第2話 松下村塾
文字数 1,581文字
成瀬川るるせ
2023年6月13日 19:09
はい、始まりました、一人旅。
一人旅とか言いつつ、昨日は桐乃さんと居酒屋に入って熱く、主に小説について語り合ったのだが。
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もうさ、差し入れまでもらっちゃったわけだけど、朝は桐乃さんから差し入れでいただいた、防府天満宮のお菓子を食べました! 萩の月にナッツだかフルーツだかみたいなものが入っているような仕上がりで、めちゃくちゃ美味しい。
防府天満宮は、三大天満宮のひとつで、とても有名なところです。そこのお土産の品をいただいたのです。朝から糖分摂取であたまスッキリの僕なのでした。
(追記:あ、るるせさん、あのお菓子は果子乃季というお店の銘菓で、パッケージか防府限定の防府天満宮バージョンなのですよー、とのこと)。
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新山口駅から萩市まで直行の、スーパー萩号に乗ってスタート。
最初に言ってしまうと、説明を求めてしまい、学習はしたけど観光は全然出来なかった、というのが本当のところです。
迷惑極まりない客なんだけど、もう、訊きたくて仕方ないことってあって。
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そういうわけでやってきたぜ、松下村塾!!
松陰神社というのが建っている場所ですが、松下村塾の建物は現存しています。
松下村塾というのは吉田松陰の私塾です。
藩校である明倫館とは違い、身分の差とかガン無視で開いた場所で…って、この説明って欲しいかな。話したら長くなるどころじゃないんで、ある程度知っていること前提で話を進めたいと思う。よろしく!!
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誰に聞いても、「吉田松陰が今の日本をつくった大先生である」と答えが返ってくる。まあ、そうなんだけど、僕の史観で言うと、今の日本を作ったその着火点にいるのは水戸藩の、水戸黄門こと水戸光圀で、彼は天下の副将軍であって、彼が「大日本史」をつくるために動いたことから水戸学が形成されていくことが最重要だと考える。
吉田松陰は水戸学から尊王攘夷思想を受け取り、自身の思想に取り込んでいくことになる。
………と、いうのが僕の見立てであった。
松陰神社に至誠館という、吉田松陰の足跡を辿れる施設が建っている。そこの説明に、「萩藩は尊王攘夷思想が強く、それを吉田松陰は受け取った」と書いてあった。前述した僕の考えと違う。確かに、書物を読んだときに、吉田松陰は若い頃水戸にも遊学に訪れているのだが、後期水戸学を代表するひとり、藤田東湖と会うことが出来なかったとも聞いていた。じゃあ、松陰神社至誠館の記述が正しく、僕の史観は間違いだったのだろうか? 至誠館で尋ねると、学芸員で神主(神職)という、漫画のキャラのような肩書きの方を紹介された。思わず自分の名刺を差し出す僕。しかし、名刺の裏側には手書きで「成瀬川るるせ Web作家」と書き込んである。僕の胡散くささが爆発である。だが、そんな僕に名刺交換をしてくれて、学芸員さんは語る。
それは僕が聞きたかったことそのものだった。
吉田松陰は水戸に遊学したとき、確かに藤田東湖には会えなかった。だが、会沢正志斎と水戸で直接何日か会って、語り合っている、ということ。そして、水戸藩での会沢正志斎との邂逅を境に、吉田松陰が書く文章には、水戸学から受けた影響が出始め、それまでの吉田松陰の文章とは違うのが明らかだというのだ。
つまりそれは、吉田松陰は後期水戸学の強い影響下にある、ということを意味する。要するに僕の史観は間違っていなかった、ということ。
学芸員兼神主さん、ありがとう、というしかない。
最後、松下村塾をあとにしようとする僕に神職姿でダッシュしてくる学芸員さん。「吉田松陰日録」に、水戸藩で会沢正志斎と会ったことが記述してあることが書いてあり、日録の当該ページを見せてくれた。出典がこれで明らかになり、間違いがないことがわかったのであった。
