第28話 やぶからスティック【19】在りし日の雨1
文字数 1,279文字
十九
2023年6月14日、水曜日。
僕、成瀬川るるせはWeb作家である桐乃桐子さんと中原中也記念館へやってきた。そしてその後、井上公園へ二人で向かう。
長州ファイブのひとりである、井上馨、ゆかりの地。井上馨の碑をここに建てたのは、中原中也の父親である。
その井上公園には足湯があり、僕は靴と靴下を脱いで、桐乃さんに、
「足湯に入りましょう」
と、誘う。
「やぶからスティックになにを言ってるのですかぁ」
と、桐乃さん。
「いいからいいから」
うっしっし、と笑む僕。
「全くもう」
と、しぶしぶ靴下を脱ぐ桐乃さん。
そういうやりとりがあり、僕と桐乃さんは、貸し切り状態で井上公園の足湯に入った。
お湯を足で少しちゃぷちゃぷさせて遊ぶ桐乃さん。もちろん、暴れるのは禁止なので、少しだけ、足を上下させるだけだ。
「小林秀雄と中原中也の関係性、凄かったですね」
「凄かったですよね。でも」
「でも?」
「男には、〈そういうところ〉があるのです」
「そういうところ?」
「自分の女を取った男に、自筆原稿を託して死んでしまうような、そういうところが、ね」
「女性にはありませんね」
「男ってバカだから、そういうことって、あるんですよ」
「るるせさんにもそういうことが?」
「ありましたねぇ」
僕の私小説に『密室灯籠』っていう作品があって、そこには少し書いたけど、僕には他人からも相棒と見なされるような男がいた。僕は付き合っていた女性を実質、そいつに奪われてしまったし、そいつの裏切りで、インディーズバンドデビューの話があったのに、立ち消えになってしまった。
ずっと僕はそいつを恨んでいたし、恨み続けるけど、どこか、そいつをまだ完全に憎むことが出来ないままでいる。あいつは僕の才能を買ってくれたし、僕もあいつの才能を買っていた。それは変わらない事実だった。
普通ならば、恨みだしたら「あいつには最初から才能なんてなかった! おれからすべてを奪ったゲス野郎が!」と、怒鳴るしそのまま憎しみながら殺すより酷い目に遭わせてやろう、と思うのが筋ってものだろう。
あいつは僕を裏切った。
なのに、僕は、完全にはあいつを裏切っていない。
今もどこかで、そいつのことを思い出す。
男には、そういう関係性ってのがあるのだ。
いや、僕の方だけか。そいつにとって僕はただの踏み台にしか過ぎなかったのか。
それは、わからない。だが、僕にはそういう奴がいた。
「中原中也が他人だとは思えないです」
遠くを見ながら言う僕を見ながら、桐乃さんがくすくすと笑う。
「なんだか、中原中也が、るるせさんと重なって見えます」
「そうですね」
頷く僕。「僕も、そう思います」
詩と歌詞と曲を書き続けた中学、高校時代の自分のこと、東京でバンドをやっていた頃、帰郷して詩を捨てたこと、……そういうことを足湯に入りながら僕は思い出していたのである。
ボロボロになるまで読んだ中原中也詩集。あの頃の気持ちと、今の自分が重なって、そこにさらに中原中也自身の魂が、重なってくる。
こんな体験は、生まれて初めてだった。
僕は山口県へ来て良かった、と思った。
2023年6月14日、水曜日。
僕、成瀬川るるせはWeb作家である桐乃桐子さんと中原中也記念館へやってきた。そしてその後、井上公園へ二人で向かう。
長州ファイブのひとりである、井上馨、ゆかりの地。井上馨の碑をここに建てたのは、中原中也の父親である。
その井上公園には足湯があり、僕は靴と靴下を脱いで、桐乃さんに、
「足湯に入りましょう」
と、誘う。
「やぶからスティックになにを言ってるのですかぁ」
と、桐乃さん。
「いいからいいから」
うっしっし、と笑む僕。
「全くもう」
と、しぶしぶ靴下を脱ぐ桐乃さん。
そういうやりとりがあり、僕と桐乃さんは、貸し切り状態で井上公園の足湯に入った。
お湯を足で少しちゃぷちゃぷさせて遊ぶ桐乃さん。もちろん、暴れるのは禁止なので、少しだけ、足を上下させるだけだ。
「小林秀雄と中原中也の関係性、凄かったですね」
「凄かったですよね。でも」
「でも?」
「男には、〈そういうところ〉があるのです」
「そういうところ?」
「自分の女を取った男に、自筆原稿を託して死んでしまうような、そういうところが、ね」
「女性にはありませんね」
「男ってバカだから、そういうことって、あるんですよ」
「るるせさんにもそういうことが?」
「ありましたねぇ」
僕の私小説に『密室灯籠』っていう作品があって、そこには少し書いたけど、僕には他人からも相棒と見なされるような男がいた。僕は付き合っていた女性を実質、そいつに奪われてしまったし、そいつの裏切りで、インディーズバンドデビューの話があったのに、立ち消えになってしまった。
ずっと僕はそいつを恨んでいたし、恨み続けるけど、どこか、そいつをまだ完全に憎むことが出来ないままでいる。あいつは僕の才能を買ってくれたし、僕もあいつの才能を買っていた。それは変わらない事実だった。
普通ならば、恨みだしたら「あいつには最初から才能なんてなかった! おれからすべてを奪ったゲス野郎が!」と、怒鳴るしそのまま憎しみながら殺すより酷い目に遭わせてやろう、と思うのが筋ってものだろう。
あいつは僕を裏切った。
なのに、僕は、完全にはあいつを裏切っていない。
今もどこかで、そいつのことを思い出す。
男には、そういう関係性ってのがあるのだ。
いや、僕の方だけか。そいつにとって僕はただの踏み台にしか過ぎなかったのか。
それは、わからない。だが、僕にはそういう奴がいた。
「中原中也が他人だとは思えないです」
遠くを見ながら言う僕を見ながら、桐乃さんがくすくすと笑う。
「なんだか、中原中也が、るるせさんと重なって見えます」
「そうですね」
頷く僕。「僕も、そう思います」
詩と歌詞と曲を書き続けた中学、高校時代の自分のこと、東京でバンドをやっていた頃、帰郷して詩を捨てたこと、……そういうことを足湯に入りながら僕は思い出していたのである。
ボロボロになるまで読んだ中原中也詩集。あの頃の気持ちと、今の自分が重なって、そこにさらに中原中也自身の魂が、重なってくる。
こんな体験は、生まれて初めてだった。
僕は山口県へ来て良かった、と思った。