第26話 やぶからスティック【17】長州ファイブ1

文字数 842文字

十七



 長州ファイブを語ろうと思う。
 1863年(文久3年)、長州藩は下関を通航する外国船を砲撃した。が、その一方で、実は5人の若者を長州藩はイギリスへ〈密航〉させていたのであった。その5人を指して、〈長州ファイブ〉、または〈長州五傑〉と呼ぶ。
 その5人とは、伊藤博文、井上馨、遠藤謹助、山尾庸三、井上勝、の5人であり、彼らは幕末に密航したのち、全員が明治政府で要人となることになるのである。

 そういえば、この連載では、桂小五郎について全く触れていないが、桂小五郎(木戸孝允)は、明倫館時代の吉田松陰から勉学を教わり、明治政府になったあとの渡航である岩倉使節団全権副使として西洋諸国を視察することになる。あと、版籍奉還や廃藩置県を推進して中央集権国家樹立に貢献したのがこの木戸孝允であるのはとても重要だ。忘れていたわけではないんだよ、ごめん、桂小五郎。


 井上馨たち長州ファイブは、「〈生きた器械〉となって帰る」と誓いを立てて、見つかったら即座に死罪になるというそのなか、密航に成功する。
 伊藤博文は「渡航の目的はなんだ?」と訊かれて、「ネイビー(海軍術)」と答えるべきが「ネビゲーション(航海術)」と答えてしまったため、船でマストの上げ下げや甲板掃除などをやらされ、水夫として扱われながら渡航したらしい。まあ、それはともかく、イギリスへ到着するのである。

 5人は一緒に密航し、5年で帰国という予定であったが、実際に帰国した時期はバラバラである。
 特に伊藤博文と井上馨は、イギリス滞在は五ヶ月で帰国することになってしまう。政治・外交状勢の変化に対応するためである。二人は下関戦争敗戦後、高杉晋作の講和談判会議の通訳をするなどの活躍を、帰国してすることになった。
 遠藤謹助は1866年(慶応2年)、肺病悪化により帰国。
 山尾庸三、井上勝は、1868年(明治元年)、当初の予定通り5年で帰国する。

 そして〈生きた器械〉たちは、活躍することになるのだ。
 どう活躍したかも、ざっくりと見ていこう。


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登場人物紹介

桐乃桐子:孤高の作家

成瀬川るるせ:旅人

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