今日は最良の仕事をした気分になったのだった。
2023年6月13日 19:09
はい、始まりました、一人旅。
一人旅とか言いつつ、昨日は桐乃さんと居酒屋に入って熱く、主に小説について語り合ったのだが。
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もうさ、差し入れまでもらっちゃったわけだけど、朝は桐乃さんから差し入れでいただいた、防府天満宮のお菓子を食べました! 萩の月にナッツだかフルーツだかみたいなものが入っているような仕上がりで、めちゃくちゃ美味しい。
防府天満宮は、三大天満宮のひとつで、とても有名なところです。そこのお土産の品をいただいたのです。朝から糖分摂取であたまスッキリの僕なのでした。
(追記:あ、るるせさん、あのお菓子は果子乃季というお店の銘菓で、パッケージか防府限定の防府天満宮バージョンなのですよー、とのこと)。
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新山口駅から萩市まで直行の、スーパー萩号に乗ってスタート。
最初に言ってしまうと、説明を求めてしまい、学習はしたけど観光は全然出来なかった、というのが本当のところです。
迷惑極まりない客なんだけど、もう、訊きたくて仕方ないことってあって。
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そういうわけでやってきたぜ、松下村塾!!
松陰神社というのが建っている場所ですが、松下村塾の建物は現存しています。
松下村塾というのは吉田松陰の私塾です。
藩校である明倫館とは違い、身分の差とかガン無視で開いた場所で…って、この説明って欲しいかな。話したら長くなるどころじゃないんで、ある程度知っていること前提で話を進めたいと思う。よろしく!!
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誰に聞いても、「吉田松陰が今の日本をつくった大先生である」と答えが返ってくる。まあ、そうなんだけど、僕の史観で言うと、今の日本を作ったその着火点にいるのは水戸藩の、水戸黄門こと水戸光圀で、彼は天下の副将軍であって、彼が「大日本史」をつくるために動いたことから水戸学が形成されていくことが最重要だと考える。
吉田松陰は水戸学から尊王攘夷思想を受け取り、自身の思想に取り込んでいくことになる。
………と、いうのが僕の見立てであった。
松陰神社に至誠館という、吉田松陰の足跡を辿れる施設が建っている。そこの説明に、「萩藩は尊王攘夷思想が強く、それを吉田松陰は受け取った」と書いてあった。前述した僕の考えと違う。確かに、書物を読んだときに、吉田松陰は若い頃水戸にも遊学に訪れているのだが、後期水戸学を代表するひとり、藤田東湖と会うことが出来なかったとも聞いていた。じゃあ、松陰神社至誠館の記述が正しく、僕の史観は間違いだったのだろうか? 至誠館で尋ねると、学芸員で神主(神職)という、漫画のキャラのような肩書きの方を紹介された。思わず自分の名刺を差し出す僕。しかし、名刺の裏側には手書きで「成瀬川るるせ Web作家」と書き込んである。僕の胡散くささが爆発である。だが、そんな僕に名刺交換をしてくれて、学芸員さんは語る。
それは僕が聞きたかったことそのものだった。
吉田松陰は水戸に遊学したとき、確かに藤田東湖には会えなかった。だが、会沢正志斎と水戸で直接何日か会って、語り合っている、ということ。そして、水戸藩での会沢正志斎との邂逅を境に、吉田松陰が書く文章には、水戸学から受けた影響が出始め、それまでの吉田松陰の文章とは違うのが明らかだというのだ。
つまりそれは、吉田松陰は後期水戸学の強い影響下にある、ということを意味する。要するに僕の史観は間違っていなかった、ということ。
学芸員兼神主さん、ありがとう、というしかない。
最後、松下村塾をあとにしようとする僕に神職姿でダッシュしてくる学芸員さん。「吉田松陰日録」に、水戸藩で会沢正志斎と会ったことが記述してあることが書いてあり、日録の当該ページを見せてくれた。出典がこれで明らかになり、間違いがないことがわかったのであった。
今日は最良の仕事をした気分になったのだった。