第24話 やぶからスティック【15】桜田門外6

文字数 2,213文字

十五



 吉田松陰を刑場の露と消した〈安政の大獄〉だが、水戸学の体現者であった徳川斉昭もまた、〈安政の大獄〉で国許永蟄居(くにもとながのちっきょ)を命じられ、封じ込まれて失意のうちに亡くなることになる。なにせ、井伊直弼は大の斉昭嫌いだからね。
 徳川斉昭が藩主になるときも一悶着あって、斉昭を藩主に推したのは水戸学の学者である藤田東湖と会沢正志斎だ。

 会沢正志斎は藤田幽谷の弟子で、藤田東湖は藤田幽谷の子供だ。

 藤田幽谷はどういう学者かというと、急進的な尊王絶対化思想で、名分、秩序を強調する。名分を重んじるところは儒家思想・徂徠学のそれだけど、徂徠学を水戸学に持ち込んだ師匠の立原翠軒を批判している。水戸学における国学と儒学の融合はもうそこまで来ていた。

 会沢正志斎は攘夷からさらに進み、世界秩序建設を目指して、神道国教化を目指す。その思想の関係もあってか、徳川斉昭は仏教排斥をするんだけど、それがあとで仇になるのはまた別の話。会沢正志斎の主著『新論』によって、水戸学の尊王攘夷思想は完成したと見做される。ちなみに、吉田松陰が水戸に遊学した際、数日間に渡り、会って水戸学を授けてくれたのがこの会沢正志斎だ。

 一方の藤田東湖は、本質的には詩人だ。『回天詩史』や『弘道館記述義』『常陸帯』などの著作がある。なかでも藤田東湖の「天地正大の気、純然として神州にあつまる」で始まる〈正気の歌〉は維新志士たちに広く愛誦され、これを朗吟出来ない奴は志士の資格なし、とさえ言われた。藤田東湖に会いに水戸に来た人物は佐久間象山、西郷隆盛などがいる。

 その会沢正志斎と藤田東湖が推して現れた徳川斉昭は改革により藩内での、天保の飢饉で餓死者0人というリザルトを出す。
 斉昭の政策は、全領検地、郷土制の導入で城下から在地移住を進め武術の訓練に励ませ武備の充実を図る、藩校〈弘道館〉設立と各地の郷校の設置によって人材を育成、そして定府(参勤交代しないで江戸に定住すること)を廃止して出費の削減を行う。……という、この四つを柱に改革をした。
 ところが突然江戸に呼び出され、謹慎処分が下され、駒込の別邸に幽閉されてしまう。寺院への圧迫、幕府への十分な了解なき軍備拡張、定府制を無視し水戸藩に長期滞在したことの責任を問われての謹慎処分である、表向きは。実際は斉昭の失脚を狙った策略であった。
 だが、水戸藩内では斉昭カムバックコールの嵐である。江戸へ雪冤を訴える者が後を絶たず、謹慎が解かれる。
 攘夷を主張するなど幕政参与をしていくが、井伊直弼の〈安政の大獄〉で、ついに国許永蟄居(くにもとながのちっきょ)を命じられ、封じ込まれてしまうのであった。



 ……さて、ここから、〈桜田門外の変〉や、前に語った〈八・一八の政変〉へと至るのだが、安政の大獄は水戸藩に朝廷から……正確には孝明天皇からの密勅が届いたことが重要だ。その密勅を、〈戊午の密勅〉という。

 戊午の密勅。この事件をブリタニカ国際大百科事典から抜き出して読みやすく改変すると事件のあらましはこうなる。

 幕末、1858年(安政5年)に、朝廷が水戸前藩主徳川斉昭に下した攘夷の勅諚(ちょくじょう)が戊午の密勅である。
 条約勅許と将軍継嗣をめぐって将軍徳川家定、大老井伊直弼の代表する幕府と孝明天皇、関白九条尚忠らの代表する朝廷との関係が悪化すると、一橋派の水戸藩士鵜飼吉左衛門知信、薩摩藩士日下部伊三次らは、左大臣近衛忠煕に説いて、斉昭に攘夷の実現をはからせようとした。
 8月7日水戸藩だけでなく幕府にも勅諚を下すよう朝議が決り、翌8日まず水戸への勅諚が列藩に伝達すべきものとして鵜飼に授けられ、10日には幕府への勅諚も発せられた。
 幕府では老中間部詮勝らが水戸藩に命じてその伝達をおさえ、安政の大獄を実行するとともに条約締結の弁疏と公武合体の推進のため間部を京都に送った。
 水戸では、朝廷支持派 (尊王激派、同鎮派) と幕府支持派 (奸派) の対立が起り、翌年朝廷は幕府の要請で水戸藩に勅諚返納の沙汰書を出すにいたった。
 この返納命令はさらに事態を紛糾させ、水戸浪士は桜田門外に井伊を暗殺するところまでエスカレートした。これを桜田門外の変という。
 しかし斉昭が病死し、やがて文久2年6月、勅使大原重徳が幕府に公武一致、攘夷貫徹、一橋慶喜の将軍補佐の三事の策をさとすため江戸に送られると、老中水野忠精は水戸藩に勅諚の返納ではなくその公表を促し、ともに勅旨を奉承することとなって問題は落着した。



 ……と、なる。さらっと書いたが、密勅が幕府を通さずひとつの藩に直接届くというのは、ヒエラルヒー重んじる幕府にとっても大変である。幕府より水戸藩の方が偉いということに実質なってしまうかもしれない。だが、天皇からの密勅なのに、幕府に返上させるというのは孝明天皇に失礼どころの話ではないのである。対面的にそうだが、さて、その密勅の中身も問題なのである。そうじゃなくてもさっきからずーっと語っているのは〈尊王〉思想なのだ。さぁ、どうする? という問題である。
 水戸藩浪士が桜田門外で井伊直弼を暗殺するに至るが、浪士なのは、「(忠義を重んじる、つまり藩を立てるから逆に)脱藩したので水戸藩の藩士ではないので水戸藩に報復するとしたらお門違いだぜ、おれたち脱藩した浪士〈だから〉行ったのである」という、儒学と国学を両立させた水戸学の徒だからこそ選んだルートなのである。

 では、徐々に話を戻して行こう。


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桐乃桐子:孤高の作家

成瀬川るるせ:旅人

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