第3話 第6章

文字数 3,127文字

 夏休みも残り一週間。
 暑さは未だ最高潮なり。今日は汗だくで匂いのこもった寝具をやっつけに澪とコインランドリーを二往復。その二往復目で急に空が真っ黒になり、滝のような雨が街を攻撃し始める。

 僕と澪はギリギリコインランドリーに逃げ込み、そんなに濡れずに助かった。その様子をゆっきーがニヤニヤしながら眺めている。
 澪がゆっきーに気付き、こんにちは、と挨拶するとゆっきーは虚どりながらもこんにちは、と挨拶を返す。
 まあこれだけ毎日顔を合わせるのだから、挨拶ぐらいは人としての常識なのだろう、僕とゆっきーは幼稚園児に教わるのである。

 そんなゆっきーは僕のスマホで動画を観ている澪をじっと睨み、やがて意を決したかのように立ち上がると、突然
「ミオちゃんはまだ小さいからご飯作れないよねえ?」
 澪は突然話しかけられ驚き固まる…ことはなく、キッと顔を上げ、
「ちがうよ! ミオじょうずにつくれるんだよ! ほんとだよ!」
 ゆっきーは意地悪そうな顔で、
「ホントに? じゃあ今夜おばさんになにかつくってくれる?」
「いーよ。ホントなんだから!」
 っておい、何勝手に盛り上がってんの!
「パパ、パパー、こんやミオがおばちゃんにごはんつくるんだよ!」

 ちょ、待てよ。何この展開、僕ついて行けない! なんでこの二人、こんな高速で仲良くなれるの? 我が子のコミュ力の高さに驚愕していると、
「おばさん、おなまえなんですか?」
「えっと、高村雪乃です。ゆっきーと呼んでください」
 おおお、ゆっきーが自己紹介コンプだ! 凄いじゃないか!
「ゆっきーさん? パパ、ミオね、ゆっきーさんにごはんつくるんだよっ」
 いいのか、これホントに? うーん、まいっか。彩は今夜も遅くなると言っていたし。
「おお、そっかー。パパも食べたいなぁ」
「いいよいいよ! いっしょにたべよー!」
 澪が目を輝かせている。久し振りに見た気がする。
 ふと外を見ると、豪雨はすっかり上がっており、うっすらと日の光がぐしょ濡れの街を優しく照らしている。

 取り込んだ寝具を家に置いて、僕と澪は駅前のスーパーに向かう。途中、僕のスマホに美代先生と優馬ママからLINEが来る。どちらも凄い雨でしたね大丈夫でしたか的な内容だったので、適当にスタンプを貼り付けて送信し、ポケットにスマホをしまう。
 スーパーの入り口でゆっきーが待っていてくれる。澪が真っ先に見つけ、
「パパ、パパ、ゆっきーさんだよ、ちゃんとやくそくまもってまっていてくれたよ!」
 と感激している。
 約束を守る。人と人との結びつきの源。彩は澪に対し、これが全く出来ていない。彩曰く、
「子供との約束なんて、どうだっていいのよ。だってこちらは仕事で忙しいのだから。」
 物心ついてから澪は彩に何度も何度も約束を反故にされてきている。海に連れていくこと、ディズニーランドに連れていくこと、美味しいレストランに連れていくこと。全て、
「仕事が入ったの。仕方ないのよ、分かるわよね?」
 分かるものか、子供にそんなこと。僕は毎回そう叫びそうになるのだが、扶養されている身で烏滸がましいと、ついに口に出すことができないでいる。
 約束の重要性を何とか澪に伝えたいのだが、やっとその機会に恵まれたようだ。
「本当だ。ゆっきーさん、ちゃんと澪との約束守ってくれたね。な、約束って自分が守ると相手はどれだけ嬉しいだろうね、分かるよね?」
 澪はなんと目に涙を溜めて嬉しそうに頷く。僕は何度も澪に頷きながら、自分を思い切り殴りたい衝動に駆られる。

