第4話 第2章

文字数 2,306文字

 花音ちゃんママは大喜びで澪を預かってくれ、昼前に僕は美代先生の家に到着する。彼女は五つ先の駅から徒歩十分のワンルームマンションに住んでおり、この辺りは土地勘もなく少し迷ってしまった。
 一体どれほどの作業が僕を待っているのだろう。力仕事はそれ程苦ではないが、コキ使うと言っていたので倒れる寸前まで働かされそうだ。

 僕は大きな溜息を吐きながらドアのインターフォンを押す。
「はーい、どうぞおー」
 ドアを開けた美代先生は… タンクトップに短パン、という素肌感半端ない格好で僕を迎え入れてくれる。ゆっきーも細いのだが、美代先生は細い上に胸と尻は女子としての自己主張がしっかりとしており、見ているだけで全男子は幸せな気持ちになるであろう、当然僕もだが。
 玄関に突っ立ったままで先生の胸と腰をガン見している僕に、
「ちょ… 早く中入って! 早く、中に!」

 すみませんと呟きながら僕は部屋に入れてもらう。あれ。想定に反し、すごく整った綺麗な部屋ではないか。大掃除の余地があるのだろうか、と首を傾げていると、
「暑かったでしょう。よおーーくキンキンに冷えたビールありますから。さ、どーぞ」
 と言ってこともあろうにビール缶を差し出すではないか! 数日前に人生でも屈指の大失態を遂げたばかりだというのに。
 だが道に迷い汗まみれの僕は、冷えたビール缶を握ると喉がゴクリと鳴ってしまう。先生もプシュッと気持ちいい音で栓を開け、
「真田さん、早く早く! 早く開けて!」
 と擦り寄ってくるので、指はプルタブを気持ちよく跳ね上げていた…
「かんぱーい」
 僕と先生は缶をぶつけ合い、渇いた喉にビールを流し込む。ああ、茹だるような暑さの中を彷徨った後のよく冷えたビール。喉がもっと、もっとと欲しがっているので遠慮なく流し込んでいく。
「いやあー、一仕事の後のビール、サイコー」
「え? 仕事って、一人で掃除してたのですか?」
「ま、ちょいちょいって、ね。はい、これお代わりー」
 そう言って二本目を差し出す。ん? なんかこの展開、まるでデジャヴのような…

 ゆっきーが突然、
「アタシ、澪ちゃんと暮らすことになったの。保健所に届け出しといてくんない?」
 と言うのでビックリして、
「そんなこと誰が決めたんだよ。」
「えっと、ローテさんとクスクスさん、あとたっくんママだけど。」
 僕は溜息をつきながら、
「それじゃ仕方ないか。ちゃんとパスポートは持ったかい?」
「ああ、忘れてたわー、ありがと、ヒッキー」
 そう言うと僕にしがみついていきなりキスをしてきた。僕は嬉しくなってゆっきーの口を吸い返す。舌を舐め合い、心地よい感情に身を委ねているとー
「間もなく目的地です。運転お疲れ様でした」
 と誰かが言ったので、
「じゃあ僕は帰るね。お疲れ様でした。」
 そう言って服を脱いで上半身裸になる。

 意識がゆっくりと戻る。あれ、なんで保健所に届けなければいけないのだろう。
 目の前に美代先生の可愛い寝顔がある。
 ……

 またしても、僕は… やってしまった… 大掃除を頼まれていたのに、酒に溺れて居眠りをしてしまうなんて…
 しかも、ここは先生のベッドの上。汗まみれの僕が先生のベッドを汚してしまった。更に。よっぽど暑かったのだろう、なんと僕は全裸になっているではないか! 有り得ない、こんな若くて素敵な女性の家で、汗まみれのまま全裸で寝てしまうなんて…
 こんな僕を先生は絶対許さないだろう、園児の父親が自分の家で頼まれごともせずに酒を煽り、酔っ払って全裸で寝てしまうなんて…

 冷や汗が全身から噴き出す。ああ、またベッドが汚れてしまう… 僕は疲れて寝ているのであろう先生を起こさぬようにそっとベッドから抜け出し、着ていた服を身につけ始める。
 そう言えば冷房がオフになっている、よっぽど暑かったのであろう、先生のタンクトップと短パンもベッドの下に脱ぎ捨てられているので、それを丁寧に畳む。その際、短パンから真っ黒なショーツがこぼれ出てくる。
 一瞬、コインランドリーでのゆっきーの真っ赤なショーツを思い出し、顔が真っ赤になる。でもあの時ほどの興奮はなく、それもそっと畳んで短パンの中にしまっておく。

 部屋の中はムッとするほどの暑さと汗臭がこもっており、部屋の窓を開けて換気したいのだが、先生を起こしてしまうかも知れないのでこのままにしておこう。
そ の辺りに散らばっている空き缶を数えると、八缶ほどだった。何とまあ… それをシンクにまとめ、忘れ物をチェックし僕はそっと部屋を出て行った。

 駅までの道すがら、つくづく己の駄目さ加減にうんざりしている。勧められても断ればいいのに断れない。頼まれたことをすぐにしようとしない。自分は弱いのだから、一本で一杯でやめておけばいいのに、断れない。すぐに意識を失くし寝てしまう。挙句の果てには服を脱いで汗まみれで人のベッドを汚してしまう。

 はっきり言って、人間の屑である。カスである。もしゆっきーがこれを知ったら、
「死ね」
 と一言言って永遠に僕の前から姿を消すであろう。そんな優柔不断で約束を守れず行儀の悪い男がいたら、本当に包丁でグサッとやりそうだ。やるに違いない。
 なのでゆっきーには死んでも言うつもりはないが。本当に自分が嫌になってくる。

 駅に辿り着き、電車に乗ると僕は先生に深い反省と謝罪のメッセージを送る。自分が如何にだらしなく不誠実な人間であるか、どうか先生の深く広い御心で堪忍してやっていただきたい、今後は生まれ変わった気持ちで生きていくので、どうぞ暖かく見守っていて欲しい、そんな言葉を連ねて送信する。

 既読はすぐに付いたが、返事はとうとう来なかった。
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