第20話 やぶからスティック【11】桜田門外2
文字数 981文字
十一
吉田松陰は数え年30才で刑場の露と消えたのであったが、その理由は幕府の老中、間部栓勝 を倒すべく計画し、藩に申し出たことによってだったのは先に書いた通りだ。
松陰が最初に捕まった時は安政元年で、二度目が安政5年である。伝馬町 の幕府の牢屋に入れられたとき、取り調べを受け、〈述べたことを聞き取った調書の読み聞かせがあったが、そのなかには、言わなかったことまで書かれていて、その書き振りから死罪を感じ取った〉と、僕が書いたのを覚えているだろうか。
だいたい〈なんで言わなかったことまで書かれていた〉のか。確かに幕府にとって危険な人物ではあっただろう。だが、これは違う角度で語ることが出来る。その視点から言うと、〈吉田松陰は「安政の大獄」で死んだ〉という一文にまとめることが出来る。そもそも幕府の老中、間部栓勝という人物は安政の大獄の実行者だ。その間部は、誰の指示で安政の大獄を行ったか。それが井伊直弼であり、あの〈水戸藩浪士〉たちが〈桜田門外の変〉で殺した人物だ。
ここで、押さえておかなくちゃならない〈安政の大獄〉から〈桜田門外の変〉へと至る道を描くとしよう。
ここでいきなり〈水戸藩〉が出てくるのは、さまざまな紆余曲折があるが、これまた説明すると長いので、〈徳川家の将軍の継嗣問題〉を軸に語ろう。これ、遡ってしまうと水戸黄門の話から始まってしまうので、最後の将軍になる男、一橋慶喜を立てようとした〈一橋派〉と、井伊直弼率いる〈南紀派〉の対立の図式で語ることにしたい。
日本史の教科書を読むとここらへんの記述で、それまで出てこなかった〈水戸藩浪士〉が出てきていきなり活躍したと思ったら歴史の影に消えるという読書体験をするのだが、まあ、ややこしい問題が横たわっているのだ。そして、少し前まで、桜田門外の変は「メディアタブー」のひとつだった。この文章の筆者・成瀬川るるせの最近亡くなった知り合いに、桜岡滋也という風変わりな、作家をしているじいちゃんがいたが、彼の祖先、桜岡家が、桜田門外の変で、水戸浪士たちに資金提供をしていたという事実があり(桜岡家は、〈天狗党の乱〉でも資金提供をしているが、天狗党の話は語る余裕があったら書こう)、いきなり僕の身近な話になってしまうのだが、それはそれとして、話はこうして、水戸藩……成瀬川るるせが住む、茨城県と接続するのである。
吉田松陰は数え年30才で刑場の露と消えたのであったが、その理由は幕府の老中、
松陰が最初に捕まった時は安政元年で、二度目が安政5年である。
だいたい〈なんで言わなかったことまで書かれていた〉のか。確かに幕府にとって危険な人物ではあっただろう。だが、これは違う角度で語ることが出来る。その視点から言うと、〈吉田松陰は「安政の大獄」で死んだ〉という一文にまとめることが出来る。そもそも幕府の老中、間部栓勝という人物は安政の大獄の実行者だ。その間部は、誰の指示で安政の大獄を行ったか。それが井伊直弼であり、あの〈水戸藩浪士〉たちが〈桜田門外の変〉で殺した人物だ。
ここで、押さえておかなくちゃならない〈安政の大獄〉から〈桜田門外の変〉へと至る道を描くとしよう。
ここでいきなり〈水戸藩〉が出てくるのは、さまざまな紆余曲折があるが、これまた説明すると長いので、〈徳川家の将軍の継嗣問題〉を軸に語ろう。これ、遡ってしまうと水戸黄門の話から始まってしまうので、最後の将軍になる男、一橋慶喜を立てようとした〈一橋派〉と、井伊直弼率いる〈南紀派〉の対立の図式で語ることにしたい。
日本史の教科書を読むとここらへんの記述で、それまで出てこなかった〈水戸藩浪士〉が出てきていきなり活躍したと思ったら歴史の影に消えるという読書体験をするのだが、まあ、ややこしい問題が横たわっているのだ。そして、少し前まで、桜田門外の変は「メディアタブー」のひとつだった。この文章の筆者・成瀬川るるせの最近亡くなった知り合いに、桜岡滋也という風変わりな、作家をしているじいちゃんがいたが、彼の祖先、桜岡家が、桜田門外の変で、水戸浪士たちに資金提供をしていたという事実があり(桜岡家は、〈天狗党の乱〉でも資金提供をしているが、天狗党の話は語る余裕があったら書こう)、いきなり僕の身近な話になってしまうのだが、それはそれとして、話はこうして、水戸藩……成瀬川るるせが住む、茨城県と接続するのである。