「でー、澪ちゃんはアタシに何を作ってくれるのかな?」
 澪は僕を見上げ、ふんっと気合を入れると、
「ハンバーーーグ!」
 僕は軽くずっこける。おい、それって殆ど僕に作らせる気満々なのではないのか?
「わあー、おばさんハンバーグ大好きなんだっ 楽しみー」
 ゆっきーが上手く合わせてくれる。
「じゃあさ、ハンバーグの材料買わなくちゃ。澪ちゃん、何買えばいいか教えて」
 おお、上手い! 子供に具材とは何か、を教える気だな。
「えっと、えっと。にく!」
「へーー、じゃあお肉売り場に突撃―!」
「とつげきー!」
 二人は手を繋ぎ精肉売り場に走って行く。その姿はどう見ても母娘である。

「澪ちゃん、ハンバーグの材料、よく知っているのね。おばさん、びっくらポンポンだよ」
 澪と僕は軽く転ける。澪は、
「だって、ミオはパパとおかいものいっしょにいくし、パパがおりょうりするのをちゃんとみてるもん!」
「さっすがーの猿飛じゃん。偉い偉い。澪ちゃんはマジで凄い子だ!」
またしてもズッコケると思いきや。澪はポカンとしてゆっきーを見上げている。そして、
「え? ミオ、えらいの?」
 ゆっきーは澪の頭をクシャクシャに撫でながら、
「うんうん、マジで偉い。チョー偉い。」
「ミオが、えらい。えらい… 」

 多分僕以外の大人から褒められたのは初めてなのだろうか。澪は目を点にして呆然と独り言を呟いている。
 そんな澪を促し、僕らはスーパーを出る。ゆっきーが空を見上げ、
「ああ、虹!」
 と叫ぶ。僕と澪が見上げると、雨上がりの街の遥か彼方に大きな虹が美しい弧を描いている。

 しばらく虹を眺めた後ゆっきーのマンションに向かう。澪が真ん中で三人で手を繋ぎながら、他の歩行者や自転車に多大な迷惑をかけながら歩く。すれ違う人々の眼差しは暖かく、僕の心も汗を掻く程に暖かい。
 時折澪が試すように僕とゆっきーの狭間でぶら下がる。僕とゆっきーは息ピッタリで澪を前後にスイングする。きゃはははー、聞いたことのない嬉しそうな奇声を澪が上げる。ちらりとゆっきーを見ると、垂れ目の彼女の目は更に垂れ下がっている。
 ゆっきーのマンションに着くと、澪は口をあんぐりと開け、マンションの豪華さに呆気に取られている。そんな澪を引きずってエレベーターに乗せ、高村家に到着する。
 部屋に入り澪に手を洗わせた後、ゆっきーは自慢のブルーレイをセットし、澪は瞬時に食いつきソファーの上でアニメ映画に没頭する。
 そんな澪の姿を愛おしそうに眺めるゆっきーに、
「コーヒー淹れて欲しいな。」
「おけ。」

 キッチンでコポコポと音を立てるコーヒーメーカーの前で、僕はゆっきーに前から尋ねたかった事をサラリと聞いてみることにする。
「ゆっきーって、子供があまり好きじゃない、と思ってたー」
「んー、大好き、かもー」
 一瞬胸が跳ね上がる。
「そ、そうなんだ。予定とかあるの?」
「ウチは、旦那が子供いらないって。それにー」
「それに?」
 淹れたてコーヒーを口に含みながら首をかしげる
「ウチ、もう五年は、レスだし」
 僕は淹れたてコーヒーを盛大に噴き出す。

「汚いなあもう。って、お宅も、じゃないの?」
 噴いたコーヒーを台布巾で拭きながら、
「まあ、そうかも。澪に弟か妹つくりたいんだけど、ね…」
「そっか。まあ一人いるからいいじゃん。羨ましい…」
 深い溜め息をつくゆっきーは、目を細めながら映画にハマっている澪を見つめる。
「何か、悔しいよね… 自分の思ったこと、好きなことが出来ない人生って… 他人に養われて、それに卑屈になって。こんなので良いのかな、こんな思いをする為に今迄私生きてきたのかな、って。親の言っていた事は正しかった、って今思うよ。ちゃんと勉強しておけば。自立しておけば。好きな事やって、いいや、嫌いな事避けてきた罰なんだな今の私の状況は。ハアー」
「僕もそう思うよ、もっとちゃんと他人と向き合い社会性を身につけておけばこんな事にならなかったんだよな。コミュ力ってさ、嫌な事や面倒な事を如何に『そう感じないように思い思わせる』能力なんだって、やっと分かったわ。僕は今迄嫌な事は徹底的に避けてきたからね。」
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