第5話 第6章

文字数 2,046文字

『新型肺炎 新たに三人の感染確認 国内での感染確認 二十人に』

「大丈夫かしら。中国は大変なことになっているようよ」
「ホント。心配だわ。うちの子喘息持ちだし…」
「心配ねえ。横浜のクルーズ船、大変なことになってるそうよ」
「でも、前の時みたいに時間経てば大丈夫でしょう。」
「そうだといいわよねえー」

 2月に入ると、彩の予言が現実味帯びてくる。園での話題は新型ウイルス一辺倒。誰もが不安に怯えている。
 僕らは先月末に三人で高知に見学と面接を受けに行き、澪もゆっきーも大変気に入ってくれた。 特にゆっきーは実家が東京なので、こんな田舎が欲しかったーと大喜びだ。
 澪は町の小学校を見学し、4月からの新入生がたったの5人と聞かされ、
「あのー、おとうとかいもうとなるはやで…」

 その晩の夫婦会議は白熱した議論が活発に交わされたものだ。
 具体的な転入は真田家側も市側もなる早で、と言うことで一致し、2020年度やえざくら幼稚園卒園式が行われる3月12日の翌日、3月13日ということに決まった。
 あと一月間しかないので、主に書類関係、届け出関係の庶務に僕らは忙殺される。ゆっきーはこういった業務がからっきしなことが即座に判明し、主に僕一人で東奔西走であった。

『国内で初めて感染者死亡 神奈川県に住む80代女性』
 一人忙しくしている間に、新型ウイルスの脅威がジワジワと迫ってくる。前回のS A R Sのように、すぐに収束すると信じてはいたが、幼い澪を抱えている手前、予防に徹するに越したことはない。
 帰宅後の手洗いうがいを二人に徹底させ、なるべく人混みに出向かないように求める。ま、ゆっきーは元々人混み苦手人間なので、大して苦ではないようだが。

 この頃。
 ゆっきーの仕事の話が正式に決定する。
 来月号の挿絵を数枚依頼され、その仕事を瞬く間に終え編集者に電子送付する。おい。住民票や戸籍関係はからっきしなのに、そっちは素早く正確なのね。
 すると、関連雑誌から別の依頼が舞い降りてくる。それをも瞬殺で片付け、更に更に別の出版社からイラストの依頼が入り…
 2月の半ばには、僕以上に大忙しのゆっきーなのである。

『緊急事態宣言 法案 衆院で可決へ 〜 新型コロナウイルスの感染拡大に備え、「緊急事態宣言」を可能にする法案が衆議院本会議で可決され、参議院に送られる見通し』

 卒園式の一週間前。残念ながら諸般の事情を鑑み、2020年度卒園式は中止となる。海外では感染が爆発的な脅威を振るい、日本にもその影響が出始めている。政府は歴史的緊急事態であるとし、全国の学校に臨時休校を指示、既にやえざくら幼稚園も臨時休園に入っている。

 そして何より。彩の予言通り、トイレットペーパーやティッシュが品薄となり、街からその姿を消していく。
 澪言うところの彩の遺書(死んでねーし。)を忠実に守った我が家は半年分のそれらを既にキープしており、今更ながら彩の先見の明に首を垂れる毎日である。
 市から連絡があり、出来ればすぐにでも移って欲しい、緊急事態宣言が出たら移動が不可能となるから、とのこと。
 それを受けての家族会議の結果、予定を前倒しし3月10日に東京を立つことに決める。

 その出発の日。荷物は既に大概送ってあるので、身の回りの物だけ所持し約五年ほど住んだマンションを後にする。このご時世なので、見送りは誰もなし。少し寂しい旅立ちとなってしまうーかと思いきや。
「はよ、はよ行こ! ひこうき、はよ!」
 そうなのだ、澪は前回初めて飛行機に乗り、すっかりお気に召したらしく、興奮を抑えきれない様子である。
「はあはあ… 落ちないよな… 大丈夫、だよな…」
こ っちは前回、結構揺れたので飛行機に恐怖しか感じておらず、既に脇汗がとんでもないことになっていると言っている。知るか。
 郵便受けを最後にチェックした時に、彩からの手紙が届いていた。飛行機の中で読もうと思い、封を開けずにバッグにしまう。

 羽田空港は驚くほどに人がいなかった。既に減便が多数あり、僕らの高知空港行きも半数近くが欠航となっている。
 搭乗手続きを済ませ、ゲートに向かう。もし緊急事態宣言が発出されたら、こんな移動も制限されてしまうであろう。早目に移住ができてラッキーだったかも知れない。
 こんなご時世故、行き交う人々の表情は皆暗く、忍び寄る脅威に怯えている様子なのだが…
「空弁! 空弁はよ!」
「ミオは、えーと、えーと、さばずしがいいっ」
「じゃあ、アタシはカツサンド! お、あそこで買うか、行くぞ澪!」
 ハイテンションで売店に駆け込む二人に何故かホッとする僕だった。

 乗客は30名ほどだろうか。かつてこんな空いている航空機に乗ることはなかった。そう言えばこんな密室、もし感染者がいたら乗客全員感染してしまうのでは、今更ながら恐怖に襲われるも、
「はよとべ、はよ! しゅっぱーつ」
「神様仏様キリスト様アラー様どうぞ我らを守りたまえ南無南無…」
 この二人の明るさに僕はどれだけ救われただろう…
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