。初めは過去の作品を主に投稿していたのだが、徐々に今の流行りに合わせた画風の最新作の投稿が増え始め、それに従いフォロワー数がとんでもない人数になってきている。
 ファンが増える、それ自体は実に砂らしいことであり僕の望む所である。のだが、それによって毎日会えなくなるというのは全く想像しておらず、またゆっきーがそれ程までのめり込み体質だったことを改めて知ることになった。
 ラインで調子はどお? と送っても既読が付くのは夕飯時。下手をしたら翌日まで既読がつかない日もある。
 思わぬ彼女の一面に、僕は悲喜共々の思いを胸に秘め、密かに彼女の応援に今日も勤しむ。

 そんな僕も少しずつ変わりつつある。
 毎日の井戸端会議で学んだこと、まずは話すときに相手の目を見よう。
 それを日々の暮らしで実践してみる。園の送迎時に園ママと挨拶する時。ちゃんと相手の顔を見ること。すると、顔と名前が徐々に一致しだす。また、あれ今日は翔大ママ疲れているなあ、とかあれ、美代先生なぜ僕から目を逸らすのだろう、などと色々な情報が僕に蓄積し始める。
 すると少しずつ人間関係に興味が出てくる。あれ、優馬ママと礼央くんママは目が合っても挨拶しないぞ。後で聞いてみると、同じお受験教室に通っているライバルだとか。
「あまり人に言わないでくださいね。みっともないから…」
 僕は優馬ママ特製のガトーショコラをモグモグしながら目を見て頷く。あれから二度ほど優馬ママにお誘いを受け、その辺のパティシエ真っ青の手作りケーキ茶会をしに豪邸にお邪魔している。
シャンパンを勧められるも、ちゃんと目を見て、
「関口さんのケーキをちゃんと食べたいので。今後お酒は遠慮します」
 と宣言してから、お酒は出なくなる。お陰で毎回最高のケーキが堪能できて、非常に満足している。何故か優馬ママは物足りなさそうな顔で毎回僕を送り出すのがちょっと謎なのだが。

 美代先生とはあれ以来口を殆どきいていない。業務連絡は受けるが、一切プライベートな話はしなくなったし、スマホに連絡が来ることもなくなった。
 噂によると、付き合っている彼氏との結婚が決まったらしく、今年度いっぱいで寿退職するそうだ。とてもおめでたい話なので、一度ちゃんとおめでとうを言いたいのだが、何しろ僕と目を合わせてくれないのでそれも叶わないでいるのがちょっともどかしい。

 もう少し後で知ることになるのだが、実は先生はおめでただった。卒園式の頃にはお腹がぽっこり出て、さらに後日伝え聞いたところによると元気な男の子を出産したそうだ。
 園児たちにお腹を撫でられ、実に幸せそうな様子だったのだが、僕と目が合うと悲しげな寂しそうな会釈をする姿が忘れられない。
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