第30話 やぶからスティック【21】在りし日の雨3
文字数 1,839文字
二十一
その日、開催されていた展覧会は『山羊の歌』展である。『山羊の歌』といえば、やっぱりこの詩だろう。ベタかもしれないけれども。
汚れつちまつた悲しみに
中原中也
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
懈怠のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる
……詩人って奴は〈引力〉を持っている。この詩は、センチメンタルに過ぎると言われればそれまでかもしれないけど、やっぱり最強の詩のひとつだ。『汚れつちまつた悲しみに』を以て、『山羊の歌』は最高の一冊となる。思えばその展覧会なのだから、その会期に来た僕はとてもラッキーだった。
そしてその詩人、中原中也は、こんな詩を残してこの世を去っていくのだ。
四行詩
中原中也
おまえはもう静かな部屋に帰るがよい。
煥発 する都会の夜々の燈火 を後 に、
おまえはもう、郊外の道を辿るがよい。
そして心の呟きを、ゆっくりと聴くがよい。
中原中也記念館のクリアファイルには、この『四行詩』の直筆原稿写真がプリントされている。これはまるで、詩を捨てて田舎に帰ることになった僕と、どうしようもないくらい重なるように、僕は錯覚する。
この日、展示されていた中原中也の原稿を観た桐乃さんは、自身の作品『キリモドキ』で、中原中也の書いた〈字〉を、こう評している。
以下、抜粋。
————驚くべきことに、中原中也の毛筆はおそろしく達筆である。小学生くらいと思われる年頃の書が、まるで模範かのようなきっちりとした美しい筆致で綴られている。舌を巻くほどの達筆である。
そうかと思えば、原稿用紙を埋める文字は、全体的に小さくまるまるとした親しみのあるもので。毛筆とは打って変わって、いっそ愛らしいようななよなよしい文字なのであった。
毛筆が、キリッと背筋を伸ばして姿勢よく書かれたものだとすると、こちらの原稿は、背中をまるめて猫背になりながらちまちまと綴られたのではないか、と、その執筆姿が想像できるような気さえしてくる————
桐乃桐子『キリモドキ』第18話 中原中也記念館にて。より
ここ、温泉街である湯田温泉には、猫がやたら多い。そのなかで野良猫として悲しみを抱えた中原中也は出発し、たぶん桐乃さんが書いたように〈ちぢこまって〉猫背になりながら丸文字テイストの字で原稿を書き、野良猫のように亡くなっていったのだろう、……恋敵である小林秀雄に自分の原稿を託して。
「これ、どういう状況なんですかね」
僕が足湯につかりながら言う。
「ほんとですねぇ。どういう状況なんでしょうね」
桐乃さんが返す。「不思議な状況ですねぇ」
「そうですねぇ」
パラパラ雨が降ったり止んだりしているけど、小鳥がピヨピヨ鳴いて飛んでいる。
桐乃さんは、小鳥を見てから、僕に向けて言う。
「でも足湯、めっちゃ気持ち良いですよね」
僕も答える。
「気持ち良いですねぇ」
「贅沢なひとときですねぇ」
と、桐乃さん。
「生きていて良かったです」
と、僕。
雨がまた降り出していた。
足湯には屋根がついているので、僕らは二人で雨宿りだ。
目の前に、足湯の効能と注意書きが書かれた看板があった。
桐乃さんが言う。
「動物は入ったらダメらしいですよ。白狐さんは動物だから自分でも入れないんじゃないでしょうか。……それに白狐さん、怒っちゃいませんかね。自分たちが見つけた温泉なのにって」
僕は噴き出す。
「そうですよねぇ。思い切り動物、ケモノの僕が足湯につかっているのだから。怒る怒る。きっと白狐さんは怒る」
「るるせさんはケモノなのですか」
「そう。ケモノ。でも、ケモノに除け者はいない」
「なんですぅ、それ」
笑う桐乃さんである。
どのくらい足湯で軽口をたたき合っていたのか。
足湯に人がやってきたのと、ちょうど雨が上がったのを機に、僕らは足湯を離れることにした。
猫の喧嘩、にゃんこ大乱闘を目撃したりなどのハプニングを越えて、僕らは湯田温泉の駅に戻り、山口駅に行く電車に乗る。
中原中也が僕に囁きかける。「————おまえはもう、郊外の道を辿るがよい。そして心の呟きを、ゆっくりと聴くがよい————」と。
