風待山 3

文字数 816文字

「どこか寄ってきたんですか?」
 玄関に人が入ってきた気配がした。音はしないが歩いてくる気配がする。
 女がドアを開けて入ってきた。
 こぎれいな容姿で背筋は伸びているせいか、若々しく見える。
 買い物袋を手にしているが、その袋には何も入っている様子はなく、薄っぺらい袋がしおれたアサガオの花のようにその女の手にぶら下がっていた。
 買い物のついでにここに寄ったらしい。
「どうも、気に入らなくてね、あの女」
 部屋は長い机があり、そこにいすが少し間隔を置きながら並んでいる。
 その婦人は、一つのいすに腰をおろすと、ふうっと一息、ため息のようにも、やり終えた後の満足感のようにもとれる大きな息を吐いてサングラスをはずした。
 窓の外は天気が悪く、眺めのいいはずのこの高台からも庭先にある木々の葉の色ぐらいしか見えなかった。
 その婦人にお茶を入れてあげようと、湯飲み茶碗を探していると
「その棚の一番右にあるクマの絵が描いてある湯呑みはあなたの?」
 その女は尋ねてきた。
 棚の右側にクマの絵が描いてある湯飲みが入っていた。
「笑わないでくださいね。私、クマが大好きだったんです。その湯飲みも見かけたときは即買いしたんです」
 婦人は私の入れた別の湯呑みを両手で包むように持ち、茶をゆっくりと飲み、じっと外を見ていた。
「生け垣の赤い花のつぼみが膨らみだしてる」
 婦人が外を見ながら教えてくれた。
――しっかりと見ている。
 この婦人の目はある一点をじっと見ていた。
 この婦人は小早川と言って、息子の小学校時代の担任である。
 当時はまだ先生になったばかりのお嬢さんだった。おそらく、息子たちが初めての一年生の担任をしたのだと思う。
 いまはベテランでばりばりの女校長になっている。
 自分がまたこの先生と再会するとは、何かに導かれているような気がするのだ。
 小早川先生はお茶を飲んでまた外を見ている。私はさっき聞いた言葉が気になった。
ーー「あの女って、誰なんだろう?」

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