第3話 第7章

文字数 2,492文字

 淹れてもらったコーヒーは空になり、ゆっきーが新しく淹れてくれる。僕らの人格反省会はアニメ映画二本分続いた。

 映画を満喫した澪が、やる気満々でキッチンに入って来ると、
「ゆっきー、ほうちょうかして!」
「おーー。よーし、始めますか!」
 三人での調理はサクサク進む。途中、余りにゆっきーがニヤニヤ笑っているので、
「どしたん? 笑いダケ食ったん?」
「死ぬわ。死んどるがな。いや、そーじゃなくって。なんかいいね、こーゆーの」
 さっき、初めて彼女が子供好きと知ったのだが。
「こーゆーの、夢だったん。娘と一緒に飯作るのー」

 僕は心から笑みを贈る。世の中には色々な家族の在り方があり、それが各々の望む姿であるとは限らない。仮初であっても自分の望む家族の姿に接した時、人は心からの笑顔を醸し出す、と言うことを今知った。
「うわ、澪ちゃん包丁の使い方、ぱねえ! 凄い凄い!」
 今日ほど誉められた日はなかったと思う、そんな澪は未だかつて見せたことのない笑顔と仕草で僕を魅了する。娘が、母親次第でこれ程まで変わるのか。あ、ゆっきーは母親じゃないけどね。

 一通りの下拵えは済み、あとはフライパンで焼くだけとなる。
「そうだ澪。ゆっきーはとっても絵が上手なんだよ。後で見せてもらいな」
「みたいみたいいまみたい!」
 ゆっきーは顔を綻ばせ、
「えーーー、見ちゃう? 澪ちゃんホント見ちゃう?」
「みたいみたい!」
 日頃、同級生よりもずっと大人びている澪が、珍しく年相応に還っている。
「ははは。僕がフライパン見とくから。」
 
 二人は手を繋いでキッチンから離れ、エプロン姿のまま二人はソファーに座り、タブレットにゆっきーが書き溜めている絵を澪が目にした瞬間―
「……」
 澪は一瞬にして目と心を奪われた様だ。この年頃の純粋な視点は僕らよりも曇り無き視点である。
「すごい… ゆっきー、すごいよ…」
「えーー、ホント?」
「ゆっきーのおしごとはこれなんだ?」
「え……」
「そうだよね? ゆっきー、イラストレターなんだよね!」
「は、あは、いや、えーと…」
「すごいすごいすごい! ゆっきーすごいよ!」
「そ、そうかな…」
「そうだよ、まるでいきているみたいだよこのおんなの子。すごいすごい!」
 そう言えば、誉められ慣れてない人物がもう一人。ゆっきーは澪の絶賛に動転したらしく、
「マジ? あとさ、他にもこんなんあるで」
 と言って膨大なイラスト集を澪に見せ始める。何とも微笑ましく、そんな二人をいつまでも見守っていたいのだがーフライパンがそれを許してくれそうになくー
「おーい。そろそろできるよ。それ、後にしなさーい」
「「はあーい」」
 見事な輪唱にフライパンも頷いた。

 ハンバーグが焼き上がり皆でそれに舌鼓を打ちつつ、
「澪ちゃん、すっごく美味しいよっ」
 殆ど僕が作ったのですが。え? 大人気ない?
「ありがとうゆっきー。えへへっ あーあ。」
 突如テンションが落ちる澪に、
「何だよ澪?」
「あのね」
 澪が急に真顔になる。

「ゆっきーがママだったらなー」

 思わず箸を落っことすゆっきーと、僕。
「あ、ははー そんなこと言うとママが悲しむよっ」
「そんなことない! ママはほめてくれない。いっしょにごはんつくってくれない。あんな人ママじゃない!」
 澪が鬼の形相で吐き捨てる。

 ゆっきーがゴクリと唾を飲み込み、硬直してしまう。僕も脇汗の分泌を感知する。
 古より言われている格言「生みの親より育ての親」この言葉が僕の脳にポップアップしてくる。確かに彩は澪を産みそれなりに母親をしてきた、去年まで。
 それなりに、を思い返してみる。果たして彩は澪の本当に望むことをしてきたのだろうか。澪の一番の望みー誉めてもらうことーを、彩は実践してきたであろうか。

 答えは、否である。僕はこれまで彩が澪を褒めちぎっている光景をみた記憶がない。今夜澪は生まれてこの方一番誉められた日かも知れない。
 子供は誉めて育てる。日本ではイマイチ共感を得られないが、駐在したボストン、すなわちアメリカでは誉め育てが育児の基本中の基本。それこそ初めてハイハイしたら、
「お前は天才だ!」
 初めてトイレでうんこしたら、
「お前は神だ!」
 初めて他人に挨拶できたら、
「お前は創造主だ!」
 位なレベルで褒めちぎる。のをよく街角で拝見したものだった。

 それに対し彩は、
「もっと上手にハイハイできるでしょ」
「お尻も拭いてみなさい」
「もっと頭を下げて、心を込めて!」
 とか言いそう、と言うか現実に言ってきた。
 そんな風に母親に接しられてきた澪が誉め殺しの鬼、ゆっきーと共に過ごしたこの半日は、どれほど自分に自信を持てたことだろう、どれほど成長できただろうか。

 とは言いつつも。ああそうだね、今日からゆっきーがママだよ、と言えない僕らは、何も言えなくなる。ん? ゆっきーが澪のママになる、イコールゆっきーが僕の妻になる?
 ちょっと待てえ。ゆっきーが、こんな素敵な女性が僕の妻に? 僕は即座に妄想世界に没入するー

 朝起きるとゆっきーが既に朝ごはんを作り、澪の弁当まで用意している。三人で朝食を食べ、三人で幼稚園に送っていく。帰宅し、分業体制で家事をこなしコインランドリーに向かう(これはデフォルトだな)。その帰りに二人でランチし、帰宅後は澪のお迎えまでスマホゲーム、アニメ鑑賞。園からの帰宅途中にお買い物、ジャンケンでメニューを決め具材を整える。帰宅後三人で夕食を作り、食後三人でお片付け。三人でお風呂に入り(ゴクリ)、川の字で澪の寝かしつけ。その後二人でゲームとアニメ。今夜はどうする? 今夜もでしょ! おおおおおお!

「パパ、どうしたん? もどっておいでー」
 澪の呼びかけがなければ、そのままあっちの世界に言ってしまう所であった…
 ふとゆっきーを見ると。ふふふ。彼女も妄想世界に飛び込んだみたいだ。
「もー。二人とも、へん。パパもへんだけど、ゆっきーもへん。」
 いきなりマウントを取り出す澪。そんな言動によって微妙な雰囲気となった場は和む。引き籠り女と対人恐怖症男にとって、この子の存在は既に欠くことが出来ないものとなりつつある…
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