第2話 第7章

文字数 2,462文字

 どれほど時間が経ったのだろう、いつの間にか僕も寝てしまっていて。カーテン越しの外はかなり暗くなって来ている。
 彼女が勢いよく起き上がり、
「え… あれ… 今何時…って、ヒッキー、今六時半! 奥さんと食事、何時なの?」

 六時に恵比寿現地集合。しまった、やっちまった…
 慌てて僕も飛び起き、リビングに置き去りのスマホを拾い上げて画面を見ると

『今夜も外せない会議が入りました。店はキャンセルしておいたから』

 深い溜め息が出る。今夜もドタキャンされた哀しさ? 否。
 ゆっきーは言いにくそうに、それでもそっと僕に呟く。
「マジで…? あのさ…。あ、いいや何でもない。」
「いやいやいや。そこはハッキリ言おうよ。ゆっきーらしくない…」
「んーー、でも、まあ、夫婦間の話だから、ねえ」
「いやいやいや。気になるって。話しておくれよー」
「何それ、キモ。じゃあさ、言うけど… そのー、奥さんさ。多分それ…」
 
 大きな溜め息を吐く。そして、ポツリと呟く。
「浮気だね。」

 ゆっきーは大きな目を更に大きくし、唖然とした表情で口を戦慄かせながら、
「……そうなの?」
「丁度いいや。これ、女房の写真。」
 スマホに保存してある妻の写真を彼女に見せる。
「うわっ メッチャ美人… 何これ、女優? モデル? ハア?」
「で、これが半年前のネットの記事。」
 スクショしたネットの記事も見せる。その記事には某有名青年実業家と美人過ぎる人妻経営コンサルタントとの熱愛疑惑が、ネチネチと書かれている。お節介にもその夫である僕も描写されていており。可哀想だが、僕には勿体無い程の女なので仕方ない、みたいな感じの記事だ。
 よくぞ調べたものだ、妻の経歴はほぼ事実だし、僕との夫婦生活も「見たの? 見てたの?」と感心してしまう程、克明に描かれている。
 ゆっきーはその記事を何度も読み直し、やがて呆れ顔で首を振りながら僕にスマホを渡す。

「ヒッキー… アンタ、どうして…?」
「仕方ないよ。社会不適合の僕とずっと居てくれるのだから。ずっと養ってくれているんだから。文句なんて言えないよ。」
「そんな… ねえ、奥さんのこと、愛していないの?」
「そ、それは…」
 思わず言葉に詰まってしまう……
「もし本当に奥さんを愛しているのなら、絶対許せないよ。他の男に寝取られたなんて、絶対許せないよ!」
 顔を真っ赤にして怒っている。何故か少し嬉しくなってくる。そしてちょっと意地悪な質問を投げかけてみる。
「なら、ゆっきーは? 旦那のこと愛している?」
 ゆっきーは息を止め、僕から目を逸らし、首を傾けて、
「それは……」
 残酷な天使が通り過ぎる。僕らは目を合わせる。思わず二人して吹き出してしまう。

「ウチの旦那は、まああんな見てくれだし、メチャ忙しいし。浮気なんて有り得ないな。でももし若い子と浮気したら…」
「したら?」
「アタシ、大喜びで出ていくわ!」
「出て行くんかい! 追い出さないんかい!」
「あははー、だってこの家旦那の実家が援助してくれて買ったからさー。さすがに旦那を追い出せないなあ。だから、出てくんはアタシだなー」
「僕も一緒。今のマンション、全額妻の出資だから。だから、妻が何をしようと、僕が出て行くしかない。もし澪がいなければ、多分僕は実家に戻っていただろうな。」
「…そっか…」
「澪がいるから。だから、あの家を出て行けない。澪を守るのは僕だから。」

 ゆっきーは納得した様子で頷きながら、
「澪ちゃんは奥さんに懐いてないの?」
「うん。元々子供は要らないし好きじゃないと言っていたし。全く無関心だね。澪も母親のことをあまり好きじゃない。本当は母親に甘えたい年頃だろうに…」
「そう、なんだ…」
「だからさ。この記事が世間に出た時。僕よりも澪が可哀想だった。幼稚園でも噂になり、お母さんが浮気している澪ちゃん、みたいな目でずっと見られてきたから…」
 ゆっきーは息を呑み、
「そんな… 酷い、可哀想すぎる…」
 僕の手を握りながら、
「ヒッキー、可哀想すぎる…」
 ええ? 僕?

 二人のお腹が同時に鳴り、時計を見ると七時半。二人でキッチンに向かい、冷蔵庫さんと相談しながら、有り合わせの材料でささっと夕食を作り、食べ終わると八時半。
「ランチの予定だったのに、ディナーまで一緒だったねえ。ヒッキー、そんなにアタシのこと好きなん?」
 僕は瞬時にコードレッドになり、
「な、なんでそんなことになるかなあ。でも、二日連続でディナー一緒って、僕ら付き合ってるみたいだねー」
 と切り返すと、ゆっきーも一瞬で赤化する。
「そ、そうか… これが噂の家デートってやつかあー。くうー、萌えるわー」
 その割には萌えてなさそうなのだが。
「ドラマとかマンガではよく出てくるけど。実際、本当にある出来事とは、知らんかったよ。」
 それは僕も、と言いかけた時、スマホが鳴動する。

『こんばんは。今日はみんなで海遊びをしました。澪ちゃんはいっぱい貝を拾っていましたよ』
 添付された写真には両手いっぱいに貝を持っている嬉しそうな澪が写っている。
 ニヤケながら写真を眺めていると、
「なになに? まさかの奥さんから?」
 僕は首を振りながら、
「違うよ。幼稚園の先生が澪の様子を送ってくれるんだ」
 そう言いながらスマホをゆっきーに渡す。
「へえー、今どきの幼稚園ってサービス良いのねー ん?」
 ゆっきーが眉を顰める。
「ねえヒッキー。この先生って、女の人?」
「そうだよ。美代先生っていう、ちょっとゆっきーに似た感じの若い先生だよ」
 眉が更にひしゃげる。
「……ふーん。」
「へ? 何?」
 僕をじーーーっと見つめ… いや、睨みながら。
「この先生さあ、他の保護者にも同じことしてるのかなあ?」
 それはどうだろう。そんなに暇ではなかろう。恐らく、さっき話した理由で、澪に特別目をかけてくれているのではないだろうか。
「んーーー、どーかなあー」
「と言うと?」
 ゆっきーは何故か名探偵の仕草で、
「多分。この先生、ヒッキーに気があるんだよ! うん、間違いない。真実はいつも一つ!」

 えええええええ!
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み