第2話 第3章

文字数 1,920文字

 ゆっきーは僕が話し終えると、唖然というか感嘆というか、そんな表情で僕を眺め、
「いやあー、まるでドラマみたいな展開じゃん。ヒッキーと奥さんのこと、よー分かったわ。」
「こんな話を人にするの初めてだったわ。澪にもしていないよ」
 ゆっきーが頷きながら、
「ただ、ちょっと疑念が。そんな忙しい奥さんなのに、夜やることはやっとったんかい!」
 僕は瞬時に耳まで赤くなるのを感じる。

「うん。まあ。妻が、その、強いって言うか、何というか…」
 ゆっきーは目を見開き、口角を上げ、咄嗟に食い付いてくる。
「ほおほお。真田家、の夜の生活、詳しくもっと!」
「それがさ。澪が生まれてからは、殆どないんだ。この五年ほど、サッパリ。」
 彼女はずっこけながら、
「何じゃそれ! で? 澪ちゃん出来る前は? ハアハア…」
「ゆっきー、目がエロい。えっと、まあ、毎晩?」

 おおおお! 彼女は驚愕の表情で腹の底からの唸り声を放つ。
「そ、そうなのか… やっぱ、それが普通の夫婦生活なのか…」
 余りに驚いているので、
「え? それが普通じゃないの? 高村家は?」
 ゆっきーは髪の毛の先まで真っ赤になりながら、
「うーーーん… 結婚した頃は、月イチ? 今は… 年イチ?」
 まさか。そんな筈ないでしょ?
「それがですねえ、事実なのですよ。正直、ワタシが苦痛なのですわ…」
「そ、そうなのですか。それは、行為自体が好きでないのか、ご主人とはウマが合わないのか、どちらなので?」
 呆れ顔で彼女は、
「ズバッと来るねえ、なんつうか… ワタシ、旦那としか経験ござりませぬので、その点は何ともコメントし難く、なのですわ。」
 うーーむ。殺戮の天使が通り過ぎて行く…

「何だかな… さて、僕の話はこんな感じだけれど。次はゆっきーの話… と行きたいところだけれど、そろそろお暇する時間だわー」
 ダイニングの壁の時計を見上げながら僕が言うと、
「え嘘! うわ、もうこんな時間…」
「旦那さん、そろそろ帰ってくるんじゃ?」
 こんな所でご主人と鉢合わせなんかしたら、僕の鼓動は永遠に止まるであろう。
「うちは毎晩終電。時々タクシー。」
「そっか。でももう十時だし。明日のランチにさ、ゆっきーの話とっておこうよ。」
「うん。だけど… 外じゃこんなに語れないぞ、ワタシきっと…」
 
 ショボンとしながらゆっきーが呟く。ああ、ホントに外に出るのが苦痛なんだな。ふむ、ではどういたそうか。ああ、それならば!
「ならさ、明日ここで僕がランチ作ろうか?」
 パッと明るい表情となる。胸が何故かキュンとなる。
「マジ? マジ? 良かったー、助かったー」
 嬉しそうに跳ね回る彼女を眺めながら、更に鼓動は早くなる。明日も、二人きりで、ここに…
「いやさ、レストラン探しとくとか言ったじゃん私、」
「うん。言った。」
「行かないって普段。知らないって。怖いもちょっと有り」
「そっかそっか。じゃあさ、今夜はゆっきーが美味しいパスタ作ってくれたから明日はー」
「ワクワク!」
「ナポリタン作るわ!」
「連続技かよっ アタシらイタリア人かよっ」
「ナポリタンはれっきとした和洋食ですが何か?」
「嘘つけ。ナポリーの名物なんだろ?」
「何で語尾伸ばすんだよ。ナポリに伸び代なんかねえよ」
 ゆっきーは腹を抱えて笑い出す。笑うと元々の垂れ目が更に垂れ下がり、何故か僕の五感を刺激する。

 玄関先で、僕は名残惜しさを隠し切れない。本当はもっと一緒にいたい、もっと色々話がしたい、もっと一緒に…
「気を付けて帰ってね。このままひと月ほどドライブ行っちゃわないでね」
 僕はプッと吹き出し、
「その代わり明日ビンタしないでね」
 ゆっきーは腹を抱えながら、
「はーー。久しぶりに笑ったわー。メチャ楽しかった。明日もすっごい楽しみ!」
 靴を履き終えて、玄関ドアを開けようとし、
「あっ」
「えっ 何? なんか忘れ物? やめてよー、旦那に見つかったら破門されちまうぜ」
「破門かよ、それでいいのかよ。じゃなくってさ、どうする明日?」
「明日?」
「コインランドリー。」
「行く、でしょ当然!」
「行き、ますか。十一時に!」

 玄関を出てエレベーターホールに向かう。ふと振り返ると、ドアの隙間から小さい顔がちょこんと出ている。エレベーターが四階に到着し、ドアが開く。彼女が小さな手を小さく振る。僕も小さく手を振りかえす。目の前の扉がゆっくり閉まっていく。やがて小さな重力を感じ、楽しかった時間が地の底に落ちていく。
 マンションの外に出ると、蒸し暑さは変わらない。ただまん丸の月が眩しい程僕を照らしている。ずっと眺めていると目が潰れそうだ。目を瞑りかけて、いやそれじゃ駄目だ、ちゃんと向かい合わなきゃ。そう思い、黄金の満月を見つめ続けた。
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