第27話 やぶからスティック【18】長州ファイブ2

文字数 730文字

十八



 長州ファイブは、「〈生きた器械〉となって帰る」と誓いを立てて、見つかったら即座に死罪になるというそのなか、密航に成功する。
 伊藤博文と井上馨は、イギリス滞在は五ヶ月で帰国することになった。
 遠藤謹助は1866年(慶応2年)、肺病悪化により帰国。
 山尾庸三、井上勝は、1868年(明治元年)、当初の予定通り5年で帰国する。

 帰国後、井上馨は明治維新後、今でいう造幣局の開設を指揮し、大蔵大輔(おおくらたいふ)として政府財政の確立に努めた。
 明治12年に外務卿となり、鹿鳴館を建設。
 明治18年に初代外務大臣となる。

 山尾庸三は明治維新後、藩の海軍教授方助役を経てから政府に登用、工部省設置に力を尽くす。
 次いで工部学校を設置するように意見して、工学寮、今の東京大学工学部の前身のひとつ、を開設させた。
 工部卿の山尾庸三はそのため「日本の工学の父」と呼ばれる。
 また、盲学校、聾唖学校の設立にも腐心し、視覚聴覚特別支援教育に大きく貢献した。

 井上勝は鉄道整備に尽力し、鉄道庁長官になった人物となった。
 造幣頭(ぞうへいのかみ)鉱山頭(こうざんのかみ)などを、維新後はつとめ、明治5年、鉄道頭になり、新橋・横浜間に鉄道を開通させた。
 明治22年全通の東海道線をはじめ、全国各地の鉄道建設に力を尽くす。
 退官後は汽車製造合資会社を設立、機関車や鉄道資材の国産化に努めた。
 よって「日本の鉄道の父」と呼ばれる。

 遠藤謹助は造幣局長となり、硬貨つくりの近代化に努めた。

 そして伊藤博文。明治4年に岩倉使節団の副使として西洋諸国を視察、帰国後、初代工部卿となり工業化政策を推進、内務卿を経て明治18年に初代内閣総理大臣に就任した。計4度、組閣。
 明治22年。初代枢密院議長として大日本帝国憲法の発布に尽力したのであった。



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登場人物紹介

桐乃桐子:孤高の作家

成瀬川るるせ:旅人

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