僕は頷き、そして中原中也生誕の地、湯田温泉をあとにした。
その日、開催されていた展覧会は『山羊の歌』展である。『山羊の歌』といえば、やっぱりこの詩だろう。ベタかもしれないけれども。
汚れつちまつた悲しみに
中原中也
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
懈怠のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる
……詩人って奴は〈引力〉を持っている。この詩は、センチメンタルに過ぎると言われればそれまでかもしれないけど、やっぱり最強の詩のひとつだ。『汚れつちまつた悲しみに』を以て、『山羊の歌』は最高の一冊となる。思えばその展覧会なのだから、その会期に来た僕はとてもラッキーだった。
そしてその詩人、中原中也は、こんな詩を残してこの世を去っていくのだ。
四行詩
中原中也
おまえはもう静かな部屋に帰るがよい。
おまえはもう、郊外の道を辿るがよい。
そして心の呟きを、ゆっくりと聴くがよい。
中原中也記念館のクリアファイルには、この『四行詩』の直筆原稿写真がプリントされている。これはまるで、詩を捨てて田舎に帰ることになった僕と、どうしようもないくらい重なるように、僕は錯覚する。
この日、展示されていた中原中也の原稿を観た桐乃さんは、自身の作品『キリモドキ』で、中原中也の書いた〈字〉を、こう評している。
以下、抜粋。
————驚くべきことに、中原中也の毛筆はおそろしく達筆である。小学生くらいと思われる年頃の書が、まるで模範かのようなきっちりとした美しい筆致で綴られている。舌を巻くほどの達筆である。
そうかと思えば、原稿用紙を埋める文字は、全体的に小さくまるまるとした親しみのあるもので。毛筆とは打って変わって、いっそ愛らしいようななよなよしい文字なのであった。
毛筆が、キリッと背筋を伸ばして姿勢よく書かれたものだとすると、こちらの原稿は、背中をまるめて猫背になりながらちまちまと綴られたのではないか、と、その執筆姿が想像できるような気さえしてくる————
桐乃桐子『キリモドキ』第18話 中原中也記念館にて。より
ここ、温泉街である湯田温泉には、猫がやたら多い。そのなかで野良猫として悲しみを抱えた中原中也は出発し、たぶん桐乃さんが書いたように〈ちぢこまって〉猫背になりながら丸文字テイストの字で原稿を書き、野良猫のように亡くなっていったのだろう、……恋敵である小林秀雄に自分の原稿を託して。
「これ、どういう状況なんですかね」
僕が足湯につかりながら言う。
「ほんとですねぇ。どういう状況なんでしょうね」
桐乃さんが返す。「不思議な状況ですねぇ」
「そうですねぇ」
パラパラ雨が降ったり止んだりしているけど、小鳥がピヨピヨ鳴いて飛んでいる。
桐乃さんは、小鳥を見てから、僕に向けて言う。
「でも足湯、めっちゃ気持ち良いですよね」
僕も答える。
「気持ち良いですねぇ」
「贅沢なひとときですねぇ」
と、桐乃さん。
「生きていて良かったです」
と、僕。
雨がまた降り出していた。
足湯には屋根がついているので、僕らは二人で雨宿りだ。
目の前に、足湯の効能と注意書きが書かれた看板があった。
桐乃さんが言う。
「動物は入ったらダメらしいですよ。白狐さんは動物だから自分でも入れないんじゃないでしょうか。……それに白狐さん、怒っちゃいませんかね。自分たちが見つけた温泉なのにって」
僕は噴き出す。
「そうですよねぇ。思い切り動物、ケモノの僕が足湯につかっているのだから。怒る怒る。きっと白狐さんは怒る」
「るるせさんはケモノなのですか」
「そう。ケモノ。でも、ケモノに除け者はいない」
「なんですぅ、それ」
笑う桐乃さんである。
どのくらい足湯で軽口をたたき合っていたのか。
足湯に人がやってきたのと、ちょうど雨が上がったのを機に、僕らは足湯を離れることにした。
猫の喧嘩、にゃんこ大乱闘を目撃したりなどのハプニングを越えて、僕らは湯田温泉の駅に戻り、山口駅に行く電車に乗る。
中原中也が僕に囁きかける。「————おまえはもう、郊外の道を辿るがよい。そして心の呟きを、ゆっくりと聴くがよい————」と。
僕は頷き、そして中原中也生誕の地、湯田温泉をあとにした。