第23話 やぶからスティック【14】桜田門外5

文字数 990文字

十四



 儒学者・荻生徂徠は、『太平策』のなかで「総じて治乱の道、治極まりて乱れ、乱極まりてまた治る。天運の循環なれども、全く人事による」と書いていて、これはギリシア哲学でいう〈万物流転〉、または「政治体は人体と同様に誕生の時から死に始める」と『社会契約論』でルソーが書いたことと軸を同じくしている。徳川治世、その頃100年。徂徠は大きな危機感を抱いていた。体制必滅論者だったのだ。徳川吉宗に政治の根本改革を説いたが受け入れられず徂徠は没した。
 だが、太平の世は続き、徂徠直門の太宰春台ひとりを抜かしてはその太平の世の肯定をひたすらする儒学者たちがただ礼賛する状況が続いた。儒者は政治を語ることを辞め始める。
 だがそこに、国学者・賀茂真淵らが〈漢籍の学問〉の者である儒者を追撃する隙があった。「徂徠学の挫折」から、国学者はその日本の優越性の象徴として「百王一世」の〈天皇〉が、「易姓革命」と「異民族支配」の〈から国〉に対置させるようにしていく。賀茂真淵、本居宣長ら国学者は中華排撃を、〈老荘思想〉の無為自然の論理と通じる仕方でしていく。特に当時「清」は〈夷狄〉出自であることを取り上げ、恥ずべきことだとして日本の〈皇国〉の優位を強調した。賀茂真淵の門人である平賀源内は『風流志道軒伝』で「中国は主の天下を引ったくる不埒千万なる国である」という内容を書いた。
 そして同時期には、蘭学者は西欧の目を借りて中国を相対化して眺めることに成功していた。
 国学の興隆、皇国認識の形成の背景には、平和による文化の爛熟によって儒学の〈聖賢の道〉が無用化され、徂徠学が破綻していくという〈イデオロギー交代〉がその背景にあった。19世紀に入って外圧がかかっても、むしろ外圧ゆえにそのイデオロギーは強化され、この国を変えていくことになる。

 そう、水戸藩浪士が徂徠学と国学の融合で成り立つ思想であり、そこに〈尊攘〉があったように、水戸藩浪士に桜田門外で殺された井伊直弼もまた、幼い頃には本来なら出世を断たれていて、〈埋もれ木の舎〉と呼ばれる倉の中で国学を勉強していた尊王論者であったのだ。国を思う気持ちは同じだったが、これは両者を両方から観ると、なんとも複雑な気分になるのも確かだ。そこには複雑な要因が絡む。

 では、〈儒学〉と〈国学〉の説明が終わったところで、いよいよ〈水戸学〉の出番となる。心してかかろう。


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桐乃桐子:孤高の作家

成瀬川るるせ:旅人

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