最終話 やぶからスティック【22】在りし日の雨4

文字数 2,419文字

二十二



 時計の針が16時を指し、サビエル記念聖堂の鐘の音が山口市のパークロードに鳴り響く。ちょうど博物館から出てきた僕と桐乃さんは、その音を聴いて、もうすぐ夜になるのを知る。あっという間の一日だった。
 電車に乗って、桐乃さんの働いているお店でVIP待遇になって料理を食べる。そうこうしているうちに、午後も七時を過ぎていた。
 店をあとにして、ひとのまばらな駅のホームで電車を待つ。
 不意に桐乃さんが口を開く。
「るるせさん、あの、ピースの写真、わたしも撮らせてもらっても良いですか」
「いいですよー」
 軽い返事の僕。




 電車がホームへと近づいてくる。
 僕は入ってくる電車から照り返す光と風を浴びながら、言う。
「人生というのは、こういう思いがけない出会いやできごとをもたらしてくれることがあるのですよね」
「藪からスティックになんですか」
 突っ込みを入れる桐乃さん。
「いや、もうすぐお別れだから、締めに入ろうかと」
「この状況でいきなり人生を語り出すから、なにごとかと思いましたよ」
 そんな軽口を叩きながら電車に乗り込む。昼間の単線電車とは違う、都会的なシェイプの電車がホームに到着する。乗ったのは一号車。
 だが、運転席はまったく見えない。
 ボックス席に向かい合って座る。
 揺れは小さい。
「電車が新しいせいか、あまり揺れないですね」
 と、桐乃さん。
「そうですね」
 と答える。言葉数も少なくなる。
 窓の外を眺める。夜のとばりは降りていて、街を離れていくにつれ灯がまばらになっていく。窓ガラスに二人の顔が反射している。車内は静かで、ほとんどひとは乗っていない。
 桐乃さんが、言う。
「なんだか、銀河鉄道みたいですね。銀河鉄道、よく知らないのですけど」
 僕は少し目を伏せ、苦笑いをしてしまう。〈詩〉の一日の終わりに、最高の詩人の名前を出してくる桐乃さん。中原中也は、宮沢賢治とニアミスを何度か繰り返すが、結局宮沢賢治には会えなかった、という。
 中也と賢治には共通の友人である詩人の草野心平がいて、中也は賢治を意識していたようだったのだが。




 ————ジョバンニはああと深く息しました。
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸いのためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」
「うん。僕だってそうだ」
 カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう」
 ジョバンニが云いました。
「僕わからない」
 カムパネルラがぼんやり云いました。
(中略)
 ジョバンニが云いました。
「僕もうあんな大きな暗やみの中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう」
(中略)
「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ」
 ジョバンニがこう云いながらふりかえって見ましたらそのいままでカムパネルラの座っていた席にもうカムパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりひかっていました。ジョバンニはまるで鉄砲丸のように立ちあがりました。そして誰にも聞えないように窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもうのどいっぱい泣きだしました。もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。

 ジョバンニは眼をひらきました。もとの丘の草の中につかれてねむっていたのでした。胸は何だかおかしくほてり頬にはつめたい涙がながれていました。
(後略)

   宮沢賢治・著『銀河鉄道の夜』より引用


 電車は新山口駅へと到着する。
 ホームから改札口を抜けて、垂直庭園へ。券売機の前で、桐乃さんと別れの時間だ。
 僕は挨拶する。
「今日は本当にありがとうございました」
「こちらこそです。ありがとうございました」
 挨拶を返す桐乃さん。
 僕はぐいっと身を乗り出すようにして、言う。
「今度は関東にも来てください」
「うふふ。はい、ありがとうございます。お気をつけて」
「では、また」
「はい、また。おやすみなさい」
「おやすみなさい」

 僕は新山口駅で、ふりかえったらいままで隣にいた桐乃さんはそこにはいず、ただただ美しい新山口駅の〈垂直庭園〉がひかっているだけだった。
 僕は別れたあとの一抹の寂しさのなか、立ちあがる。
 そして誰にも聞えないように「さよなら」と言ってから垂直庭園の天井の植物に目をやり、はげしく胸をうって叫びたいような気持ちになる。
 のどいっぱい泣きだしたいくらいだ。
「来てよかった」
 とっくの昔に捨てたと思っていた〈詩〉と再会し、〈友人〉と出会うことが出来た……。これほどまでの〈さいわい〉ってあるかよ。最高だった。
 人生、なにが起きるかわからない。たとえハードモードであろうと、そう悪いことばかりでもない。……それは本当だぜ、桐乃さん。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう」
 この詩人の問いは、僕はこういうときに不意に思い出す命題だ。ったく、桐乃さん、最後に『銀河鉄道の夜』だなんて言うから。憎い演出だぜ。



 ————僕は眼を開く。疲れて眠っていたのだった、もといた場所で。胸はなんだかおかしくほてり頬にはつめたい涙がながれていた。
 すべてがつながって、今まで経験したすべてが、無駄じゃなかったように、僕には思えた。ありがとう。これからも僕はまだ、戦える。

 これでこの旅行記は終わりだ。尻切れトンボの感は否めないが、得たものは自分の作品のなかに埋め込んでいくことにした。ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
 そういえば、中原中也が『山羊の歌』に最初、付けようとしていたタイトル『修羅街挽歌』の〈修羅〉は、中也が結局会えなかった宮沢賢治が書いた詩集『春と修羅』から取った、という説がある。
 そういうことで無事、僕は〈帰郷〉した。
 そして僕は、これからもこの修羅を生きる。



(了)
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登場人物紹介

桐乃桐子:孤高の作家

成瀬川るるせ:旅人

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